小さな変化。
巻き戻り。
本来時間軸が過去に巻き戻るなど有り得ない現象である。未来へ進むことがあっても過去へ戻ることなど有り得ない。それが多くの人間の常識だった。
その可能性を施すことが出来る者が居るなんて、誰も思わないのが普通だ。普通ならば。
「王妃、何を知っている」
動揺を隠すように扇子で顔を隠した妻を、ナハリは見逃さない。一瞬だけ目を閉じた王妃は、次に目を開けた時には表情を消していた。
「なんのことでしょうか、陛下」
「ラーラ」
王妃の名前を呼ぶが、久方ぶりに夫から名を呼ばれても彼女はもう、動じない。
「陛下。メルト妃のことは了承しました。原因不明の眠り病はまだ続くことでしょう。彼女が受け持っていた河川氾濫対策の工事は、わたくしが代わりに受け持つことに致しましょう」
王妃は「では、これで」挨拶をして、呼び出された国王の執務室から退出しようと頭を下げる。共に呼び出された側妃たちもそれに続こうとしたところで。
「待て。王妃よ。今、そなたはなんと言った?」
ナハリは妻の何気ない話に愕然とし、それを表に出さないように気をつけながらも妻を呼び止めた。
「陛下。メルト妃のことは了承しました。原因不明の眠り病はまだ続くことでしょう。彼女が受け持っていた河川氾濫対策の工事は、わたくしが代わりに受け持つことに致しましょう。そう、申し上げましたが」
ナハリはこの符号に息を殺す。
まさか、王妃たちに託した公務のうち、河川氾濫対策の一環である工事を任されていたのが、メルトだったとは思わなかった。
いや、そうではない。
確かにその工事の公務はメルトに託した、と報告を受けていたのだ。だが、誰が担うのか、それまで気にかけたことなど無かったし、誰が担っても問題無いと思っていた。
だが、今は符号が合ってしまったことに、薄気味悪さを覚えた。偶然だということはナハリ自身分かっている。分かっているが、人智の及ばぬ出来事は、おそらくこういった偶然が積み重なり、必然のように起こり得るのだろう。
「そうか。分かった。頼む」
ナハリは軽く頭を振り王妃たちを下がらせた。
同時に手のものを呼び寄せた。
メルトを調査することと眠り病のメルトの身辺警護をすること。そして王妃と側妃たちの動向を調べることを命じた。
彼らは国王陛下に忠誠を誓った、表舞台には立たない国王の影。国王以外の命令は聞くことがない。代々その存在は国王のためだけに働いてきた。
ナハリが王太子に譲位する時には、王太子に伝えることになる。そうして次代へと繋がっていくものの一つ。
また影は嘘をつくことができない。
それもまた、レシー国の闇の歴史の一部。
「呪術か。王妃はその類のことに詳しそうではあったが、問いかけても答えなかった。さて。メルトの眠り病の原因が分かるものなのか。王妃か余に口を開くのが先か、影たちが何かを掴むのが先か」
どちらにせよ、王妃は、いや、側妃たちも、みな一筋縄ではいかないことは確か。
別にその辺りはどちらでも構わない。ナハリが気にするのはそこではないのだから。
「半信半疑だが仕方ない。河川氾濫対策工事、か。符号が合うということこそが、答えなのかもしれぬ」
執務室にて独り言ちてナハリは、思案に耽るように目を閉じた。
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