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第29章:歴史の評価

高虫蛹が歴史の表舞台から去って、さらに長い年月が流れた、21世紀後半。

東京のとある大学、その歴史学の講義室は、百名を超える学生たちの静かな熱気で満ちていた。教壇に立つのは、この分野の第一人者である、白髪の老教授。彼の今日の講義テーマは、学生たちにとって、祖父母の世代に起きた「神話」のような時代の物語だった。


「――さて、諸君。我々が今日、当たり前のように享受している、このデジタル社会の礎が、いつ、どのようにして築かれたのか。教科書では、こう記されています。『令和維新』、と」

老教授は、背後の巨大なディスプレイに、その四文字を映し出した。


「なぜ、単なる『政治改革』や『デジタル革命』ではなく、『維新』という、極めて重い言葉が使われているのか。それは、あの一連の出来事が、この国の歴史において、三度目となる、国家の根幹を揺るがす、巨大な地殻変動であったからです」


教授は、学生たちを見渡しながら、ゆっくりと語り始めた。

「一度目は、言うまでもなく、幕末の開国です。ペリーの黒船という、目に見える『武力』によって、我々は国の扉を開いた。あれは、国家の『形』を変える革命でした」


「二度目は、先の大戦の敗戦です。マッカーサーという、目に見える『占領者』によって、我々は新たな憲法と民主主義を受け入れた。あれは、国家の『仕組み』を変える革命でした」


「そして、三度目。高虫総理の時代にやってきた黒船は、目に見えなかった。それは、GAFAという、砲身も軍靴も持たない、しかし、かつてのどの黒船よりも、巧妙で、強力な存在でした。彼らは、我々の主権を、富を、そして未来の選択肢を、我々が気づかぬうちに、静かに奪っていった。この見えない侵略に対し、高虫総理が挑んだ戦いこそが、『令和維新』なのです」

講義室は、水を打ったように静まり返っている。


「彼女の最大の功績は、一体何だったのか。国家データ主権法か、プロジェクト・ヤタガラスか。それらも、もちろん偉大な功績です。しかし、歴史家としての私の評価は、少し違う」


老教授は、そこで一度、言葉を切った。

「彼女の最大の功績は、法律でも、技術でもない。それは、『この国の未来は、自分たちの手で決めるのだ』という、当たり前でありながら、我々が長年忘れてしまっていた当事者意識を、国民の心に、再び取り戻させたことです」


「思い出してください。あの絶望的な状況下で、彼女が断行した、国民投票を。サイバーテロという脅迫を受け、経済が大混乱に陥る中で、彼女は、安易な解決策に逃げず、最後の判断を、我々国民一人ひとりに委ねた。あの決断こそが、我々を、単なるサービスの消費者から、国家の主権者へと、再び引き戻してくれたのです。たとえ、その結果が、数字の上では『敗北』であったとしても、です」


「当時、彼女の強硬な手法は『独裁的だ』という批判も、確かにありました。しかし、彼女は、一度も、国民から『選択の自由』を奪おうとはしなかった。むしろ、国民に、痛みと責任を伴う『選択』を、どこまでも求め続けた。そこにこそ、彼女が、歴史上、稀に見る、真の民主主義者であったと、私が評価する所以があるのです」


老教授は、ディスプレイに、一枚の古い写真を映し出した。総理を退任する日の、穏やかな笑みを浮かべた、高虫蛹の姿だった。


「彼女は、自らのことを、常に『蛹』だと言いました。それは、自らが蝶として羽ばたくことを、望んでいなかった、ということです。彼女は、次なる世代が、自由に、豊かに、大空を舞うための、硬い殻となり、そして、豊かな土壌となることに、その政治生命の全てを捧げた。日本の長い歴史の中で、これほどまでに、自らの役割を冷徹に理解し、そして、未来へ、かくも美しくバトンを渡したリーダーを、私は他に知りません」


講義の終わり、一人の女子学生が、静かに手を挙げた。


「先生。その『蝶』とは、私たちのことですか」

老教授は、その学生の、知的な好奇心に満ちた瞳を見つめ、深く、そして満足げに、頷いた。


「その通りだ。君たちだよ」

女子学生は、にっこりと微笑むと、手元の最新型の透過型ディスプレイに、視線を戻した。そこには、彼女が仲間たちと開発している、新しい環境浄化AIの、複雑な設計図が、立体的に浮かび上がっていた。

令和維新とは、一人の天才が成し遂げた、過去の英雄譚ではない。


それは、未来を生きる全ての日本人が、自らの手で、この国の歴史を創り上げていくのだという、今なお続く、静かで、しかし、力強い革命の、始まりの物語なのである。

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