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19/33

19、雨の中

十月の体育大会が終わった途端、一気に秋らしくなった。

制服も学ランの上着を着て通学するようになり、学校内が一気に黒くなった。

確実に冬に向かっている。


桜井先生は、白いブラウスからUネックの薄手のニットになった。

日によっては、体のラインが出るタイプの時があって、華奢な体と胸が強調されて、正直、冷静に喋るのにひどく苦労する。本人に全く自覚がないので、その無防備さにまたやられる。

横から見たら、めちゃくちゃ肩が薄くて、俺が読んでいる少年ジャンプくらいの厚さしかないじゃん、とか思ったりする。


一度、階段の踊り場で偶然二人だけになった瞬間、我慢できずにいきなり抱き締めたことがあった。

もちろん瞬時に離れたが、お陰で、先生は持っていたプリント類を踊り場に全てぶちまけてしまい、二人で拾う羽目になってしまった。


「驚かすの、もうやめてよ~……」


と、半ば諦め口調で先生に言われ、俺はプリント類を持っている時は絶対に驚かさないことにしようと心に誓った。持っていない時は驚かすけど。



昼休みの時だった。

珍しく、桜井先生は学食でカレーライスを食べていた。周りには、男子生徒がたむろしていた。

俺は、学食限定のわかめとゴマの混ぜ込みおにぎりと、のりたまおにぎりの気分だったので、たまたま学食に買いにきていた。


「おれ、桜井先生の授業、分かりやすくて大好きです! 先生のことも大好き!」


同じクラスの松岡が、桜井先生の隣でニコニコ笑って話しかけまくっていた。分かりやすい奴だ。俺もこんなんなんだろうか。


「ありがとう! これからも分かりやすく教えられるよう頑張るね! 松岡くんも勉強、頑張ってね!」


両手に拳を作って、桜井先生は答えていた。鈍感な桜井先生らしい答え方だ。

二人の会話に割り込みたくなった俺は、どさくさ紛れに、


「俺も先生の授業が大好きだよ。桜井先生のことも大好き」


と、そばを通りすぎながら言ったら、


「あ、ありがとうっ」


先生は、真っ赤になってガチガチになってしまった。


「先生、どうしたの?」


不審がる奴らに、


「う、ううんっ、突然言われたからビックリしちゃって……」


と、慌てて答えている。

俺は心の中でウシシ笑いをした。

俺は子供だ。ただただ、先生を独占しているのは自分だと大声で言えない換わりの何かが欲しかった。


吐き出したい。全部を吐き出してしまいたい。

王様の耳はロバの耳と同じように、なにもかも全てを吐き出してしまいたかった。

それはあまりにも危険なことなのに、俺はどうしようもなく自分勝手な奴だった。

本当に先生のことを大切に想うなら、こんなことは考えないはずだ。


この時の俺はまだ、自分のことしか考えられない、バカなガキそのものだった。






塾がない日だったため、その日は図書室に併設されている自習室で勉強をしていた。

朝の天気予報では晴れマークだったはずが、正門を出た頃には一転して雲行きが怪しくなり始めた。

しばらくすると豪雨にぶち当たり、あっという間に俺の全身はずぶ濡れになった。最悪だ。


叩きつけてくるような雨に、体が痛いくらいだった。ここまでくると開き直って、走ることなく普通に歩いて帰っていると、激しい雨の音に混じって、クラクションがした。道路に目をやると、日産の軽だった。桜井先生の車だ。

すぐに助手席に乗り込んでドアを閉める。

あんなに耳をつんざいた雨音が、かなり小さく感じられた。


「大丈夫?」


桜井先生が運転を続けながら心配そうに聞いてくれた。

数ヵ月振りの助手席がかなり懐かしい。

静かな車内に、フロントガラスを叩きつける雨の音と、休みなく動くワイパーの音が、豪雨の凄さを物語っていた。


「今日の予報は確か晴れだったわよね」

「そうだよ、ムカつく。全身ぐちょぐちょだ」


髪を手で乱暴に振り払ったら、


「かかるからやめてよ~」


と、先生は困りながら運転を続けた。

よりによって体のラインが出るタイプの服を着ていた。しかも、シートベルトをして胸が強調されている。

嬉しさよりも、禁欲生活中の俺には刺激が強すぎるからマジでやめてくれと思う。

あんまり見ないようにしようと意識すると、指示機のカッチカッチという音が妙に大きく感じられた。

二、三分後に、あっという間に俺の家の前まで辿り着いた。


「ご挨拶しなきゃ」

「誰もいないぞ。親父は仕事、おかんはパート、弟は塾。弟は高校受験なんだよ」

「……すぐにお風呂を沸かして入ってねっ」

「分かった分かった」

「大事な時期に風邪ひいたら大変だからっ」

「分かった分かった」

「ちゃんと聞いてるの?」

「うるさいな、ちょっとは黙れ」


キスしようとすると、先生のチョップが俺の顔面に炸裂した。


「お・ふ・ろ」

「すいません、うかれてました。俺、先生と一緒だとうかれるわ」


笑いながらチョップした手を取ったら、すぐ間近で先生と目が合った。


そのまま、ふと、空気が止まった気がした。


雨が、さっきよりも更に激しくフロントガラスを叩きつけていた。

車内に雨の轟音が響く。

俺の伸びた前髪から、ぽたぽたと滴が落ちていく。


先生がじ━━っと見てくるので、俺もそのまま目を離さなかった。可愛い顔だなぁと先生の顔を見続ける。

あまりにもじ━━っと見てくるので、「どした?」と聞こうとした時だった。


先生の唇が、俺の唇にそっと触れてきた。


えっ?と驚いた瞬間、我に返った先生が、慌てて両手で自分の口を覆った。

先生も自分で自分が信じられないというビックリした顔をしている。

Sが発動した俺は、思わずにやにやしてしまった。


「先生、俺の唇を奪ったな? キスは禁止だと言ったのは先生の方だろーが」


呆れながら注意したものの、嬉しすぎて笑ってしまった俺に、先生はみるみる真っ赤になって八の字眉になった。


「……ごめんなさい……」


俺は吹き出した。


「なに謝ってんの? 悪いことしたわけじゃないのに。すげー嬉しいよ」


俺に反して、桜井先生は両手で口を覆ったまま半泣きになっていた。


「あーっ、私、教師失格~、こんなことするつもりじゃなかったのに~、どうしよ~」

「分かった分かった。軽く触れただけだから、これはノーカウントでいこう」


両手で野球の審判のセーフをやると、先生は消え入りそうな声で、


「……ありがとうございます……」


と、俺に感謝した。

俺はまた吹き出してしまった。

ノーカンのキスってなんじゃろか?と思う。

そう思いながらも、俺は内心めちゃくちゃ喜んでいた。

今までは俺からおねだりしてばっかりだったけど、今回は先生の方から俺を求めてきた。こんなこと初めてだ。

ノーカンの触れるだけのキスだったけど、自分からしたくなるくらいまで俺のことを好きになってきたみたいだ。すげー嬉しい。


「ちゃんとお風呂に入るから。送ってくれてありがとう」


笑って手の平を見せると、先生も同じように笑ってハイタッチしてくれた。

車から出ると、途端にずぶ濡れになった。俺の体に容赦なく雨が叩きつけてくる。

先生はすぐに車をスタートさせて離れていった。

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