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愛情と友情の極限を求めよ。  作者: 大崎真


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20/33

20、リスク

「楢崎、ちょっと来い」


担任の増田に呼ばれ、俺は廊下に出た。

朝礼が終わった直後だから、ほとんどの生徒は教室で一時間目のスタートを待っていた。

増田は教室から離れ、わざわざ渡り廊下の手前まで来た。そんなに他には聞かれたくない話なんだろうか。

俺は訝しんだ。


「なんですか?」

「学推(学力推移調査)の結果、お母さんにサインもらって提出」

「あ、忘れてた。明日持ってきます」

「あと、今日の昼休みに校長室に行け」

「え、なんでですか?」

「お前と桜井先生が……その……親しい仲なんじゃないかと連絡があってな。確認だそうだ」

「……なにを根拠に言ってんですか?」

「昨日、桜井先生の車からお前が降りるところを見たと、どこかの保護者から連絡があったらしい」

「ああ、たまたま送ってもらいました。凄い雨だったから」

「……そうか」

「家の前まで送ってもらっただけですよ。乗ったのも二、三分」

「そうか」

「そんなんでまずいんですか。まあ、いいや。分かりました」

「実際のところはどうなんだ?」

「なに疑ってんの。別に何もなかったよ。付き合ってもないよ。付き合いたいけど」


出席簿で頭を軽くはたかれた。増田はいい奴だ。






校長室に呼び出しって、世の中に本当にあるんだな。誰が告げ口したのか知らないが、健全な交際なんだから許してもらえんもんかと思いながら、俺は校長室に向かった。


どこで誰が見ているか分からないもんだな。確か、家の前にいた時はエンジンを切っていた。ワイパーも止まっていた。あの大雨で、車内から外の景色が見えなかったから、逆に車内の様子も見えなかったはずだ。まあ、大丈夫だろ。


校長室の扉の前で、俺は一度、大きく息を吐く。そして、ノックした。

「どうぞ」の声に「失礼します」と応えて入ると、数人の大人達がすでに待ち構えていた。俺待ちだったようだ。仰々しいなぁと呆れる。


校長の鳥越は、室内の奥にある自分の席について、こちらを見ていた。

右手には教頭、担任の増田、桜井先生が立っていた。

桜井先生は真っ青な顔で、見るからにしょんぼりと落ち込んでいた。そんなに悪いことをしたわけでもないのになぁ、と可哀想になる。


左手には学年主任の堀田と指導教諭の吉村までいた。

前に行くよう促されたので、俺は校長先生の机の前まで来て立ち止まった。


「君が楢崎くんですか?」

「はい、楢崎です」


校長先生を見据えて答えた。

すると、「ああ」と俺の顔を見て、何かに気付いたように声をあげた。


「君はよく桜井先生に質問しに来てる生徒さんだね」


そして、にっこりと笑う。

ただでさえ細い目が、更に細い三日月になった。


「昨日の夕方、どういう状況だったのか説明してもらえますか?」


ほんわかした穏和な校長なので、呼び出しと聞いて怖いというより不思議な感じだったが、本当に事情を聞きたいだけのようだった。

お陰でと言うかなんと言うか、特に緊張することもなく、俺は淡々と説明することができた。


「昨日の帰り道、傘を持ってなかったので、雨の中、濡れて帰ってました。そしたら、たまたま通りかかった桜井先生の車に乗せてもらいました。二、三分くらい乗りました。俺の家の前まで送ってもらって、先生は俺の親に挨拶すると言ってくれました。でも、俺は留守だからと断りました。先生は俺を降ろしてすぐに帰りました。それだけです」

「二人の話はあってますね」


指導教諭の吉村の言葉に、取り調べみたいだなと苛立ち、


「そら、そうだろ。本当のことだから」


と、思わず言ってしまった。


「静かにしろ」


と、横から増田に窘められた。


「車が停まったままだったのが少し気になってしまったとご連絡があったんですが、その点については何か事情がありましたか?」

「それは、先生が俺の親に挨拶したいって言うから、俺がやらなくていいって断ってて……」


ここまで言って、溜め息が出た。

面倒臭いという怒りに近い感情が微かに沸いてきた。

気付いたら、校長先生を見下ろして静かに言っていた。


「何を心配してるのか知りませんが、疚しいことをしたい人は、自分の家の前ではしないと思いますけど」


校長先生は俺の微かな怒りを察したようだったが、特に反応することもなく、


「確かにそうですね」


と、言った。

人生経験が豊富な大人の反応だった。


「君は桜井先生と仲がいいですね。桜井先生に恋愛感情はあるのかな?」


今は嘘をつかない方がいい。

俺は一瞬、考えてから、校長先生を見据えて答えた。


「ありますけど」


増田が「余計なこと言うなよ」とまた嗜めた。


「数学が得意なのに、あんなに職員室に質問に来ていたら、まあ、そうでしょうね」


そう言われ、途端になぜか、訳の分からない静かな怒りが沸いてきた。


「俺が先生を好きで、なんか迷惑かけてますか? 以前、先生に告白して、生徒だから無理だと断られました。付き合ってません。もういいですか?」


みんなが桜井先生に注目したが、俺は先生をわざと見ないようにした。


「桜井先生、本当ですか?」


校長先生の質問に、桜井先生の細い声が緊張からか絞り出すように震えて聞こえてきた。


「あの……彼は生徒ですから」

「恋愛感情はどうなんですか?」

「ありません」

「そうですか。分かりました」


納得したような、ホッとしたような、なんとも形容し難い落ち着いた空気が、大人達の間で広がっていった。

だが、それに反して、俺はなぜか居心地が悪くなり、後ろ手を組んで、顎を上げて軽く息を吐いた。

早く校長室から出たいと、そればかり望んでいた。


「楢崎くん、君はもう結構です。教室に戻っていいですよ」


桜井先生が残ることが気になったが、俺にはどうすることもできず、「失礼します」と軽く会釈して、誰にも目を合わさずに校長室を出た。


廊下には誰もいなかった。あと五分もしないうちに五時限目が始まる。

教室に戻ろうかと思ったが、扉越しに聞こえる会話に体が止まってしまった。

俺は、その後の桜井先生のことが心配だった。


「桜井先生」

「はい」


校長先生に呼ばれ、桜井先生の声も聞こえてきた。


「彼は大変、成績が優秀だと聞いています。今は大学受験という大事な時期ですから、我々は彼の勉学を全力でサポートするのが務めです」

「はい」

「あなたが親切心で彼を車に乗せてあげたことは分かっています。しかし、いくら我が校の生徒とはいえ、知らない男子生徒をあなたは車に乗せましたか?」

「それは……」

「知っている彼だったから乗せてあげたのでしょう。一人の生徒を特別扱いするのはどうですか。教師のあなたは公正に成績を評価する立場です。特別扱いは許されません。特に彼はあなたに好意を持っています。誤解を与える行動だったのではありませんか」

「はい……」

「非常事態だったことは分かりました。あなたの日頃の仕事ぶりも拝見していますから、親切心で行ったことだと思っています。しかし、今後は誤解を招く行動は慎んでください。今回のことは仕方ありません。事故みたいなものだと思いましょう」

「はい、本当に申し訳ありませんでした」

「気にされることはありませんよ。ご連絡を頂いた方には、私からきちんと説明して誤解は解いておきますので安心してください。桜井先生はとても丁寧に授業をされてますし、たくさんの生徒さんにも人気があります。きっとこれからも、更に素晴らしい先生に成長されると思いますよ。期待していますので、頑張ってくださいね」

「はい、ありがとうございます……本当に申し訳ありませんでした……」


俺はすぐにその場を離れた。

まさか、こんなにも、モヤモヤした気持ちになるとは思ってもいなかった。


先生との甘い秘密の共有――


俺はそれをスリルと嬉しさでしか感じていなかったが、だんだん後ろめたさが襲ってきた。

ようやく、自分の立場を理解した。

初めて、桜井先生と付き合っていたことが、どれほどのリスクなのかを思い知った。

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