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4、誤解

廊下を歩いていると、桜井先生が見えた。

次の授業の教室移動だったため、会話は無理だから、「先生、おはよー」と軽く手を上げた。

すると、いつもなら「おはよう!」とハイタッチをしてくれるのだが、今はどこかよそよそしい雰囲気で、「おはよう」と小さく会釈すると、そのままスピードも落とさずにさっさと通り過ぎてしまった。


思わず立ち止まる俺に、両サイドから生徒が、どんどん追い抜いていく。川の流れを塞き止める石のように、まるで、一人だけその場に取り残されたような感覚になった。

どういうことだ? 気のせいか?


翌日も、廊下で会ったので喋ろうとしたら、「急いでるから、ごめんね」と小走りで去っていった。

更に翌日も、「次の授業が入ってるから、ごめんね」とスルーされた。

おかしい。気のせいなんかじゃない。


平等に接するという先生の法則が崩れた。特別視してくれてはいるが、こんなにも嬉しくない特別視を望んでいたわけではない。

どういうことだ? 俺、なんかしたか?

俺は混乱した。

正直、アンジー先生が母国に還った時よりも、比べ物にならないショックだった。






放課後になった。

俺と一臣はいつものように部室で着替えると、体育館に入ってバッシュをはいた。高一の時から毎日のようにやっているルーティンなので、目を瞑ってもできるかもしれない。


俺と一臣はバスケ部で、高三の今でも部活を続けている。

受験のこともあるので、高二の夏から本人の好きな時期に引退を選べることになっているが、高二の夏のインターハイが終わった直後に高三のメンバー全員が監督と顧問に引き留められ、秋の国体が終わった直後に「もうちょっと……」と引き留められ、冬の選抜でも同じように引き留められ、結局そのまま、ずるずると夏のインターハイまでやることになってしまった。


でもまあ、勉強時間は削られても、バスケは好きだし楽しいし、引き留められなくても早めの引退はしなかったと思う。バスケ部のメンバーと、夏のインターハイ出場と優勝を目指す青春は今しかできないからだ。


部活を終えて部室を出ると、まだかなり空が明るかった。日が暮れるのが遅くなってきたのが、なぜか得した気分になる。

正門に向かうため、校舎と校舎の間を抜けていたら、頭上の渡り廊下を桜井先生が歩いているのが見えた。一人だ。


「一臣、悪い、先に帰ってて」


いつも一緒に帰っている一臣に言い残すと、俺は先生に向かってダッシュした。

廊下を走って探しまわり、角を曲がる先生の姿を微かにとらえた。

思わず「先生!」と叫びながら走っていくと、階段の踊り場で、桜井先生が立ち止まって俺を見上げていた。


「楢崎くんだったの」


驚いていたが、すぐに気を取り直して聞いてきた。


「部活、終わったの? 今から帰り?」

「ああ、そうだよ」

「お疲れ様、気をつけて帰ってね」


小さく笑ってそのまま階段を降りようとした先生に、俺は慌ててすぐそばまで駆け寄った。


「ちょっと待って」

「え? なになにっ?」


戸惑った表情で俺を見上げる先生に、俺は意を決して聞いてみた。


「なんか、俺のこと避けてないか?」

「そんなことないわよ」

「そんなことあるから聞いてる」


見下ろしてドスの効いた声を出すと、先生は視線を斜め下に這わせた後、おずおずと語り始めた。


「……その……楢崎くんて、女の子にすぐに手を出すみたいなことを聞いちゃったから、ちょっと怖くなっちゃって……」

「はぁ? 誰がそんなこと言ったんだ?」

「まあまあ、誰でもいいじゃない」

「一臣だな」

「えー? 違う子だったなー?」

「じゃあ、誰?」

「えーっとえーっと……あれは~確か~……」

「一臣だな、分かった。あいつ後で殺す」

「別に殺さなくても……」


ぶちギレしている俺に、先生は「まあまあ、そうとんがらず」と、のほほんと宥めてきた。

これが穏やかでいられるか。

やっぱりだ。また好きな人が被った。いくら先生が好きだからとはいえ、こんなライバルの蹴落とし方は卑怯だろ。あいつ、後でマジで殺す。


「こんなもん、殺すに決まってるだろ。勝手に誤解されて耐えられるか」

「あのね、楢崎くんって新堂くんと仲がいいから、私から無理やり聞いたの。新堂くんは教えてくれただけだから、怒らないでほしいんだけど……」

「それにしたって教え方に悪意があるわ。言っとくけど、みんな向こうから告白してくれたし、キスも向こうからだし、セックスも向こうから誘われたわっ」

「……そうなんですか」

「ちゃんと付き合っててセックスしたんだから、なんか問題あるか?」

「……ないです」

「今まで俺から迫ったことは一度もねーわ。そんなんで女の子にすぐに手を出してるとかやめてくれ」

「分かった分かった、誰でもいいみたいな感じに受け取っちゃって、それは誤解だったわ、ごめんなさい」

「分かってくれたらいい」


不機嫌な俺に、先生は上目遣いでおそるおそる聞いてきた。


「……ちなみに」

「なに?」

「ころころとカノジョが代わってて、歴代のカノジョが大勢いると噂で聞いたんだけど……」

「なんか……総理大臣みたい」

「来る者拒まず、去る者追わずみたいな感じだと聞きまして……」

「……確かに」

「これはどういう風に受けとればいいのか……」

「それを聞いてどう思った?」

「とっかえひっかえしてるのかな~?みたいな……」

「そうか……。確かに俺から別れてほしいと言った。でも、それには理由があって、俺って束縛されるのが嫌いなんだよ。どの子もいい子だったけど、束縛がどんどんひどくなってきて、どうしても無理で別れてもらいました。なんか問題あるか?」

「……ないです」

「被ってた時期は一度もないわ。遊びじゃなくて、今までのカノジョのことは別れるまでちゃんと好きだったよ。なんか問題あるか?」

「……ありません。いろいろ失礼しました」

「誤解が解けたならいい」


不機嫌な俺に、先生は更におそるおそる聞いてきた。


「あの……」

「なに?」

「余計なお世話かもしれないけど、今までのカノジョさん全員が束縛してきたってことは、不安だったんじゃないかなぁ」

「なんだ、それ? どういうこと?」

「例えば、ちゃんと好きって言わなかったとか」

「言ってたよ」

「じゃあ、ラブじゃなくてライクだったとか」

「ラブじゃなくてライク……」

「カノジョさんに対して独占欲がなかったとか」

「…………」

「ヤキモチ焼いて怒らなかったとか」

「…………」

「カノジョさんのヤキモチが面倒臭かったとか」

「…………」

「自分からデートに誘わないとか」

「…………」


全部、当てはまる。

「友達からで」と告白されて、「じゃあ友達からで」と付き合いだして、向こうからデートに誘われて、向こうからキスされて、向こうからセックスに誘われて、確かに全部、俺から発動したことはない。


ひょっとして、流されていただけ?

いや、でも、好きじゃないとキスもセックスもしないし、俺なりにちゃんと好きだったつもりだ。

……けど、確かにライクだったかもしれない。今の話を聞いていたら、すべて当てはまる。不安にさせていたのかもしれない。


「部活があるから、土日のデートはほとんど無理」だった。一緒に帰りたいからと部活を待っててくれるのが嬉しいよりも面倒で、「待ってなくていい。集中できないから帰ってほしい」だった。

一緒に登校したいと言われても、「ギリギリまで寝ていたいから無理」だった。


でも、キスもセックスも抵抗はなかった。みんなが見ている教室で、平気でキスもしていた。

俺からじゃなくておねだりされたやつばかりだったけど、キスは好きだし、優しいいい子だし、付き合ってるし、別に断る理由もないし、まあいっか、みたいな……。それになにより、俺はこれが好きだという感情なんだと思っていた。


でも、違った。桜井先生を想う気持ちとは雲泥の差だ。


今なら分かる。ラブとライクの決定的な違いは欲の強さと自我のコントロールだ。

今までは受け身だったが、先生に対しては正直やりたいことだらけだ。

もっと喋りたいし、手を繋ぎたいし、抱き締めたいし、キスもセックスもしたいし、先生の何もかもを知りつくしておきたい。

優しくしたいけど、思わず、めちゃくちゃにしてしまいたくもなって、いつもその感情が沸き上がってくると、ギリギリのところで踏み留まって、紳士な自分を無理矢理キープする。


人を本気で好きになるとは、こういう感情だったのか。これが恋か。……って、我ながら遅い初恋だ。


「ライクだったかも……。付き合ってるし、いい子だし、俺を好きになってくれて嬉しかったし……ライクでセックスしたらダメだったのかな……」

「ラブになってくれるのを待ってたんじゃない? ずっとあなたがライクのままだったから、自分だけが好きで不安だから……思わず行動に出ちゃったんじゃないかなぁ」

「そっか……。不安だから束縛するのか……。俺が不安にさせて、束縛するようになっていったのか……。俺ってメンヘラ製造機だったんだな……。なんか、今までの人に悪いことしたなぁ……」


思わず呟いた俺に、先生は、ふふふっと柔らかく笑った。


「なに笑ってんの?」

「素直に反省してるなぁ~と」

「……あのさ、もう俺の元カノの話はやめよう。先生とは別の話をしたい」

「そういえばそうね。もう終わりにしましょうか」

「じゃあ、今から俺のことを避けるのはやめてほしい」

「分かりました。元に戻します」

「良かった~……」


脱力して笑った俺に、先生も同じように笑い返してくれた。

不思議だ。 元に戻っただけなのに、先生により近付けたような気がする。


俺は、先生というのは、どこかで「先生」という存在のような気がしていた。でも、そんな「先生」のはずの人が、俺に迫られて怖くなって避けてみたりするのか。俺を「生徒」ではなく、一人の男として意識してくれていたのか。

なんだか、急にただの一人の女性に思えてきた。

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