14、恋愛の定理
あれから、俺と先生は一緒に帰らなくなった。
もちろん、小テストも「100」と「Excellent!」だけになった。キスもしなくなった。完全に付き合う前の状態に戻った。
でも、変わったこともあった。
廊下ですれ違う時、俺は先生に毎回声を掛けている。もちろん先生は他の生徒と同じように答えてくれる。
でも、先生が他の生徒と喋っている時、俺は声を掛けずに、すれ違い様に彼女の指先に手を触れるようになった。
周りに気付かれないで触れ合えた、その一瞬。たったレイコンマ一秒のそれだけで、俺はすべてが満たされた。
二人で話す機会が減ったから、俺は職員室に質問にいくことにした。一対一で話したい。
問題集を手に彼女の席を探す。最初、目が合った瞬間、先生は驚きと同時に、溢れんばかりの笑みを浮かべた。その空間だけ、一気に空気が明るくなった。
あまりに嬉しそうなその笑顔は、周りに付き合っていることがバレるんじゃないかとこっちが心配になるほどだった。
いや、付き合ってはいないんだけど。
「ここが分からないです」
問題集の適当なページを指差して聞くと、先生は、
「あ、ここね。これはね……」
と、更半紙を出して説明を始めた。
事務机の胸の引き出しからすぐに更半紙を出すあたり、質問の対応にはかなり慣れているようだった。きっと何人もの生徒が質問に来ているのだろう。
俺の中で嫉妬というもやもやが出てきては、いつものSが発動した。
「じゃあ、ここはこういうことであってますか?」
座っている先生の目線に合わせてしゃがみこみ、俺は先生の鉛筆を取って、彼女の書いた公式の横にこう書いた。
『すきだ』
すると先生は真っ赤になって固まってしまった。
けど、漫画みたいに一度胸に手を当てて深呼吸をすると、またすぐに説明を再開した。そして最後に、
『私も!』
と、俺の文字の隣に書いてくれた。
自分でも驚くほど、俺の中のもやもやが一気に吹き飛んでいった。
「分かってくれた?」
照れ臭そうに笑う先生に、
「分かったっ」
と、俺も笑った。
その日以来、先生に質問しにいく回数が急激に増えていった。
自分でも思う。かなり分かりやすい性格だ。
卒業するまで教師と生徒でいようと先生に言われて、俺は淋しさや物足りなさに襲われると思っていた。正直、キスとセックスがない恋愛が想像つかなかった。
でも、どういうわけか、それがなくても俺の心は完全に満たされていた。
もちろんそれがあるに越したことはないが、彼女に愛されていることに疑う余地がない。
その安心感は、そのまま俺の幸福感に比例していた。
先生に恋の駆け引きなんて概念はなかった。ただただ純粋に俺のことを想ってくれていた。
そんな彼女にますます俺は惹かれていった。
彼女の愛情は、穏やかで、深くて、柔く、いつでもそこに当たり前のように存在していた。
世界中の有りとあらゆる嫌なことから俺をすっぽりと守ってくれる透明なシールドのようだった。
もしかしたら、俺の方が先生に振り回されているんじゃないか、とふと思う。
先生の俺に対する口癖は、「からかわないで」とか「困らせないで」だが、俺から言わせれば、それはこっちのセリフだ。俺の方がよっぽど心臓に負荷がかかりっぱなしだ。
でも、それは決して嫌なものではなく、俺を高揚させる、今までの人生で味わったことのない感情だった。
不思議だ。
先生と一緒にいられることによって派生する辛いことや苦しいことなら、なぜか簡単に乗り越えられる気がする。
それどころか、先生が笑顔になるなら、どんなことでもしてやりたいと本気で思える。
俺は先生を愛し始めていた。