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第16章:旧世代の断末魔

高虫の「夜明けの勝利宣言」は、永田町の空気を一変させた。

国民投票に敗れたにもかかわらず、高虫内閣の支持率は、皮肉にもV字回復を遂げた。「脅迫に屈しなかったリーダー」として、彼女はかつてないほどの国民的な支持を得ていた。


そして、彼女は約束通り、その鋭利な刃を、内なる敵へと向けた。

最初の標的は、伊吹大元幹事長だった。


高虫は、総理直属の諮問機関として、新たに『行政刷新・利権検証会議』の設置を電撃的に発表した。その議長に、彼女は検事総長を退官したばかりの、赤木智子あかぎ ともこを据えた。赤木は、そのキャリアにおいて一切の妥協を許さず、いかなる政治的圧力にも屈しなかったことから、「氷の女検事」として、政官界にその名を轟かせた人物だった。


その赤木率いる調査チームは、一切の聖域を認めなかった。

最初の調査対象として選ばれたのは、伊吹が長年にわたって君臨してきた、ある特殊法人。表向きは、中小企業のデジタル化を支援するという名目だが、その実態は、伊吹派の議員への献金ルートであり、引退した官僚たちの天下り先として機能している、利権の巣窟だった。


家宅捜索で押収された裏帳簿から、伊吹派の議員たちへと流れた、不明瞭な金の流れが、次々と白日の下に晒されていった。それは、ABCD・ジャパンをはじめとする、外資系IT企業からの「コンサルタント料」という名目で行われた、巧妙な迂回献金の実態だった。


メディアは、手のひらを返したように、伊吹を叩き始めた。

つい数日前まで「政界のご意見番」と持ち上げていた男を、今や「利権にまみれた旧世代の象徴」と、完膚なきまでに断罪している。


伊吹は、追い詰められた。

彼は、自らが育てた子飼いの議員たちに助けを求めたが、彼らは、国民の支持を失った老いたライオンに、もはや何の価値も見出さなかった。ある者は電話に出ず、ある者は「伊吹先生とは、もう関係ありません」と、メディアの前で冷たく言い放った。


「裏切り者どもが」

派閥の事務所で、一人毒づく伊吹の元に、ついに東京地検特捜部からの「任意同行」の要請が届いた。

テレビカメラのフラッシュが無数に焚かれる中、かつて権勢を誇った老人は、背を丸め、誰の助けもないまま、寂しく車に乗り込んでいった。


それは、一つの時代の、惨めな終わりを象徴する光景だった。

蜘蛛の巣の主を失ったことで、これまで伊吹の顔色を窺っていた官僚組織も、一気に高虫へと靡き始めた。


「総理、例のデータセンターの件ですが、国内企業からの新たな提案が」

「農業DXに関する規制ですが、この際、一気に緩和しては」

高虫が理想としていた、旧来の規制の破壊が、面白いように進んでいく。国民という最強の味方を得た彼女に、もはや表立って逆らえる者はいなかった。


だが、追い詰められた獣は、時に最も危険な牙を剥く。

伊吹の逮捕から数日後の深夜。

高虫は、官邸の寝室で、短い休息を取っていた。その時、枕元の緊急用のホットラインが、けたたましく鳴り響いた。


受話器の向こうから聞こえてきたのは、安野貴の、かつてないほど切迫した声だった。

「高虫さん、今すぐ目を覚ましてください! ヤバい。奴ら、最後のバカな手を打ってきやがった!」

安野が緊急で接続したモニターに、高虫は息を呑んだ。


映し出されていたのは、日本の電力系統を管理する、基幹システムの内部構造図だった。そして、そのシステムの、最も深い中枢部分に、まるで時限爆弾のように、不気味なアイコンが点滅していた。


「ランサムウェア?」

「ただのランサムウェアじゃありません」と安野が続ける。「これは、国家の重要インフラを物理的に破壊することだけを目的とした、極めて悪質な『ワイパー』と呼ばれるタイプのマルウェアです。もし、これが作動すれば、全国規模での大停電、ブラックアウトが発生します」


「誰が、こんなことを」

「伊吹の残党と、彼らに雇われた連中です。おそらく、宮繰が裏で糸を引いている。逮捕された伊吹への報復と、あなたの改革を力ずくで止めるための、最後の、そして最悪のテロ行為だ」


モニターの片隅で、カウントダウンが進んでいた。

爆弾の作動まで、残り30分。


「解除はできるのですね、安野大臣」

高虫は、冷静に、しかし有無を言わせぬ力で尋ねた。

モニターの向こうで、安野はニヤリと、獰猛に笑った。


「当たり前じゃないですか。俺を誰だと思ってるんですか」

「ですが、問題はそこじゃない。敵は、自分たちの正体がバレないと高を括って、海外のサーバーから、この時限爆弾を遠隔操作している。そのサーバーの物理的な位置を、今、うちのチームが特定しました」

安野は、一枚の地図を画面に映し出した。


そこが指し示していたのは、東京の、とある場所だった。

「奴らのアジトです。今から警察のSATを突入させれば、爆弾が作動する前に、現行犯で全員を確保できるでしょう」


「ですが」と安野は続けた。「そのアジトがあるビル、そこは駐日アメリカ大使館の、関連施設です」


高虫は、唇を噛み締めた。

またしても、同じ選択。


敵を捕らえれば、アメリカとの外交問題に発展する。見逃せば、国が未曾有の危機に陥る。

だが、今の彼女には、国民投票の時のような迷いは、もはやなかった。


彼女は、受話器の向こうの安野に、きっぱりと告げた。

「安野大臣。犯人たちの顔写真を、リアルタイムで官邸に送れますね?」


「警察庁長官を、今すぐここに呼びなさい」

旧世代の断末魔が、この国を道連れにしようと、最後の牙を剥いていた。


そして高虫は、その牙を、躊躇なくへし折る覚悟を決めた。

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