第27章:見えない国防
安野貴が『チーム未来』を率いて、国内の政治改革に乗り出していた頃。
世界の水面下では、高虫が遺した、もう一つの遺産が、静かに、しかし確実に、この国を守り続けていた。
それは、国民の目にはほとんど触れることのない、『見えない国防』の力だった。
東シナ海、公海上。
最新鋭のイージス艦「あさぎり」の戦闘指揮所(CIC)は、張り詰めた緊張に包まれていた。レーダーが、国籍不明の戦闘機部隊が、日本の領空に異常接近していることを捉えていた。
警告を無視し、なおも接近を続ける機影。もはや、物理的な衝突は避けられないか――。
誰もが固唾を飲んだ、その時だった。
「目標、全機反転。領空侵犯の意図なしと判断」
レーダー員の、拍子抜けしたような声が響く。
モニター上では、あれほど威嚇的だった戦闘機部隊が、まるで何事もなかったかのように、Uターンして去っていくのが見えた。
艦長は、訝しげに呟いた。
「一体、何が起きたんだ?」
その答えは、東京、市ヶ谷の防衛省地下深くにある、サイバー防衛隊の司令室にあった。
そこは、10年前に安野が創設した『ヤタガラス・ネスト』の、正統な後継組織だった。
司令室の巨大モニターには、先ほどの敵戦闘機の、コックピット内部の計器情報が、リアルタイムで表示されていた。
彼らのレーダーには、存在しないはずの日本の戦闘機が、何十機も映し出されていた。そして、彼らの通信網には、「直ちに迎撃を開始する」という、偽の指令が、日本語と英語で、繰り返し割り込んでいたのだ。
「任務完了。敵は、幻の我が軍と戦い、撤退していきました」
司令官が、静かに告げた。
隊員たちの間に、安堵の息が漏れる。
これは、高虫政権時代に、極秘裏に進められていた、「非殺傷型・戦略的サイバー防衛システム」の、ほんの一例だった。
高虫は、理解していた。
少子高齢化が進む日本が、今後、物理的な軍備だけで、周辺国の脅威に対抗し続けることは、不可能だと。
だからこそ彼女は、限られた防衛予算の一部を、サイバー空間という「見えない戦場」に、集中的に投下したのだ。
その結果、日本のサイバーセキュリティ技術は、10年の時を経て、攻撃ではなく、防御において、世界最高レベルにまで到達していた。
敵のシステムに侵入し、偽の情報を流して、混乱させる。
敵国の電力網や金融システムを麻痺させるのではなく、自国の重要インフラに、何重ものプロテクトをかける。
ミサイルを撃ち落とすのではなく、ミサイルの発射システムそのものに、サイバー攻撃で「待った」をかける。
それは、専守防衛を国是とする、この国ならではの、独自の進化だった。
相手を破壊するのではなく、相手の「戦意」を、デジタル空間で削ぎ落とす。
そして、その技術は、国内の民間企業を守るためにも、応用されていた。
羽生翔太の『PAPILLON』社が、海外の競合から、執拗な産業スパイ攻撃を受けた時。
その攻撃を、いとも簡単に見破り、逆に偽の設計データを掴ませて反撃したのは、安野の『YATAGARASU』社と、この防衛省サイバー部隊との、官民連携による、見事なコンビネーションだった。
かつて、高虫と藤澤亮が、たった二人で、孤独に戦っていた、あの暗い部屋。
そこから始まった日本のサイバー防衛は、今や、官民の最高の才能が集結し、いかなる国の、いかなる攻撃も跳ね返す、強靭な「電子の盾」へと成長していた。
それは、決してニュースになることのない、地味で、目に見えない戦い。
だが、その静かな勝利の積み重ねこそが、10年後の日本の平和と繁栄を、確かに支え続けていたのだ。




