24、禁断症状
十一月になった。
校舎の木々が紅葉に色づき、太陽に当たっている箇所は、真っ赤に燃えているような鮮やかさを放っている。
桜井先生に接する頻度が急激に減ったからか、俺がフラれたらしいと噂になっていた。好都合なので、「ハイハイ、そうですよー」と答える日々が続いた。
すると、夏祭りにポップコーン作りをしていた一年生から、やたらと声を掛けられるようになった。なんと、俺のことを忘れていなかったのか。一緒に遊びに行きませんかと誘われたりもしたが、受験勉強に集中したいから行かない、と言い回る日々になった。
先生に接する頻度が減るほど、愛しさが増していった。
職員室に質問に行かなければ、一日会わない日もあった。
廊下で会った時に、みんなと一言二言交わすだけの存在になっていった。その他大勢の生徒の一人になったような淋しさが俺を襲った。
好きな人と逢えばキスとセックスが当たり前だった俺にとっては、これって付き合ってるって言っていいんだっけ……?みたいな感覚になっていった。
いや、付き合ってはいないんだけど。卒業までは教師と生徒なんだけど。
月並みな表現だけど、先生と二人きりの世界だったら、どれほど楽しいだろうとか本気で考えてしまう。
誰にも邪魔されず、俺だけの先生でいてくれるし、先生は俺だけを見てくれる。想像するだけで鼻血を吹きそうだ。
でも、現実は違う。あまりにも物足りない。
以前のように、みんなに気付かれないよう、すれ違いざまに手を触れるだけになった。
なぜだろう。今まではこれだけのことで有頂天だったのに、人間って欲深い。
先生と一対一で話したい。
ヤバイ。
――禁断症状が出そうだ。
二時間目の数学の授業は、視聴覚室でNHKの「神の数式」を観ることになった。他のクラスより進んでいるので調整するためらしい。
「面白いからよかったら観てね。前の方だけ電気を消すし、勉強したい人は後ろの方に座って勉強しててもいいからね。もちろん、寝たい人は寝ててもいいよー」
と、先生は説明した。
遮光カーテンを閉めて前列の電気を消し、先生は映像をスタートさせた。
未だ謎のままの宇宙の始まりを解明できるかどうかという話だった。
ブラックホールの奥底を計算する数式が、宇宙誕生の瞬間を説明できる神の数式とされている。
標準理論の素粒子の数式と、一般相対性理論の重力の数式を束ねる数式があれば、ブラックホールの謎を解き、宇宙の始まりが分かるのではないか、というものだった。
しかし、素粒子の数式と重力の数式を掛け合わせても、計算不能になってしまう。
素粒子は小さな点だとされてきたが、点だと計算不能になるので、もしかしたら点ではなく、輪ゴムのような形なのではないか。そこで、輪ゴムのような形の超弦理論という数式が注目を集めた。
だが、この超弦理論が正しいならば、少なくともこの世は十次元でなくてはならない。
縦、横、高さ、時間の四次元の世界のはずが、残りの次元はどこにあるのか。
当時は見向きもされなかった数式だが、今は超ミクロに隠れている異次元だとされている。
一本の綱で例えると、人間には一本の一次元だが、小さなてんとう虫にとっては面であり二次元だ。
より小さい世界に視点を移すと、隠れていた次元が見えてくる、ということだ。
ここまでで時間切れとなった。続きが気になる。
凄く興味深い話だった。自分は気付いていないだけで、この世は十次元以上あるかもしれないなんて面白い。
難しいことだが、先入観を捨て去らなければ、新しいことや真実には気付けないことが分かった。
授業終了のチャイムが鳴った。
生徒の流れに従って視聴覚室を出て自分の教室に向かおうとしたが、「あ、忘れ物」と言って俺だけ戻る。
視聴覚室に入ると、桜井先生は電気を全て消し終わったところだった。
二階に位置する、この教室の窓からは、真っ赤な紅葉と、右端に渡り廊下が見えた。教室に戻るため、生徒たちが渡り廊下を歩いて小さくなっていくのが見える。
まるで紅いステンドグラスのように、紅葉の仄かな紅い光が柔らかく室内に入り込んで揺れていた。
「先生」
「あ、遼介、忘れ物?」
「別に。先生と久々に二人で喋りたいな~と」
ふふふと先生は柔らかく笑った。
一対一で話すなんて何日振りだろう。これだけのことで俺の胸は踊った。
「あと五分くらいしか話せないわね。なに話そうかな~」
持っていた書類を教卓に置くと、先生は細い手首に巻かれた腕時計を見る。同じ箇所に巻かれていた細いブレスレットがさらりと揺れた。
「あ、そうだ。忘れないうちに先に渡しておくね」
突然、手のひらサイズの紙の封筒をポケットから出して手渡された。
封筒から出してみると、それは合格祈願と書かれた紺色の御守りだった。
あれ? 戻ってきたのは偶然だったのに。もしかしたら、いつでも渡せるように、ずっと持ってくれていたのか。
御守りも嬉しかったが、その事が無性に嬉しかった。
胸にじんわりと嬉しさが溢れてくる。
「ありがとう。俺、頑張るわっ」
「うんっ、ファイト!」
先生は両手で握りこぶしを作って笑顔で励ましてくれた。
なんだかほんわか癒された。
受験生に「頑張れ」はプレッシャーになるから禁句だと聞いたことがあるが、先生の「ファイト!」は素直に頑張れる。
先生の纏うふわふわした空気感がそうさせるのか、いつでも俺を穏やかな気持ちにさせてくれる。自然と、ずっとそばにいたいという気持ちになってくる。先生だけが持つ、柔らかな空間だ。
限られた時間の中で、他愛ない話をした。ドラマとか、無料のゲームアプリとか、駅前の新しくできたパン屋の味のこととか。
そこで、ふと思い出した。
ウシシ笑いをしながら話す。
「あのさ、この前、チョークホルダー落としただろ? 俺、実はチョークホルダーを渡すとき、先生の手を引っ張って抱きしめちゃおうとか考えてた」
「あ、私も……」
何かを言いかけて、先生はやめた。
「なに?」
「う、ううん、なんでもないっ」
「嘘だ。絶対になんか言いかけた」
「なんでもない」
「あやし~……。そんなに言いにくいことか?」
「う、ん……」
「ほらほら、言えって」
促す俺に、先生が遂に根負けした。
真っ赤になりながら、何かに遠慮するみたいに小さな声で言った。
「……チョークホルダーを取ってくれてる時の遼介の背中を見て……後ろから抱きついてみたいなと思っちゃったなと……」
その時、チャイムが鳴った。
先生の口が「あ」という形になって驚いた顔をした。
「遼介、授業っ」
「別にいい。倫理だし、遅れていくから気にすんな」
「でも……」
先生は心配しているが、俺は別のことが気になって、授業のことなどどうでもよくなった。
「なんで言うの我慢した……?」
「…………」
「なんで?」
先生は、少し困った顔で、切なそうにごまかすみたいに笑った。
「……なんか、いけないことみたいな気がして……」
「別にいけないことじゃない。俺が嬉しいだけだろ」
「……うん、でもね……今は教師と生徒だから……」
「言うのもダメか?」
「……私、不器用だから、卒業まではそういうのもなしにしようと思って……」
真面目な先生らしいというか、なんというか。
おそらく、校長先生やその他の人達からの信頼を裏切るみたいな気持ちになるのだろう。
それは分かる。分かるが……俺はどうしても納得できなかった。
「いーや、言うのはOKにしよう」
「ダメ、なしにしよう」
「いーや、俺は言いたい」
「ダメ、教師と生徒はそんなこと言わないもの」
分かってる。分かってるけど。キスもセックスも我慢してるのに、言うのも我慢できるか。なぜ、そこまで自制しないといけないのか。
「そんなもん知るか。誰にも迷惑かけてない」
「卒業までの間だけだから」
「突然なんだよ。呼び出し食らったからか?」
「うん……それもなんだけど……。なんか私、おかしい……。車の中で遼介にキスしちゃったり……あんなことにならないようにしたいの……」
「え、あんなので? ノーカンにした軽いキスだろ? 俺からしたら全然足りない。もっと俺のこと好きになってほしい」
先生の顔が真っ赤になった。
「……遼介って、そういうこと平気で言う。遼介には足りないかもしれないけど、私にはあれは凄いことなの」
「そうなのか」
「そうなの。もっと好きになってほしいって言ったけど、私はもうこれ以上は無理ってくらい好きだから」
「えっ、全然イチャイチャしてないのに、もう俺のこと最大限に好きなのか?」
先生は頭を抱えてしまった。
「イチャイチャの度合いが好きの大きさに比例してるわけじゃないの。遼介は知らないだろうけど、私は遼介が好きすぎて、溢れすぎちゃって……あの時に思わずキスしちゃったの」
「……そうなのか。俺は好きになったらすぐにキスしたくなるから、先生はまだかなー?みたいに思ってた。やっとキスしてくれたなー、ちょっとは俺のこと好きになってきたんだなーぐらいに思ってた」
自分の見えている世界が全てだと思い込んでいてはダメなんだ。十次元の話じゃないが、早速、改めさせられた。
「全然違うから。なんか、これ以上、遼介にいろいろ言われたら、私、遼介のことで頭がいっぱいになっちゃいそうで怖いから……とりあえず、やめようか……」
「いーや、言うぐらいはOKにしよう。そんなに悪いことじゃない」
「でも、今は教師と生徒だから……身を引き締めたいと言うか、自重したいなと……。卒業後のデートができるだけで、私、十分幸せだから」
「嫌だ、言いたい」
「あと四ヶ月だけだから」
「そんなもん知るか。先生が好きだ」
「言わないで」
「好きだ」
「言っちゃダメってばっ」
俺は先生の困っている顔を両手でそっと挟んで触れるだけのキスをした。
先生の潤んでいる瞳をまっすぐ見据える。
「俺は言いたい。先生が好きだ」
もう一度、軽くキスをする。やめたくない。
もう一度だけキスをする。ヤバイ。やめられない。
もう一度だけキスをする。もどかしい。いちいち離したくない。そのまま離さずにキスを続ける。
もう無理だ。どうなってもいい。
「先生、口開けて」
と、お願いして、俺は舌を入れた。
倫理だか道徳だか健全な精神だかなんだか知らないが、先生と二人でいたら、そんなものはどこかへ吹っ飛ぶ。
恋愛なんて、一種の麻薬みたいなものだ。理性でコントロールできるうちは、まだまだ中毒が回っていないんだ。今の俺は、完全に先生の中毒に侵されていた。
先生の熱い柔らかい舌を絡めていると、俺の脳内はぐちゃぐちゃに掻き回されるみたいに理性が壊されていく。
先生の髪に触れて、背中と腰と、先生の体のラインを確認するように全部を両手でなぞって這わしていく。こんなに華奢で小さい。俺がちょっとでも誤って力を加えてしまったら壊れてしまいそうだ。
優しく扱わなければという思いと、愛しすぎて、もういっそのこと、めちゃくちゃに壊してしまいたいという衝動的な思いが激しく交錯する。
キスを止めて、息切れしながら先生のおでこに俺のおでこをくっつけて聞いてみる。
「先生は……?」
「なに……?」
「俺のこと、どう思ってんの?」
「…………」
「先生の口から聞きたい」
迷いながらも観念したみたいに、ぎゅっと目を閉じて先生は消え入りそうな声で呟いた。
「……好き……」
火照った頬に潤んだ瞳で見上げてくる先生に、腹の底からじわじわと喜びが沸き上がってくる。絶対にこの表情を誰にも見せたくない。
俺の中で、リスクと痛みを伴ってでも手に入れたいという強烈な誘惑と衝動が沸き上がってきた。
先生と一緒なら、どうなろうが何も怖くないというヤバイ感情。
まるで、麻酔が効いてるから何も痛くないみたいな麻痺した感覚だった。
「先生はこの時間の授業はないんだな……?」
「ないけど……次の授業の準備だけちょっとする……。それがどうしたの……?」
「キスだけじゃ足りない。先生がもっとほしい」
返事を聞かず、俺は先生のスカートに手を入れた。
体を固くした先生に、俺は片手で背中を抱き寄せて首筋にキスを這わしていく。
先生は止めなかった。俺の右手の中指が、先生の下着の隙間をぬって、熱い所に触れた。
「……んん……っ」
先生の体がビクッと跳ねた。
顔を見ると、火照った顔が更に赤くなっていた。もう一度触れると、また身を捩って吐息を吐いてくれた。
俺が出させてるんだと思うと、腹の底から嬉しさが沸き上がってくる。
教室で小テストの時に「始め!」の号令だった声が、今は俺の中指で喘ぎ声になっている。
ヤバイ。こんな感覚、初めてだ。今までで一番ゾクゾクする。この声だけでイキそうだ。
先生の耳を甘噛みしながら、ゆっくりと入り口で出し入れしていると、先生のあそこがとろとろになってきた。
「俺、倫理はサボるから」
そう言って、先生の中に中指をゆっくり奥まで差し込んでいくと、「……ああ……っ」と先生がまた喘ぎ声を出して俺にしがみついてきた。
そうだ、おそらく先生は立ってするのはまだ慣れてない。俺たちは、ゆっくりと床に倒れ込んだ。
先生は頬を紅潮させていたが、両耳の辺りに、軽く握った両手を寄せていた。困った時に見せる、いつもの八の字眉で、怯えた涙目で、少し震えている。
キスをしている時の表情とは明らかに違っていた。体は感じているはずなのに、表情が違う。
俺はその反応が気になった。
「……嫌なのか?」
心配して聞いた俺に、先生は首を横に振った。
「わ、分からない……っ、りょ、遼介のことは好きだけど……っ、でも、い、いけないことしてる……っ」
先生の瞳から涙が流れ落ちた。
「それ、止めてんの? 誘ってんの? 悪いけど、『いけないこと』のワードにゾクゾクしたんだけど」
「と、止めてる……」
止められても、もう無理だった。
俺はギリギリの限界まで我慢していた。
先生に対する好きという感情が強すぎて、俺はこいつをコントロールする術がもうなかった。
「……悪いけどやめられない。先生の中、すげーぐちょぐちょ……二本目入れたい」
「ダ、ダメ……っ、い、いけないことだから……っ」
「……これって、そんなにいけないことか? 今この瞬間、誰かが迷惑してるか? 俺と先生がセックスするだけなのに。みんな、俺と先生がセックスすることすら知らないのに」
「……でも、でもね……」
「頭では分かってんだよ。本当に先生のことを大切に想うんだったら、こんなことして困らせたらダメなんだって。先生は懲戒免職になるし、俺も退学になるし……常識ある奴が言うようにおとなしくしてりゃいいのに……俺、頭イカれてる。人間できてない、我慢できない、今すぐ先生のこと抱きたい」
「……でも、でもね……」
「言っとくけど、先生にも責任あるよ。そんなに俺に抱かれるのが嫌なら、全力で抵抗してくれよ」
「だ、だって、遼介、あっという間だったんだもんっ、私ってのんびりしてるから、あわあわしちゃっててっ、止める暇がなくてっ、遼介がとっとことっとこ進めるから~……」
俺は吹き出してしまった。こんなこと初めてだ。
俺は笑いをこらえながら言った。
「とっとことっとこ……俺って、そんなにハム太郎みたいになってたか?」
先生は、可愛くこくこく頷いた。
「本当にお喋りするだけだと思ってたのっ、なのに、遼介がたったかたったか進んでいくから、私……のんびりしてるし追い付けないから~……」
泣きべその表情になっている先生に、俺の精力はどんどん減退していった。
「なんか、ごめんなさい……」
俺はしぶしぶ中指を抜いて、素直に謝った。
しょんぼりしていると、先生はしゃがみこんだ状態のまま、火照った顔で俺をじーっと見てくる。
「な、なに?」
怒ってんの?と戸惑う俺に、先生は不思議そうにしみじみと言った。
「遼介って、エッチなんて知らないみたいな爽やかな純真な顔してるのに……したことあるのねぇ……」
「……しみじみと何を言ってるんですか? 言っとくけど、俺はめちゃくちゃスケベな奴だよ」
俺は先生の手を取って立ち上がらせて、そのまま先生をそっと抱き締めた。
「ごめん、お喋りだけじゃ終われなかったわ……」
「うん……」
「マジで喋るだけのつもりだったんだぞ」
「うん……」
「また先生のこと困らせたな……」
「うん……」
「反省するから、俺のこと、嫌いにならないでください……」
「うん……」
「めでたしめでたし」
両手で軽く押されてツッコミ入れられた。
「先生ってあれだな。優しい分、雰囲気に流されやすいタイプだな。見張ってないと、他の奴に持ってかれそうで心配になるわ」
「そんな心配しなくて大丈夫。私がさっきみたいになっちゃったのは、遼介だからよ」
「……も、もっかい言って」
「遼介だから」
「もっかい」
「遼介だから」
「もっかい」
『遼介だから』
合唱した俺に先生が笑い、俺も同じように笑う。
すると突然、先生が俺の腕の学ランをぎゅっと強く掴んだ。
「遼介……」
声が震えている。
透けるような白い肌の顔が真っ青になっている。
「どうした?」
先生の目線の先を振り向くと、渡り廊下からこっちを見ている川島と目があった。
「マジか……」
川島はすぐに足早に去っていった。
どう考えても、言い訳のしようもない。
「……どうしよう……」
真っ青なままの先生に、俺は腕組みをして深々とうなだれた。
「う~~ん……」
「遼介がとっとことっとこ進んでいくから~~」
拳で軽くポコポコ腕を叩いてくる先生に、俺は甘んじてそれを受け入れ、黙って叩かれ続けた。全面的に100%俺が悪い。
「いやだって今は授業中……。普通、渡り廊下を歩くか? しかも、ここをたまたま見るか? こんな偶然あるか? これドラマですか?」
「実際に今あったじゃない」
「……あそこからでも見えるんだな。電気が消えてるから大丈夫だと思ってたなぁ。これからは遮光カーテンしてからにしよう」
「そういうことじゃないからっ」
「ま、まあまあ、俺がなんとかするわ……」
宥めながら引き受けたものの、イーサン・ハントでも高難度のミッションなんじゃなかろうかと思った。




