表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/33

10、Excellent!

一臣と会話をしない日々がまた始まった。淋しい時間だった。

同じ空間にいるが、今までのように、すぐそばにいることもなくなった。


ただ、ニアミスは二度あった。朝練をしなかった朝の下駄箱だ。

一臣が話さないから俺も何も話さない。それだけのことで、俺の日常は一変した。

実際に、日常は普通に流れていた。何も変わっていない。ただ、一臣がいなくなった。もうそれだけで充分だ。俺は苦しかった。


俺にも一臣にも、お互いに友達はいる。クラスのグループも、バスケ部の仲間も。一人でいることはなく、お互いの友達同士で笑いあっている。


だが、違う。

俺の世界は一臣がほとんどを占めていた。

学校にいる時の楽しさが、自分でも驚くほど激減していた。俺にとって一臣は、居心地のよさを提供してくれる、かけがえのない存在だった。


唯一、桜井先生が教えてくれる数学の時間が、俺にとっての癒しの時間だった。

彼女がチョークを持って文字を書くとき、いつも黒板が大きく感じられた。

相変わらず、どの先生よりも、彼女は華奢で小さい。最初の書き出しは上の方だから、いつもつま先立ちになっている。


授業中に、不定期で十分間の小テストをすることがある。ストップウォッチを持って「始め!」の彼女の号令で、クラス全員がざっと一斉にうつむいて解答欄を埋めていく。


そんな中、俺だけは毎回必ず、顔をあげたまま口パクで『ヤッホー』と言って無意味に手を振ったりなんかする。

もちろん、すぐに気づいた先生は、『やりなさいっ』と口パクで促した後、困った顔をした。


ある時は、漫画のように、わざと頬をいっぱいまで膨らませて腕組みをしていた。

俺は左右を見渡した後、人差し指を自分に向けて、『えっ? 俺に怒ってんの?』と自分に決まっているのにわざと驚いて見せたら、先生は教壇にうつむいたまま肩を震わせて笑いをこらえていた。

小テストの端に、「ウケた?」と書いたら、隣に赤ペンで「やめて!」と書かれて返ってきた。


またある時は、頬を膨らませて拳を見せるポーズをしていた。一番後ろの席だけど、『後ろに誰かいるのか?』と架空の後ろの奴を不思議そうに振り返る演技をしたら、やっぱり教壇にうつむいたまま肩を震わせて笑いをこらえていた。

「今日もウケた?」と書いたら、隣に赤ペンで「次から-10にする!」と書かれて返ってきたので、しぶしぶやめることにした。


そのかわり、小テストの間、先生が俺の席に近づいてきた時は、そばに来てほしいので、わざと消しゴムを落としたりした。

もちろん、先生は拾いにきてくれるから、俺は「あ、すいません、ありがとうございます」と、わざと淡々と言う。けど、受け取る時に、にんまりすると、先生はやれやれという顔をした。


ある日の授業中のことだ。

ノートを取りながら欠伸をして、また黒板に視線を向けると、ちょうど先生が口を手で覆ってさりげなく欠伸を我慢していた。

あまりにもタイミングが合いすぎないか? 俺の欠伸がうつったのか? ひょっとしてひょっとしたら、俺のことを見ていたんじゃないだろうか。

無駄なことだと分かっていても、どうしても僅かな期待にすがり付いてしまう。

頼むから、俺のことを好きになってくれ。

そんなことを、いつも先生を見つめながら願ってしまう。


一度、俺のすぐそばまで廻ってきた時の事だ。

何かに躓いて転びそうになった先生を、俺は座った状態のまま腕だけ伸ばして、辛うじて抱き止めたことがあった。

いつもは、赤ペンで「100」の下に「Excellent!」の文字だけだが、その日の小テストは、「Excellent!」の更に下に、「ありがとう」の文字があった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ