封印が解かれる日――隠された力の覚醒
朝になっても、昨日の出来事は夢だったんじゃないかと思えた。
けれど、井戸に向かう途中、すれ違う村人たちの視線が、どこかよそよそしい。
「……おい、昨日のアレ、見たか?」
「まぐれだよ、まぐれ。あんなヤツが力持ってるわけないだろ」
カイは黙って桶を井戸へ下ろす。昨日、黒いウサギを跳ね飛ばしたあの瞬間――風が渦巻くような衝撃と、赤く光った手のひら。
思い出すたびに、背筋が冷たくなる。
もしあれが、本当に“自分の力”だったとしたら。
(いや、考えすぎだ。俺が、何かできるはずがない)
けれど、それを信じられない者が、一人いた。
「カイ、ちょっといいか」
声をかけてきたのは、親友のリオだった。村の中では優秀な狩人見習いで、銀髪と鋭い目が目立つ少年。
裏の丘に連れていかれ、木陰で向かい合う。
「昨日のウサギ……お前が跳ね飛ばしたの、偶然じゃないよな?」
「は? なんだよ急に」
「俺、見たんだ。お前の手、光ってた。あんなの、“まぐれ”で済ませられるわけがない」
リオの真剣な目に、カイは言葉を詰まらせた。
「俺だって、わけがわからないんだよ。気づいたら、勝手に身体が動いてた。光ったのも、一瞬で……」
「……本当に、何も覚えてないのか?」
カイは小さく首を振った。
そのときだった。
「ギィ……ギィ……」
遠く、森の方向から、軋むような音が響いた。
二人が視線を向けると、一本の木の根元が、黒く爛れていた。
「……瘴気、だ」
リオが声を低くする。
「まさか、魔族の残党か? この辺りに出るなんて……!」
とっさに剣を抜き、駆け出すリオ。カイも思わず後を追う。
森の手前、小さな祠の跡に、それはいた。
人間の半分ほどの背丈。角のように突き出た頭、爪のように尖った手。肌はどす黒く、眼だけがぎらついていた。
魔族の斥候――。
「下がってろ、カイ!」
リオが斬りかかる。しかし、斥候の動きは予想以上に早かった。短い脚とは思えぬ速度で躱し、逆にリオを吹き飛ばす。
「くっ……!」
「リオ!」
思わず叫んだカイに、斥候が目を向ける。
――背筋が凍る。
黒い目の奥で、何かが蠢いていた。“知っている”というような目。まるで、カイの存在を――“血”を――知っているような。
斥候が飛びかかってくる。
逃げられない。動けない。けれど――
(嫌だ)
リオが傷つくのも、村が壊されるのも、自分が「何もできないまま」でいることも――
(俺は……!)
身体の奥で、何かが弾けた。
――ドォン!!
大気が震えるような衝撃とともに、光が爆ぜた。
赤く、脈打つような光がカイの全身を包む。
斥候の身体が空中で引き裂かれたように消え、灰となって散る。
「っ……はぁ……はぁ……」
カイは膝をついた。全身が火照り、心臓の鼓動が耳の奥で響いている。
「……なん、だよ……これ……」
すぐ後ろで、リオが目を見開いて立ち尽くしていた。
次の瞬間。
「何の音だ!?」「魔族か!?」
村人たちが駆けつけ、光に包まれたカイを見て言葉を失う。
誰かが、ぽつりと呟いた。
「……あいつ、あれ……人間なのか……?」
その言葉が、ナイフのように胸に突き刺さる。
カイの肩が震える。
けれど、リオはその背中に手を置いた。
「お前は……お前だ、カイ。たとえ何者でも、それは変わらない」
カイは、何も言えなかった。ただ、うつむいたまま、唇を噛んだ。
そして、群衆の中にいた一人の老人――神殿の長老が、静かに呟いた。
「やはり、お前が“器”なのか……」
その言葉が、すべての始まりを告げていた。