7、告白2
教室でも二人で話すことはなくなった。
今までなら考えられないことだ。クラスが違った時でも、俺はしょっちゅう一臣の所へ遊びに行っていたというのに。
同じグループにいても、同じ空間にいるだけで話すことはない。部活の間も、事務的なことは話すが、それ以上は話さない。向こうも話しかけてこない。俺からも話さない。
結果的にこういう日々になってしまった。
これは一体なんなのかと虚しくなる。倦怠期を迎えた夫婦ってこんなんか?って想像してみる。
でも、おそらく、この状態にしたのは俺なんだろう。
原因は一臣だが、結果的に俺が戸惑って避けているから、こんなことになっているんだろう。
さすがに、どうにかしないといけない。
大体、いきなり親友にキスしてこられたら、誰でも戸惑うだろ。一言くらい謝ってこい。って、俺が避けてて二人になれないから謝れないのか。
俺は深い溜め息を吐いた。
悩んでいても仕方ない。とりあえず、どうなるか分からないが、話し合いをするか……。
「どうしたの?」
「おわっ!」
顔面に桜井先生のアップが迫ってきて、俺は思わずのけ反ってしまった。
「そんなに深刻な顔つきの楢崎くん、初めて見たわ。本当にどうしたの?」
渡り廊下の端でうずくまっていた俺に、桜井先生が声をかけてくれた。
俺はかなり深刻な顔つきをしていたようで、先生の八の字眉はこれ以上ないほどに下がっていた。
放課後の渡り廊下はかなり薄暗い。いつもは賑やかな場所があまりに静か過ぎて、俺はいつの間にか考え込んでしゃがみこんでしまっていたようだ。
心配してくれたことが嬉しくて、俺はちょっと笑った。
「いや、大丈夫。なんでもないです」
「なんでもないって顔じゃなかったわよ」
「いや、マジで大丈夫だから。先生はなにしてんの?」
「職員会議が終わって、教室の忘れ物を取りに行ってただけ……」
心ここに非ずの返事は、まだ俺の心配をしているからだろうか。だが、俺は早くこの場を切り上げたかった。
「そっか。俺も部活が終わって、宿題の忘れ物を取りに戻ってただけ。もう帰る」
「楢崎くん、何かあったんじゃない? かなり辛そうに見えたけど……」
「そんなことないよ」
「あの……私でよかったら話、聞くわよ」
諦めない先生に、ん~……と俺は思わず唸ってしまった。
そんなレベルの悩みではない。適当に受験の悩みとでも言っておこうか。
そう思いながらも、口から出た言葉は違っていた。
「あのさ、俺が悩みを相談して、先生は解決してくれんの?」
「もちろん、絶対に解決できるとは限らないけど、話して楽になることもあると思うの。一人で悩んでいるよりも二人で悩む方が絶対に楽よ」
「言ってることは分かるんだけど、やっぱいいよ。大体、担任でもないんだし、俺の悩みの相談に乗ったところで、先生になんか意味あんの?」
「担任とか関係ないわよ。悩んでる生徒の相談に乗って、少しでも勉強に集中できるように務めるのが先生の役目だもの」
途端、俺の心は一気に冷めてしまった。
生徒の相談に乗って、勉強に集中できるように務める?
どうしてだろう。俺の心配ではないように聞こえる。
俺自身ではなく、この学校に在学している一生徒のことなんだと――
「先生に関係ないだろ! マジでいいからほっとけよ!」
気づいたら怒鳴っていた。
いつもの俺とは違う口調に、先生はビックリした顔をした。
ヤバイ。つい怒鳴ってしまった。
他の人の前では見せるのを躊躇う素の自分を、なぜかこの人の前では簡単にさらけ出してしまう。
傷つけたかな、と思ったが、先生は真顔で俺をまっすぐ見据えた。
「ほっとけない。本当に苦しい悩みは、自分から聞いてほしいって言えないものだって知ってるもの」
返す言葉が見つからなかった。俺のことを見透かされたようだった。
先生はすぐに気を取り直して、小さく微笑んだ。
「分かったわ。じゃあ、またよかったら、いつでも話してね」
すぐにその場を去ろうとする先生に、俺は慌てて二の腕を掴んだ。
「ちょっと待って」
「離しなさい」
先生は振り向かずに向こうを向いたままだった。俺は先生の背中に謝るしかなかった。
「先生、怒鳴ってごめん」
「いいのよ、大丈夫。気にしないで。私がしつこく聞いちゃったから。だから、離して」
「待って先生、こっち向いて」
「離しなさい」
「先生」
「離してっ」
その瞬間、先生の横顔が見えた。涙が頬を伝って落ちた。泣くのを我慢していた。
それに気付いた俺は、心臓が大きく羽上がった。
ヤバイ。
もう無理だ。我慢できない。
思わず、先生を後ろから抱き締めた。
「先生が好きだ」
先生の耳元で囁いた。小脇に抱えていた彼女の仕事の書類が床に散乱した。
俺の心臓の音が激しく打つ。
ぴったり付いている先生の背中に、俺の心臓の音が響いて届いているかもしれない。
抱き締めている俺の腕の中で、先生は身動きひとつしなかった。それどころか、小さな彼女の体は、あからさまにガッチガチに固まってしまっていた。
抵抗するでもなく固まったままの先生に、俺は心配になった。
「先生……大丈夫か?」
辛うじて、先生はこくこくと小さく頷いた。
俺の腕の中にすっぽりおさまる小さな体が、ますます強張っているのが伝わってくる。
怖がっているようなので、可哀相になって、俺は先生から離れた。
彼女の足元に散らばった書類を全て拾い上げる。
「返事はいつでもいいから考えといて。とか言って、ほんとは今すぐにでも欲しいんだけど。でも、こんな風に告らなくても、どうせ気付いてただろ?」
立ち上がって、書類を差し出しながら先生の顔を見ると、彼女の顔は肉眼でもハッキリ分かるくらいに真っ赤に染まっていた。しかも呆然としている。
「先生?」
先生の顔の前で手を振ると、先生はようやくハッと我に返った。
オレは心配になってきた。
「もしかしてショックだった? 俺に抱き締められて嫌だったのか?」
「嫌っていうか……なんかちょっと……ちょっとっていうか、かなりビックリしちゃって……どうしたらいいのか……頭が真っ白になっちゃって……」
焦りながらも必死に答えてくれる先生に、俺は思わず吹き出した。
「先生って、反応が乙女だな。あんまり恋愛してこなかったのか?」
「……そうね。あんまり、人を好きになったことはないかもね」
「そうなんだ」
「先生になってからまだ三年目だから、今は仕事で手がいっぱいで恋愛どころじゃないし……」
「ふ~ん、真面目に生きてきたんだな~」
「そうだけど、真面目でダメなの?」
ちょっと不機嫌になった先生の表情に思わずにんまりすると、途端に先生の表情は「なになにっ?」と警戒の色に変わった。
「ダメじゃない。俺が嫌いなわけじゃないんだろ?」
「……別に楢崎くんのことはなんとも」
「ということは、俺にも可能性はあるってことだよな」
「ええっ? でも、あなたは」
「あ、生徒だからダメだとかなしだからな。誰かに迷惑かけるわけでもないし、俺のことを好きになっても別にいいだろ」
「ええ? でも、やっぱり先生は生徒を恋愛対象として見ちゃいけないんじゃないかなぁ……」
「堅いなぁ~」
「堅くないわよ、普通の考えです」
「あのさ、そんなん言っててもどうせ無理だって。恋愛って、生徒だからダメだとか頭で考えてしないから。心でするもんだって」
「……そうは言っても世間体もあるしねぇ……」
「ぶはっ」
俺は思わず吹き出した。
若くて美人なのに、ギャップが凄い。電信柱で駄弁ってる近所のおばさんみたいな発言をする先生は、かなり理性の塊みたいだ。なんか、THE先生って感じだ。
「まあ、いいや。気持ちを伝えられて良かった。返事、待ってる」
笑った俺に、先生は困ったような、恥ずかしいような、複雑な顔をしていた。
俺のことで反応してくれているというだけで、俺は嬉しくて仕方がなかった。
ただ、期待できる答えじゃないことは容易に想像がつく。
返事を知るのが怖い。
だけど、自分の想いを伝えられたことは思いの外、嬉しいものだった。
人生は長い。いつかは深く傷ついたりすることもあるだろう。今回がその時なのかもしれないな、と頭の片隅で覚悟している俺がいる。
もしかしたら、一臣もこんな風に同じような苦しい思いを味わっているのだろうか。
いや、もしかしたら、それ以上かもしれない。
俺はフラれて終わりで済むが、一臣は嫌われるのが怖くてたまらないと苦しんでいるのかもしれない。だから今まで打ち明けずにいたのかもしれない。
俺が一臣を嫌うことなんて絶対にあり得ない。
その事だけでも伝えてあげた方がいいように思う。
それが、親友としてしてあげられる、唯一のことのように思う。