推し最高
赤いリコリス咲き乱れる場所。空には真白の満月。
その中央に、影が佇んでいた。
(あ。あぁ……)
影の様に黒い髪に正反対の白い肌。
白いシャツに黒いベストとズボン、黒い革のブーツ。
そんな簡素とも言える装いなのに。
その高身長と相まって、均整のとれたプロポーションはシンプルな装いだからこそ素材の良さが半端ない事を物語っているし、何より顔が国宝級に整っている時点で尊死。
暗く底の見えない切れ長の瞳。怜悧な冴え冴えとした美貌。
私の最愛にして至高。
それは、私の推し。
時は少し前に巻き戻る。
警備本部の天幕へと駆け込むと、一番に私に気づいた先輩が声を上げて駆け寄ってきた。
「ナナ! 良かった、あの場所に居なかったからっ」
どうやら先輩は一度戻ってくれたらしい。
「ご心配おかけしました。でも私もリーリエ先輩が無事で安心しましたよ」
潤んだ先輩の碧眼と、私の手を握る先輩の手が小さく震えているのを見るに、本当に心配していてくれたみたい。良い先輩だわ。
「頭、治癒してもらったの? 他に怪我はないの?」
「大丈夫です。頭の怪我は場所が場所だったから浅いわりに血が出たみたいですね」
グローブを嵌めた手を見せ、笑うと先輩の強張っていた顔が緩んだ。
「無事で良かった……」
「ありがとうございます」
そしてその後はほぼ漫画で知ってるのと同じ展開になった。
違うのは、重症者は出たものの、死者は無かったこと。被害規模が漫画よりも半分近く少なかったことだろうか。
何で半分近く変わったのかは、わからない。とりあえず被害が少なかったのは喜ぶべき事だ。
「ナナ……ちゃん? その目」
先輩の呼び方がプライベート寄りに変わる。この先輩、仕事とプライベートをわりとしっかり分けるんだ。
「え? 目は特に怪我とかした記憶ないんですけど……」
「えっとね、怪我とかじゃないんだけど」
「?」
歯切れ悪く先輩が困惑したように視線を揺らす。
「見たほうが早いね」
そう言ってゴソゴソとポケットを探り、コンパクトを取り出して見せてくる。
騒ぎで埃ぽくなった、赤毛とも金ともつかない肩までで切り揃えられた髪。同じく少し汚れた顔の中で鏡の中から見つめ返す……
「え!? ナニコレ!?」
朝まで見ていたのと同じで同じじゃない、瞳。
具体的には、色。
元々はくすんだ暗めの青みたいな色だった。
それが、何か鮮やかさを増して、言葉にするならライラック。青ではなく、紫に変わっていた。
うわ。しかもよくよく見ると、虹彩に何か五枚花弁の花みたいな模様が見える!?
「視野とかには問題ないのよね?」
「ええ。でも、ナニコレぇ?」
でもって、問題はここからだった。
「ぇ゙」
鏡で確かめるまでは無かった変化。パチッと何かがハマるような音がした瞬間、世界が変化する。
半透明の何か。
そうとしか言えないソレが、大小そこら辺にわらわらと……。
「ナナちゃん!」
お化け!? そう思った瞬間に腰が抜けた。
「り、リーリエ先輩! おば、お化けが! そこら中に!」
「ちょっと、しっかり! 何も居ないよ?」
ウソでしょこれ見えてないの!?
信じられない思いで先輩を見るけど、やっぱり見えてないんだと、先輩の心配そうな顔から悟る。
パニックになりかけたその時、耳に歌声が届いた。
その瞬間、半透明のそれが一斉に浮き上がり、歌声の方へと漂い流れていく。
直後、轟音と揺れが発生。長くないそれが収まると、歓声が湧いた。
「な、なに?」
私と先輩が戸惑っていながら天幕の外に出ると、半壊したステージの上、二組のアイドルが立っていた。
片方は息も絶え絶えで肩を上下させやっと立っている、覚醒したての主人公グループ。
その反対、独りで立っている黒い衣装の冷酷無比な表情で息切れ一つせずにいるのが、漫画で主人公グループのライバルとして立ちはだかったソロアイドル。
「んぎやぁあああ! ナハト様ー!!」
「ひぇっ」
隣りの先輩から絶叫コールが上がった。先輩、そう言えばナハトクライエ推しって言ってたな。
ソロアイドルことナハトクライエ。
他を寄せ付けない雰囲気と鋭く研ぎ澄まされた漆黒の刃のごとき美貌。一人でグループに対抗出来るって時点で強い。
(確か歌唱力、ダンス、演技力の三拍子そろった強敵で最後まで立ちはだかったんだよね……ん?)
気のせい、だと思う。気のせいだと思うんだけど……。
「ひょぇええ! い、いま、こっち見」
「先輩。リーリエ先輩しっかり」
隣でふらっと倒れそうになる先輩の身体を支える。
そして先輩と同様にバタバタと色気にあてられたとでも言うのか、ファンと思われる女性達がバタバタと倒れたり腰砕けになってへたり込む。
怖いわ。漫画だから「へー。かっこよ」って思って済ませたけど、現実で人がバタバタ倒れたりへたり込んで行く光景は異常。怖い。
一旦先輩を天幕の中へ運んで休ませ、慌ただしくサポートに周り、念の為に周辺の見回りを数名のチームで行う事になった。
もちろん今度は装備もある程度調えて。
そして完全に収束と断定出来るくらいになったのを確認して帰ろうとした矢先、視界の隅に捉えてしまった。
後先考えずに、それを追い掛けて。
ヘスト・キール・アンビエント。
「……誰か」
誰何の声さえゾクゾクする。冷たいのに私には何よりも甘く痺れるようにさえ感じる。ヤバい。好み過ぎる。
漫画で初めて見た時から好きだったけど、実物ヤバい。語彙が消えるくらいどストライクっ!
嗚呼っ! しゅごい、ゴミを見るような目になっても美人!
って! 正気に戻らなきゃ。
「あ。こ、この近くでスタンピードが! それで」
「…………」
声が出ない。嗚呼、私の推し、生きてる。