二
統合幕僚監部地下三階、特別会議室B。施設内で最も厳重な警戒態勢が敷かれた一室に、七名の参加者が集められていた。電磁波遮断が施された壁面に囲まれ、通信機器の持ち込みは一切許可されていない。
「では、作戦概要の説明に入ります」
統合幕僚長の井波実が、テーブルに広げられた北方領土周辺の詳細な海図に視線を向けた。従来の作戦会議では見られない緊張が、室内に充満している。
「昨日十四時現在、択捉島東方沖百二十海里の地点で、ロシア海軍の新型原子力潜水艦R-29型が消息を絶ちました」
スクリーンに映し出された衛星写真には、海面に浮遊する微細な油膜の痕跡が記録されていた。
「二時間後、同海域で海上自衛隊P-1哨戒機が不自然な放射線量の上昇を観測。ロシア側からは公式、非公式を問わず、一切の通知がありません」
「事故の可能性は?」防衛大臣政務官の鷹野が口を開く。
「現時点では、第三国の関与も視野に入れて調査を進めています」情報本部長の沢木の言葉に、篠原は目を細めた。
極東ロシアの政治的混乱。それに付け込むように活発化する、某大国の極東進出。そして日本の排他的経済水域との微妙な位置関係。全ては、綿密に計算された展開だった。
「篠原将補」井波が声を向ける。「貴官には、特別調査部隊の指揮を執っていただく。表向きは日露共同捜索救難演習の一環として、潜水艦の捜索に当たる」
「了解いたしました」
「ただし」井波は言葉を区切った。「これは単なる捜索救難活動ではない。潜水艦の真の状態、そして――その艦内に搭載されていた可能性のある重要機密の確保。これが任務の本質です」
重要機密――その言葉の真の意味を、篠原は直感的に理解していた。北方領土と極東アジアの軍事バランスを一変させかねない、ある種の技術か、あるいは情報。
「作戦開始は明日未明。コードネームは"深海の記憶"」井波が続ける。「自衛隊として初の極秘潜水艦救助活動です。国際法上のグレーゾーンを突く作戦であり、かつ、状況次第では重大な外交問題に発展する。慎重な対応を」
「どこまでの権限が?」篠原が問う。
「現場での判断に委ねます」井波の表情は固い。「ただし、いかなる場合も自衛隊の活動であることを露見させてはならない。事態が破綻した場合、全ては現場指揮官の単独判断という形を取ることになります」
篠原は無言で頷いた。それは、最悪の場合、全ての責任を自身に被せる形で幕引きを図る――という意味だ。
「なお」沢木が補足する。「ロシア太平洋艦隊の動きに加え、中国海軍の北艦隊所属艦艇の異常な活動も確認されています。恐らく、彼らも同じ情報を掴んでいるのでしょう」
会議室の空気が、より重く沈んだ。三か国の思惑が交錯する極東の海で、篠原は何を見出すことになるのか。そして、その先にある真実は――。
式典での宣誓が、まだ耳の中で鳴り続けている。