21、証明不可能なことの証明
屋上で寝転んで、バスケットボールでシュートのフォームを確認する。真上に投げて、真下に落ちてくるのを顔の間近でキャッチする。
現役中は寝る前にベッドの上でよくやっていたが、今はいろいろ考えたくないので、これをやって無心になっていた。
放課後になったが、このまま家に帰ったら、誰彼構わず八つ当たりしそうな心境だった。
扉が開く音がしたので見ると、一臣だった。
「昼間、どこにいた?」
「校長室」
「なんでだ?」
「桜井先生と付き合ってないか確認するために呼び出しくらった」
「バレたのか?」
「いや、大丈夫だった」
「なんで疑われた?」
また説明か……と面倒に思い、舌打ちしそうになった。
「昨日の帰りに、傘を持ってなくて雨に打たれてて、偶然、先生の車で拾ってもらって家まで送ってもらったんだよ。そしたら、どっかの保護者に怪しいんじゃないかって疑われた。家まで送ってもらっただけだって言ったら信じてもらえた。本当のことだし」
「良かったじゃないか。桜井先生のお人柄だな」
「告げ口するほどのことか?」
「年頃の女性が、普通、男子生徒を車に乗せないだろ。連絡を受けて、学校側も女好きのお前だったから確認したかったんだろ。なんにせよ、桜井先生はお前を見付けて素通りできなかったんだな。仕方ない。彼女の責任だ」
「まあ、そうだけど……」
「いい機会じゃないか。勉強に専念しろ。危険だから、職員室に行くのはもうやめとけ」
なんなんだろうか。俺はモヤモヤがおさまらなかった。
「教師といい、告げ口してくれた奴といい、この学校に関わる全員に悪者にされてる気分だ。学生同士で付き合ってた時はキスもセックスもしてたし、なんなら教室でイチャイチャしてたぞ。同じ恋愛なのに別世界みたいだな」
「そうだな」
「なんで罪悪感を感じなきゃいけないのかと不思議だわ。こんな、こそこそしなきゃいけないほど俺たち悪いことしてるか?」
「……お前、まさかとは思うが、セックスしてないだろうな?」
「してないしてない、マジでしてない!」
「やろうとしたか?」
「やろうとはした。自分の欲望を抑えきれなくて」
「よくもまあ堂々と……桜井先生もこんな奴に好かれて大変だな。適当にあしらうとかできなさそうだしな。桜井先生、よく無事だな」
「やらなかったから、もう責めるな」
「それならいい。お前はまだ十七で未成年だろ。真剣な交際だとお前が言ったところで所詮、未成年だ。淫行条例だと親が告発して、先生が逮捕されることもあるんだぞ。下手すりゃ校長、教頭、教育委員会の連中が報道陣の前で頭を下げることになる。お前はまだ親の監視下だということを忘れるな」
「いや、俺の親は、ゴム付けろぐらいしか言わんだろ」
「……確かにそうだな。なんなら、先生に謝りそうだな」
「さすがに逮捕とかないだろ。真剣交際だって言えば、警察も立件のしようがない」
「地方公務員法の信用失墜行為の禁止に該当する」
「該当しない。生徒だから卒業までは無理だと断られた。先生の連絡先も知らない。職員室で話すくらいしかしてない。断られたことも、付き合ってないことも事実だ。だから、該当しない」
「……めげない奴だな、お前は」
「だって、付き合ったら、全力で阻止してくるんだろ?」
「当たり前だろ。付き合ってる時点でセックスしてるだろ。誰が清い交際なんて信じるか」
「分かってるよ。だから、付き合ってない。言うけど、俺はおとなしくしてたぞ」
「どこが。セックスしてなくても、どうせお前のことだからキスはしてるだろ。付き合ってるようなもんだ。信用失墜行為の禁止に該当する」
「かたいこと言うなよ。それに俺から無理やりしたやつばっかだから。大体、告げ口した奴はどこの誰だよ、ムカつく。見つけ出してデコピンしてやる」
「デコピンなぁ………」
「まあ、いいや。考えたら、今まで通りに過ごしてりゃいいんだよな。フラれたってことにしたし」
何の気なしに言った俺に、一臣の声色が変わった。
「おとなしくしとけ。職員室には行くな。誤解を招く行動はやめとけ」
「付き合ってないから大丈夫だろ」
次の瞬間、胸ぐらを掴まれ、フェンスに押し付けられた。俺の背中でフェンスが激しく揺れた。
「いてーな、なにすんだよ」
睨み付けると、一臣は凄みのある目で厳しく言い放った。
「フラれたって台詞も信用性をなくすぞ」
「…………」
「お前は今、受験生なんだぞ。退学になりたいのか」
「…………」
「よそに行けたらまだいいが、二人とも校内の誰かにインターネットでフルネームを晒されるかもしれないぞ」
「…………」
「お前はいつも後先考えずに行動する。あと四ヶ月だ。こんなことで人生を棒に振るのか」
「……分かった。負け負け、俺の負け」
「職員室には行くな。オレの言うこと聞け」
「分かった……お前の言うこときく……」
しょんぼりしながら、先生のことを思い出す。
先生と喋りたい。そして、先生と――
「セックスしてぇ……」
思わず呟いた瞬間、一臣の眉間がピクッと動いた。
――ヤバイ
今まで何万回と一臣の前で口にしたことのある台詞だが、俺をそういう対象だと聞かされてから口にするのとは訳が違う。
俺を凝視する一臣に、俺は手のひらを顔の前で立てて、
「すまん、今までの感覚でいた」
と、説明した。
「お前の前で山ほどそういう話をしてきただろ? いつものヤツだから」
次の瞬間、俺の顔の両サイドに、一臣の両腕が置かれた。フェンスがさっきよりも激しく揺れた。
フェンスにもたれていた俺は、一瞬で逃げられないよう動きを封じられていた。
全く予期していなかったので、状況の整理が追いつかない。
俺は頭が混乱した。
「えっ? ちょっ、ちょっと待て。俺、なんか……スイッチ入れたか?」
「入れた。普段Sのお前に、泣きそうな目で言うこと聞くとか言われた上にセックスしたいとか言われたら、スイッチ入るに決まってるだろ」
「待て待てっ、そんなつもりじゃない」
「知ってる」
「俺、お前のことは親友だと思ってる」
「知ってる」
怖いくらいに冷静な声だった。獰猛な獣が獲物を狩ろうとする眼孔だった。
その目を、俺は知っている。ゴール下にパスをくれ、の無言の要求の時と同じ目だ。
一臣についていたディフェンスの視線が外れた瞬間、阿吽の呼吸でパスを出すと、必ず拾って決めてくれた。時々、点数稼ぎに使っていた、俺と一臣の好きなやり方。
これが決まると、俺はいつも一臣と繋がった気がした。
「お前が羨ましい。先生と付き合う罪悪感なんて大したことない。オレが男を好きだと自覚した時の、親に対する罪悪感に比べたらなんてことないだろ」
「やめろ」
真顔で淡々と言いながら、俺の両太腿の間に、膝を押し入れてきた。
やめる気が全くない。こいつが俺をロックオンした時、俺は自然とウサギみたいな立ち位置になる。体格差もあるが、一臣の独特な威圧感のようなものが、俺の声を奪う。
ライオンに睨まれたウサギみたいな、蛇に睨まれた蛙みたいな、圧倒的な力の差みたいな物を肌で感じて、俺は無意識に体が萎縮する。
両手で押そうにも、体が密着していて全く身動きができない。嫌な予感がする。
「やめろって」
「お前、さっき言ったよな。この学校に関わる全員に悪者にされてる気分だと。学生同士なら平気でイチャイチャできるのに、同じ恋愛なのに別世界みたいだと。オレもこの世界中に悪者にされてる気分だ。男と女なら平気でイチャイチャできるのに。好きの感情は同じなのに。そんなにもおかしいことなのか? 本当に別世界みたいだ」
一臣は俺のズボンのファスナーを下ろしていった。
俺のそれは、あっという間に一臣の大きな手にしごかれはじめた。
勝手に俺のものは勃起していった。
久しぶりだからか、腹に当たるほどガン勃ちしていく。とても俺の体の一部とは思えない。
これは本当に現実なのか? 夢じゃないのかと思う。
強烈な気持ちよさで、俺の身体中が勝手に熱を帯びてきた。心臓が早鐘を打ち始めた。頭の中がふわふわして真っ白になっていく。
俺の脳の中枢神経から、狂ったようにドーパミンがドバドバ出てきた。
イキたい――
驚いたのは、思ったより抵抗がない自分に対してだった。
純粋に快楽だけ感じる。嫌悪感は一切ない。
どういうことだ。男にしごかれているというのに。
イキたくないはずだ。なぜ男にしごかれてイカないといけないのか。
いや、イキたい――
自分でやるより予測できない動きだからか、めちゃくちゃ気持ちいい。他の奴なら嫌だが、一臣なら別にいい。いっそのこと、イカせてくれ。
――いや、ちょっと待て。
この考えってヤバイだろ。
親友なのに、男なのに、一臣ならいいとか、おかしいだろ。親友にイカせてくれとか、ヤバすぎるだろ。
おかしい。
ヤバイ。
この思考は―――親友の範疇、完全に越えている。
「……嫌じゃないのか?」
一臣が手を止めて俺を見た。
あんなに鋭かった眼孔が、微かに期待の入り交じった目で俺を見ている。
言葉が出なかった。
嫌――じゃない。
不意にある感情を思い出した。
嫌じゃなかったと言われた言葉に、過剰なまでに喜んだことがあった。
そうだ。思い出した。
図書室で、からかう俺を嫌じゃないと言ってくれた先生の台詞だ。
俺にもチャンスがあるんじゃないか、心の中に入り込む隙があるんじゃないかと思わせてくれた台詞。
「……やめるか?」
一臣の心配そうな声に、俺は迷わず懇願した。
「頼むからイカせてくれ……」
一臣は俺の言う通りにしてくれた。
ヤバイ。めちゃくちゃ気持ちがいい。目の前がチカチカする。
これが麻薬なら、やめられなくなる奴らの気持ちが痛いほどよく分かる。なにもかもがどうでもよくなって、ただただこの快楽を一秒でも長く深く味わい尽くしたくなる。
快楽に耐えられず、思わず熱い息が漏れた。
俺の反応に、一臣の額に血管が浮かび上がっている。こんなに興奮して余裕がない一臣を俺は知らない。こいつ、セックスする時、こんななのか。
先端を、一臣の親指が的確にキツく擦った。
身体中の血が逆流するほど熱くなり、強烈な快感が全身を駆け巡った。
俺の体の内から爆発的な快楽が一ヵ所に集中して止めどなく溢れ出た。
「……あぁ……!」
あまりの快感に思わず喘ぎ声が漏れた。
自分でやる時よりも、比べ物にならないくらい気持ちがいい。
見ると、一臣もガン勃ちしているのが、ズボン越しにも分かった。
「お前を口説きたい……もう無理だ……親友やるの限界だ」
一臣は吐き捨てると、屋上から走り去った。
辺りが静かになった。
嘘みたいに穏やかな風が通りすぎていく。
十月なのに、俺は変な汗をかいていた。全身の力が抜けた。思わず、大きく溜め息を吐く。
今頃、一臣は、トイレで処理してるだろう。
もう、この関係は親友でもなんでもないなと思った。
俺の幻想だとはっきり分かった。一臣の言う通りだ。カミングアウトした時点で、今まで通りの親友なんかできるわけがない。
表面上は取り繕えても、本音のところはお互いに意識している。そんなことは、とっくに分かっていた。
俺はどこかで期待していたんだろう。
時間が解決してくれるはずだと。俺たちの友情が終わってしまうことは決してないはずだと。
本当に恋愛は100と0しかないのか。いや、そんなはずはないと。世の中に元カレや元カノが友達になるケースなんていくらでもある。俺たちにできないはずはないと。
危うい均衡を保ちながらも、もしかしたら、あれもまた新しい友情のカタチと呼べるのではないか。そんな都合のいいことを考えていた。
明日、一臣を見たら、俺はどういう反応をするだろうか。自分から距離を取っているだろうか。それとも、文化祭の時のように、なかったことにしているのだろうか。
自分ですら、もう、明日にならないと分からない。




