魔王の継承者、そして新たな戦いの始まり
魔族の斥候が現れてから、わずか三日。
村は静かにざわついていた。
今まで“雑用係”として誰にも注目されなかったカイ・エルノに、村人たちは奇妙な敬意と恐れを向けていた。
「おい、カイ! 井戸の水、もう汲まなくていいってさ」
「無理に働かなくてもいいぞ。ゆっくり休めばいい」
「……すごかったよ、あのときの光。まるで、英雄の伝説みたいだった……」
そんな声が聞こえるたび、カイはなんとも言えない気持ちになった。
(今まで無視してたくせに、急に持ち上げて……)
だが、それを責める気にもなれなかった。自分ですら、自分が何者なのか分からないのだから。
「……英雄、ね」
カイは呟いて、祠の丘に座る。
その隣には、いつものようにリオがいた。剣を磨く手を止め、ちらりとカイを見る。
「お前は変わってないよ。力があろうがなかろうが、俺の知ってるカイだ」
「……ありがとな、リオ」
その言葉に、少しだけ胸が軽くなる。
だが、安息は長くは続かなかった。
その夜、村の北の森。風の音に紛れ、黒いローブの男が祠の石碑に手を当てていた。
「……確かに反応があった。魔王の力が、動いた」
その背後から、青いローブの女が現れる。目に浮かぶ紋章は――王国魔術師団の印。
「器が目覚めたのね」
「王は、すでにこの村の存在に目をつけた。魔王の力が再び動き出すなら――我々が先に回収しなければならない」
女の目が、冷たく光る。
「“王の敵”になる前に、排除する。それが、私たちの役目でしょ」
足元に咲いた小さな花が、一瞬で枯れた。
◇ ◇ ◇
「……お前は、魔王の血を引く者だ」
翌朝。村の神殿。長老の口から語られた真実は、カイの心を大きく揺さぶった。
「この地には、千年前に討たれた“終焉の魔王”ゼルグの封印がある。そして、その血を継ぐ“器”が、再び力を得る時が来る……そう伝承にある」
「俺が、その器……?」
信じられない。信じたくない。だが、身体が覚えている。あの日、ウサギを吹き飛ばした衝撃。斥候を消し去った光。
「あれが……魔王の力……」
「否。あれはほんの“目覚めの兆し”に過ぎん」
長老の目が、深く、重くカイを見つめた。
「真に目覚めれば、王国すらも震えるだろう。だが、同時に狙われる。王も、魔族の残党も、お前を放ってはおかぬ」
カイは言葉を失った。
(これが、俺に課せられた運命なのか? 最弱と呼ばれて、ただ生きていただけの俺に……)
だが、ふと浮かんだのは――リオの言葉だった。
「力があろうがなかろうが、俺の知ってるカイだ」
その言葉が、胸に灯をともした。
たとえ魔王の血を引いていようとも、自分は――自分だ。
「俺は、逃げない」
ゆっくりと立ち上がる。リオがすぐ傍で、うなずいていた。
「来るなら、迎え撃つさ。俺は……俺の力で、守りたいものを守る」
その瞬間、神殿の奥――古びた封印石が、ひときわ強く赤く脈打った。
(目覚めの時が、近い……)
◇ ◇ ◇
その夜、村の外れ。
黒いローブの男が、満月を見上げて呟いた。
「王も、魔族も、そして“第三の者”も――動き出す」
その手の中には、砕けた封印石の欠片があった。
「器は目覚めた。“あの方”の意思が働く時、世界は再び混沌に沈む……」
風が唸り、遠雷が響く。
そして、まだ誰も知らぬ場所――世界の果ての深き眠りの地で、巨大な魔眼がゆっくりと開いた。
◇ ◇ ◇
――カイ・エルノは知らなかった。
自らが継ぐ力が、この世界の「均衡」を破る鍵になることを。
そして、魔王という存在が、ただの“災厄”ではなく、“世界の守護機構”そのものであったことを――。
(続くかもしれない)