第24章:世界を潤す「豊穣のAI」
10年後の世界において、日本の国際的なプレゼンスを最も高めたもの。それは、自動車でも、アニメでもなかった。
それは、かつて誰も見向きもしなかった、「農業」だった。
アフリカ、サハラ砂漠南縁部、サヘル地域。
ここは、長年の干ばつと気候変動によって、大地が砂漠化し、何百万人もの人々が深刻な飢饉に苦しむ、絶望の土地だった。世界中の国々が、食糧支援という名目で、大量の小麦やトウモロコシを送り込んできた。だが、それは、その場しのぎの対症療法でしかなく、根本的な解決には至っていなかった。
その絶望の大地に、数年前から、日本の若い農業技術者たちが、静かに入り始めていた。
彼らが持ち込んだのは、食料ではない。日本の『豊穣のAI』の技術だった。
彼らはまず、現地の農民たちと共に、小さな実験農場を作った。
灼熱の太陽が照りつける、乾ききった大地。ここでは、もはや何も育たないと、誰もが諦めていた。
だが、日本の技術者たちは、空にドローンを飛ばした。
ドローンに搭載された特殊なセンサーが、上空から土壌をスキャンし、人間の目には見えない、わずかな水脈や、ミネラルの分布を、精密にマッピングしていく。
そのデータを、衛星回線を通じて、北海道にある『豊穣のAI』のメインサーバーへと送る。
AIが、現地の気候データと、土壌の分析結果を統合し、驚くべき結論を弾き出した。
『この土地に最も適した作物は、日本の在来種の『ヒエ』である。ただし、遺伝子編集によって、乾燥耐性を30%向上させた、改良品種が望ましい』
AIは、さらに、最も効率的な栽培方法を提案した。
それは、日本の棚田の技術を応用した、階段状の畑を作り、夜間のうちに、ごく僅かな地下水から、一滴も無駄にしない点滴灌漑を行う、というものだった。
現地の農民たちは、半信半疑だった。
だが、日本の若者たちが、彼らと共に汗を流し、畑を耕す姿に、少しずつ心を開いていった。
そして、数ヶ月後。
奇跡が起きた。
砂漠化していたはずの大地に、一面、青々としたヒエの穂が、風にそよいでいたのだ。
収穫の日、村中の人々が集まり、自らの手で育てた、黄金色の穀物を手に、涙を流して喜んだ。それは、支援という名の施しではない、自分たちの力で勝ち取った、誇りある収穫だった。
この「サヘルの奇跡」は、口コミで、瞬く間にアフリカ全土へと広がっていった。
日本政府は、高虫政権時代に設立した国際協力基金を使い、『豊穣のAI』のシステムを、アフリカや、気候変動に苦しむアジアの国々へと、積極的に輸出していった。
それは、単なる技術の輸出ではなかった。
現地の若者を日本に招き、スマート農業の技術者として育成し、彼らが自国に帰って、新たな農業の担い手となる。そんな、持続可能な「人」への投資こそが、プロジェクトの核心だった。
かつて、GAFAが、プラットフォームで世界を支配しようとしたのとは、全く違うアプローチ。
相手国の土壌と文化を尊重し、彼らが自立するための「武器」を、対等なパートナーとして提供する。
この日本のやり方は、やがて、世界中から、深い尊敬と信頼を勝ち取ることになった。
国連の世界食糧計画は、日本の『豊穣のAI』を、世界の飢餓問題を解決するための、公式なグローバル・スタンダードとして採用することを決定した。
かつて、軍事力や経済力で、世界の覇権が争われた時代は、終わりを告げようとしていた。
食料と、それを生み出す持続可能なテクノロジーこそが、21世紀後半の、新たな国力となる。
高虫蛹が、日本の農業を守るために放った一矢は、10年の時を経て、地球の裏側で、何百万人もの命を飢餓から救う、大きな光となっていた。
彼女が夢見た「見えない国防」は、いつしか、国境を越え、世界を潤す「見えない外交」へと、大きく羽ばたいていたのだ。




