喪ニタリング前2
青く澄み渡った空の下、満開のポピー畑を改めて見渡すと、2時の方向に不自然な風景の切れ目を見つけた。よく目を凝らさないと分かりにくいが、地平線から右肩上がりに階段のような線がジグザグと続いており、その線の先には細長い長方形が乗っかっている。
この光景、どこかで見覚えがある。昔の映画で見た。トゥルーマン・ショーだ。主人公が何気ない日常を淡々と過ごす話かと思いきや、実は彼の毎日は、世界中のすべての人がモニタリングしていた、という話。あの映画の終盤で、主人公が自分の住む世界から、自分を観察する人々が住む世界に通じる扉を見つける時、多分こんな感じのシーンだった気がする。
咲き乱れるポピーの根本を大股でかき分けるようにして歩きながら、ドアらしき長方形の真下まで来てみた。階段に見えたジグザグの線はやっぱり階段で、一歩足を踏み出してみると、普通に登れた。長方形もやっぱりドアで、ドアノブに手をかけると鍵が掛かっている様子はなく、普通に開きそうだった。
このシーンの時、ジム・キャリーはなんと言ってドアの向こうに渡ったのだっただろう。1ミリも思い出せないし、思い出す気もないが、いずれにせよ私は、世界的俳優ではなく小さな島国のしがない酒飲みOLにすぎないので、とりあえず一本締めをすることにした。
「よ〜おっ、ハッ」
開いた両手を景気よく1回だけ叩き、いつもの飲み会の帰りのようにお疲れ様でした〜、と独り言を言いながらドアノブを引く。そしてそのまま、中に入ってみた。
ちなみに後から知ることになるのだが、このポピー畑が、私にとってのいわゆる「冥途」の入り口だったらしい。一般的には死後7日目に川を渡って云々だが、実際は死後半年だったり5秒後だったり、川ではなく山や海や花畑や滝や田んぼだったり、それぞれのタイミングで別ルートの「それっぽい入り口」が無数に存在しているようである。あと、視力検査の時に見る、遠くに気球が浮かんだ一本の道路。あれも冥途の風景の一種らしい。何の参考にもならないと思うが、一応伝えておく。