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第30章:(最終章): 蝶は再び

春の光が、穏やかに降り注ぐ、鎌倉の庭。

高虫蛹は、縁側で、一杯のほうじ茶をすすりながら、静かに目を閉じていた。


総理の座を退いて、十数年。かつて国家の命運を一身に背負っていた彼女の肩には、もう何の重圧もない。ただ、庭の土の匂いと、遠くから聞こえる潮騒だけが、彼女の日常を彩っていた。

ふと、居間のタブレット端末から、ニュースの音声が流れてきた。


それは、安野貴が党首を務める『チーム未来』と、風間俊介が総理大臣として率いる自民党が、数年にわたる協調と対立の末、ついに、健全な「二大政党」として、国民に認知されたことを伝えるニュースだった。


彼らは今、次世代のエネルギー政策を巡って、国会で激しい論戦を繰り広げている。しかし、その言葉の応酬には、かつて永田町を支配したような、足の引っ張り合いや、個人攻撃の響きはなかった。ただ、データと理念に基づいた、未来への真摯な議論だけが、そこにあった。


高虫は、そのニュースを、微笑みながら聞いていた。

かつて自分の「剣」だった若者は、今や、自分よりも遥かに優れた、新しい時代のリーダーとなっていた。そして、彼には、風間俊介という、最高の「好敵手」がいた。


彼女は、そっと立ち上がり、庭に出た。

足元には、彼女が大切に育てた、色とりどりの花が咲き誇っている。

彼女の戦いは、終わったのだ。


藤澤亮の死を胸に、たった一人で始めた、絶望的な戦い。

宮繰頁という、巨大な壁との死闘。

国民に背を向けられ、官邸で孤立した、凍えるような夜。


その全てが、今や、遠い日の出来事のように、穏やかな光の中に溶けていく。

彼女は、もう、誰とも戦う必要はない。

彼女が守り、創り出したこの国は、今や、彼女がいなくても、自らの足で、力強く未来へと歩み始めている。


その時、一匹の美しいアゲハ蝶が、ひらひらと、彼女の目の前を横切った。

蝶は、彼女の庭の花々で、しばし羽を休めた後、再び、力強く羽ばたき、蒼く、どこまでも広がる大空へと、舞い上がっていった。


高虫は、その蝶の姿を、ただじっと、見上げていた。

あの蝶は、誰なのだろう。

安野貴か、夏目響か、それとも羽生翔太か。


いや、違う。

あの蝶は、今この瞬間も、大学の研究室で、町工場で、あるいは、黄金色に輝く田んぼで、この国の新しい未来を創り出している、名もなき、無数の若者たちの魂、そのものなのかもしれない。


私は、蛹だった。

硬い殻の中で、古い時代を食い破り、次なる世代のための、土壌となることだけが、役割だった。

そして今、その土壌から、数えきれないほどの蝶たちが、一斉に、大空へと羽ばたいていく。


彼らが見る景色は、私がいた場所よりも、遥かに高く、美しいだろう。

彼らが創り出す未来は、私が夢見た未来よりも、きっと、もっと豊かで、優しいだろう。


それで、いい。

それが、いいのだ。


高虫蛹は、空の彼方へと消えていく、小さな蝶の影に、そっと手を振った。

その顔には、一筋の涙が伝っていたが、口元には、この上なく穏やかで、満ち足りた微笑みが、深く、深く、刻まれていた。


彼女の戦いは終わった。

しかし、彼女が解き放った未来は、今まさに、大きく、美しく、羽ばたこうとしていた。


(了)

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