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第13章:ヤタガラスの眼

官邸の地下深く。

そこには、日本の সরকারি機関の中でも、その存在を知る者はごく僅かという、秘密のフロアが存在する。内閣サイバーセキュリティセンター、通称『NISC』。そのさらに奥に、安野貴が大臣就任と同時に新設させた、特別な一室があった。


『ヤタガラス・ネスト』――八咫烏の巣。

壁一面が、床から天井までモニターで埋め尽くされたその部屋は、まるでSF映画の宇宙船のブリッジのようだった。室内には、安野自身が全国からスカウトした、十数名の若き天才たちが集結していた。彼らは

皆、安野と同じように、既存の組織や常識に馴染めなかった、異能の持ち主たちだ。


金融システムが麻痺してから24時間。

この巣の中で、彼らは不眠不休の、常軌を逸した集中力で、見えない敵の痕跡を追い続けていた。


「ダメだ! 敵のC&Cサーバーは、少なくとも5つの国のプロキシを経由している。追跡する先から、ログが消去されていく!」

「攻撃に使われたマルウェアは、既知のどのタイプにも一致しない。完全に、今回のために作られたオーダーメイドだ!」


焦りの声が飛び交う。

敵は、圧倒的に巧妙で、狡猾だった。攻撃の司令塔であるサーバーの場所を特定しようとしても、その通信は世界中のサーバーを踏み台にして偽装されており、まるで幽霊を追いかけているかのようだった。


安野は、その喧騒の中心で、目を閉じて椅子に深く身を沈めていた。彼は、指先でキーボードに触れることなく、ただモニターに滝のように流れていく膨大なデータの羅列を、脳内で再構築しているかのようだった。


彼のチームのメンバーは知っていた。この静寂こそ、彼らのリーダーが、常人には見えないデジタルの深淵に、最も深くダイブしている証拠であることを。

やがて、安野が静かに目を開けた。


「おかしい」

彼は、一つのモニターを指差した。そこには、攻撃に使われた膨大なパケットデータの中から、ある特定のパターンを持つものだけが、フィルタリングされて表示されていた。

「敵は、完璧すぎる。あまりに綺麗に、自分たちの痕跡を消しすぎているんだ」

安野は、猛烈なスピードでキーボードを叩き始めた。


「普通のハッカーなら、どんなに優秀でも、必ずどこかに『癖』が出る。だが、こいつらにはそれがない。まるで、AIが自動で痕跡を消去しているかのような、無機質な完璧さだ」

「AI? まさか」

チームの一人が、息を呑む。


「ああ。敵の正体を探すんじゃない。敵が『何を隠そうとしているのか』を探すんだ。奴らが、最も見られたくない場所。そこが、本当の『巣』だ」


安野は、攻撃パターンの分析から、敵の司令塔の追跡へと、アプローチを180度転換した。彼は、敵が残した「見えない痕跡」――すなわち、完璧に消去されたログの「跡地」――を、逆に探知するという、神業的な手法を試みた。


それから、数時間。

投票日を翌日に控えた、土曜日の夕暮れ。

部屋の隅で仮眠を取っていたメンバーも叩き起こされ、巣の中は極限の緊張感に包まれていた。

そして、ついにその瞬間が訪れる。


「見つけた」

安野の呟きに、全員の動きが止まった。

メインモニターに、一つの座標が示される。それは、太平洋の真ん中、何もない海域を指していた。

「バカな。海底ケーブルの分岐点か?」


「いや、違う」

安野は、その座標データを、別の衛星情報と重ね合わせた。

すると、そこには、数時間前まで、一隻の巨大な船舶が停泊していたことを示す、微弱な航跡データが浮かび上がった。


「船?」

「ただの船じゃない」

安野は、その船の登録情報を、防衛省時代にアクセス権を持っていた、軍事衛星のデータベースと照合した。

モニターに、その船の正体が映し出される。


『USS Jimmy Carter (SSN23)』

その名前に、元自衛官だったチームメンバーの顔が、恐怖に引きつった。


それは、アメリカ海軍が保有する、シーウルフ級原子力潜水艦。その中でも、特にスパイ活動や特殊任務に特化して改造された、世界で最も謎に包まれた「サイバー攻撃潜水艦」だった。


「奴らの司令塔は、海の上にあったのか。いや、海の底だ。だから、どんな追跡も振り切れたんだ」

そして、安野は、最後の仕上げにかかった。


その潜水艦から発信された、暗号化された膨大な通信データ。その中に、ただ一つだけ、ごく微弱な、別のシグナルが混じっていた。

それは、潜水艦から、さらに別の場所へと送られた、極秘の通信だった。


安野は、持てる全ての技術を注ぎ込み、その暗号の、最後の壁を突き破った。

解読された通信の発信先。

その名前がモニターに表示された瞬間、ヤタガラスの巣は、水を打ったように静まり返った。


『ABCD HQ Data Analysis Dept.』

(ABCD本社 データ分析部門)


そこには、攻撃の成功を報告する、簡潔なメッセージが記されていた。

証拠は、完璧だった。


アメリカ海軍の特殊潜水艦が、ABCD本社の指示を受けて、日本の金融システムを攻撃した。

それは、GAFAとアメリカ政府が、一体となって仕掛けた、紛れもない戦争行為であるという、動かぬ証拠だった。


安野は、震える指で、USBメモリに全てのデータをコピーした。

そして、総理執務室へと繋がる、赤いホットラインの受話器を、静かに持ち上げた。


「高虫さん。俺です」

「犯人が、分かりました」

その声は、勝利の報告というには、あまりにも重く、苦渋に満ちていた。


彼は、そして高虫も、この証拠が持つ、恐ろしい意味を理解していた。

これを公表すれば、国民は真実を知るだろう。

だがその瞬間、日本とアメリカの同盟関係は、完全に崩壊する。

時計の針は、国民投票当日の午前0時を、刻もうとしていた。

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