第三部:飛翔(ひしょう) 第21章:10年後の日本
高虫蛹が、歴史の表舞台から静かに姿を消して、10年の歳月が流れた。
世界は、あの頃とはまた違う、新たな混沌の時代を迎えていた。米中のデジタル冷戦はさらに激化し、世界は二つの巨大な経済圏に分断されつつあった。
そんな中、かつて「沈みゆく船」とまで揶揄された日本は、驚くべき復活を遂げ、独自のポジションを確立していた。
2035年、東京。
羽田空港に降り立った、一人の外国人ジャーナリストが見たのは、彼が10年前に取材した国とは、全く違う日本の姿だった。
空港の入国審査は、完全に無人化されていた。旅行者は、生体認証ゲートを通り過ぎるだけで、パスポートにスタンプを押す必要さえない。全ての国民と、許可された外国人のデータは、10年前に高虫が法制化した「国家データ主権法」に基づき、国内のデータセンターで厳重に管理・運用されていた。
空港から都心へ向かう交通手段は、AIが運転する完全自動運転のタクシーだ。車内にハンドルはなく、客席は広々としたラウンジのようになっている。滑るように走る車窓から見える首都高速道路では、物流を担う無人のトラック隊列が、静かに、そして整然と、未来の都市の血流を支えていた。
ジャーナリストが宿を取ったホテルも、チェックインからルームサービスまで、全てをロボットが担っている。
彼が、部屋の端末に、日本語で「今日の東京のオススメは?」と話しかけると、流暢な英語で、AIアシスタントが答えた。
『本日は、気候も穏やかですので、皇居周辺の散策などいかがでしょう。近くには、我が国のデジタル社会の象徴、『ヤタガラス・ネスト』を改築した、国立デジタル博物館もございます』
このAIアシスタントのOSを開発したのは、GAFAではない。10年前に高虫が断行した教育改革の中から生まれた、日本の若き天才たちが立ち上げた、新興のソフトウェア企業だった。
ジャーナリストは、取材のために霞が関を訪れ、度肝を抜かれた。
かつては「紙とハンコの巣窟」とまで言われた日本の官庁街は、物理的な書類をほぼ完全に撤廃していた。各省庁の壁は取り払われ、官僚たちは、フリーアドレスの広大なオフィスで、セクターの垣根を越えてプロジェクトごとにチームを組んでいる。意思決定のスピードは、10年前とは比較にならなかった。
高虫が破壊し、安野が再構築した、新しい行政システム。
それは、日本を、アジアで最もビジネスがしやすい国へと変貌させていた。
そして、その変革の恩恵を最も受けていたのが、北海道と九州に建設された、巨大なデータセンター群だった。
米中の対立が激化する中、世界中の企業は「どちらの陣営にも属さない、中立で、安全なデータの置き場所」を求めるようになった。そこで、白羽の矢が立ったのが、日本だった。
厳格なデータ主権法で、国家による不当なデータ介入を禁じ、世界最高レベルのサイバーセキュリティで、あらゆる攻撃から情報を守る。
日本は、その信頼性を武器に、『アジアのデジタル・スイス』としての地位を確立。世界中のデータと、それに伴う富が、この極東の島国へと、怒涛のように流れ込み始めていた。
ジャーナリストは、取材の最後に、ある経済アナリストにインタビューした。
「なぜ、日本はこれほどの復活を遂げることができたのでしょうか」
アナリストは、窓の外に広がる未来都市を眺めながら、静かに答えた。
「10年前、我々には、一人のリーダーがいました。彼女は、我々が失っていたもの――すなわち、自らの未来を、自らの手で決めるのだという『覚悟』を、思い出させてくれたのです」
「失われた30年」は、終わっていた。
いや、そもそも、失われてなどいなかったのだ。それは、次なる飛翔のために、深く、長く、かがみ込んでいただけの時代だったのかもしれない。
高虫蛹が蒔いた種は、10年の時を経て、日本という大地に、確かに根を張り、豊かな森を育み始めていた。




