第22章:新世代の才能
10年後の日本が手に入れた、最も価値ある資産。それは、データセンターでも、スマート農業の技術でもなかった。
それは、高虫が断行した教育改革の坩堝の中から生まれた、恐れを知らない、新世代の若者たちだった。
かつての日本の教育は、全ての生徒に同じ知識を平等に詰め込む、工業製品のような画一的なシステムだった。それは、高度経済成長期には有効だったかもしれない。だが、デジタル時代においては、異端な才能の芽を摘み、GAFAに従順なだけの消費者を生み出す、不毛な土壌でしかなかった。
高虫は、そこに、大鉈を振るった。
彼女は、義務教育の段階からプログラミングを必須化し、文系・理系の垣根を取り払った。そして何より、偏差値という単一の物差しを捨て、「探求」という新しい授業を導入した。生徒たちが、自らの興味に基づき、一年間かけて、好きなテーマをどこまでも深く掘り下げる。その成果だけを評価する、という革新的な教育だった。
古い教育者たちからは「学力の低下を招く」と猛烈な反対があった。
だが、高虫は言い放った。
「これからの時代、AIが教えてくれる知識を暗記することに、何の意味がありますか。重要なのは、AIに、何を問いかけるか。その『問いを立てる力』こそが、人間の最後の砦なのです」
その改革から、10年。
かつて「探求」の時間に、ゲームのプログラムばかり作っていた子供たちが、今、世界を席巻し始めていた。
シンガポール、アジア最大級のテクノロジーカンファレンス。
その年の基調講演の壇上に立ったのは、弱冠25歳の日本人女性、夏目 響だった。彼女が立ち上げたスタートアップ企業『KOTOBA』が開発した、リアルタイムAI翻訳イヤホンは、その圧倒的な精度で、GAFAの同種サービスを、わずか一年で市場から駆逐してしまった。
夏目は、ジーンズにTシャツというラフな姿で、数千人の聴衆を前に、堂々と語りかけた。
「私たちの強みは、日本語という、世界で最も複雑で、ハイコンテクストな言語を母国語としていることです。主語を省略し、空気を読み、曖昧な表現の裏にある真意を汲み取る。この複雑さを理解できるAIを鍛え上げたからこそ、KOTOBAは、世界のどの言語の、どんな微妙なニュアンスも、正確に訳し出すことができるのです」
それは、かつて高虫が「日本の弱みを、強みに変える」と語った思想を、まさに体現するスピーチだった。
シリコンバレーでは、別の若者が世界を驚かせていた。
羽生 翔太。高校時代、「探求」の時間に、ひたすら蝶の羽の構造を研究し続けていたという、一風変わった青年だ。彼は、その研究から着想を得て、従来のドローンとは比較にならないほど、エネルギー効率が良く、静かで、複雑な気流の中でも安定して飛行できる、次世代のドローンを開発。彼の会社『PAPILLON』は、物流業界に革命を起こし、GAFAの一角である巨大EC企業から、巨額の買収提案を受けていた。
そして、かつて高虫の「剣」として戦った、あの男もまた、新たなステージへと羽ばたいていた。
安野貴は、高虫の引退後、一度は政界を離れた。彼は、自らが育てた『ヤタガラス・ネスト』の仲間たちと共に、サイバーセキュリティのコンサルティング会社を設立。日本の、いや、アジア中の企業の「デジタル主治医」として、あらゆるサイバー攻撃から、人々の資産を守り続けていた。
彼の会社『YATAGARASU』の企業価値は、今や、日本のメガバンクの一つに匹敵するとまで言われていた。
彼らは皆、高虫が遺した子供たちだった。
しがらみを恐れず、前例を疑い、そして、自らの「好き」という情熱を、世界を変える力へと昇華させる、新世代の才能。
高虫蛹が自ら「蛹」となり、硬い殻を突き破ったことで、日本の未来は、ようやく美しい「蝶」たちを、大空へと解き放つ準備が整ったのだ。




