解体技師死す
「よう、アラン!この前依頼した苔森亀はどーなった?」
顔に傷の入ったコワモテの男が話しかけてくる。手には銀の斧、首には狩人であることを示す黒い首飾りが
「おはようございますパーマーさん。依頼してもらった苔森亀は既に解体を済ませています。肉を既にギルドや街の酒場に売却済みで、傷のない質の高い甲羅は奥の倉庫に保管しております。」
俺は滞りなく返答をする。俺の名前はアラン。
アラン・アレグロだ。
俺はこの町で狩人や騎士、冒険者が狩ってきた魔物の素材を余すことなく使うため、素材を綺麗に解体する解体技師をやっている。
幼い時に両親を亡くしたため、8歳から解体技師の見習いを初めて早10年。俺はついに専属の客を持てるほど解体の腕が上がっていた。斧を持ったコワモテの男、パーマーさんは俺が小さい頃から素材を卸してくれていたいわゆるお得意様というわけだ。
「苔森亀の甲羅はこちらです。」
奥の倉庫へパーマーを通し、倉庫の奥に置いてある布で包まれた物体を差し出した。
パーマーは布をほどき、甲羅を目に入れる。重厚で厚みのある深緑の甲羅は、その甲羅に生えていた藻類は取り除かれ金属の盾のように光沢を放っていた。
「昔はてんでダメだった解体も今じゃ街有数の解体技師。
成長したなアラン。この甲羅は高く売れるぞ」
パーマーは甲羅を宝石でも愛でるような眼で見ながら呟く。
「…そう言っていただけると嬉しいです。甲羅の取引先ですが自分で探しますか?それとも素材市で競りにでも出しますか?」
「昔はお前ももっとガキっぽくて可愛げがあったんだがなぁ。…っとコイツは盾に加工しようと思ってるから持っていく。代金は前払いの分で足りてるか?」
「…いつまでも僕はガキじゃありませんよ。お題はしっかり足りています。それではまたのご利用お待ちしております。」
そう言って俺はパーマーを見送る。
俺はこの瞬間が好きだ。自分が丹精込めて丁寧に加工した素材を、人が喜んで買っていく。純粋に自分の技術に価値を見出してくれているのだ。
解体技師は血生臭いというイメージを持たれ、人によっては強くあたられることもある。それでも10年もこの仕事を続けているのは、自分の技術が認められるのが気持ちいからだ。
「おおーい、アラン、アランはいるか?」
男のくぐもった低い声が聞こえる。この声は聞き馴染みのある。俺が働いているこの解体工房の親方、クラウチさんだ。
「はい!今ここに!どうされました??」
「おー、アラン、良いところに。これを見ろ」
親方が指差した方向を見るとそこには大きな太い蛇のような生き物が横たわっていた。よく見ると銀色の鱗を持ち蛇にはないはずの手足が付いている。人の顔ぐらい大きい赤い目は、光こそ無いが綺麗だった。
「蛇竜だ。」
銀を身にまとい地震を起こすと呼ばれるその竜は災いを呼ぶ不吉の象徴として知られていた。
「こんなすごい魔物どこで…」
「なんでもアロワナ洞窟から一匹湧き出したらしい。」
アロワナ洞窟とはこの国一番の巨大洞窟であり、隣国にもまたがる魔物の巣窟だ。非常に危険な魔物でひしめいており恐ろしい噂が絶えない。
「俺も実物を見るのは初めてだ。アラン、俺と一緒に解体を手伝え。」
「良いんですか!?」
普通解体技師は他の人と手伝って解体することはほとんどない。俺も含めて彼らはこだわりが強い。協調性が少ない人が多いのだ。そういう彼が他の人に手伝いを申し出る。
それが意味することはつまり蛇竜がそれほどまでの大物であり親方が猫の手も借りなければ解体しきれないということなのだ。
「災いをもたらす、銀の竜…」
俺はボソリと呟く。
「…迷信だろそれは。良いからまずは鱗を剥ぐぞ。さっさと手を動かせ。」
親方の声に急かされ俺は作業を始めた。
作業をすること4時間。俺たちは巨大な蛇竜から一枚の鱗を除いて完全に鱗を取り払った。竜は腹が戦いによって傷ついていたものの、総じて鱗は良質で美しかった。
残してある一枚は特別に赤く染まった鱗。いわゆる逆鱗である。
「竜は逆鱗を剥ぐと逆鱗を残して塵となって瓦解する…という性質がある。だから逆鱗は最後まで動かさない。」
親方が高らかに宣言する。
「それこそ迷信なのでは?」
「…迷信じゃ無い。本当だ。俺が若い時にバラした竜は逆鱗を抜くと消えて無くなってしまった。」
「へぇ…」
それは少し気になるところである。俺はなんとなく、本当になんとなく逆鱗をひとなでした。
その日は一晩中作業をして、ついに蛇竜を解体することに成功した。久しぶりの大仕事に疲れた俺は帰宅するや否や布団に倒れ込んで動かなかった。
災いを呼ぶ白い銀の竜。俺はその意味をとくと味わうことになる。
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視界が赤い。頭が痛い。
頭の奥で鳴り響く金属音。泣き叫ぶ人の声。まるで地獄のようなだな…と思いながらそれが夢では無いことに気づく。
物が燃える音と鳴り響く鐘の音で目が覚める。
ここ数十年鳴ったことのない警告音だ。その音が意味するもの、それは戦争が始まったということだ。
俺は飛び起き外へ出る。
何があった!?戦争?ありえない!!
だってこの国、「エル・フラン」は50年前に戦争で負けてから永世中立国として外交してきたはずだ!!
こんな急に戦争が始まるわけがない!!
そんな俺の期待はすぐに打ち砕かれることとなる。
外へ出て入り込んできたのは火の海。俺は街の城門の方へ目をやる。黒煙をあげていて、城郭の上には大量の魔法陣が浮かんでいた。
「……」
俺は言葉を失い立ち尽くすしかなかった。
魔法陣が光る。途端に爆発や雷、巨石などの魔術が天から降り注いだ。
「逃げろ!!!!」
「息子が、息子が家にいるんです」
様々な悲痛な声が響き渡る。
俺も人々に習い街の中心へと逃げていく。
頭ではもうどうにもならないとわかっていた。
戦争法は!?人道回廊は!?おかしい!なんで!
なんでこんな目に!!!
俺の右斜め前の民家に巨石が落ちる。
グシャっと言う何か肉が潰れる音がした。
それが何かを確かめる暇も気力もない。
逃げ惑う俺はいつしか、解体工房へ辿り着いていた。
「親方っ!!!」
俺は工房の扉を開けて飛び込む。
親方は工房に無言で佇んでおり、手には昨日の逆鱗を持っていた。
「お前もここに来るか…。まさか戦争が起きるとはな。隣国のエル・クラシカ王国が攻めてきたらしい。そんな素ぶり無かったのに。」
他人事のように親方は言う。
「親方!逃げないと!!」
親方は寂しそうに、慈愛に満ちた目を俺に向ける。
「俺は腐ってもこの工房と30年生きてきた。この工房のいく末を見届けたいんだ。アラン。お前は逃げろ。お前には未来がある。この逆鱗も持っていけ。生き延びたら高く売れるかもな…」
親方は逆鱗を俺に投げ、そのまま俺を突き飛ばした。反射で鱗を受け取り、両手の塞がった俺はなすすべなく親方に店の外へ飛ばされる。
「逃げろぉぉぉぉ!!!」
俺は親方の言葉を耳に残し泣きながら走った。
数秒後、火の雨が工房へ降り注ぎ、灰の臭いが香ってくる。
俺はもう何も考えず無心で走り続けた。
どれほどの距離を走ったのだろう。足が棒切れのように硬く、腕が鉛のように重い。
俺はついにその場で膝から崩れ落ちてしまった。
予兆は無かったはずだ。…やはり蛇竜が災いを呼ぶってのは迷信じゃ無かったんだな…。
いやたまたまか。何でもモノのせいにするのは良くない。
俺は仰向けになり空を見上げる。生を諦めたその瞬間。全てがどうでも良くなった。海のように青い青空も、それを埋め尽くすほどの魔法陣も。そして今から俺に降りかかる魔法の数々も。
美しい。
そんな感想を抱くほど俺は追い詰められていた。
俺はふと逆鱗を撫でる。
「ごめん親方。すぐそっちに行っちゃうよ。」
俺は一筋の涙を流しながら目を閉じる。
そして静かに魔法が俺の胸を貫いた。
この時俺は知らなかった。
あの蛇竜の逆鱗は
「転生鱗」
と呼ばれる死後力を発揮するとても珍しい代物であると。
俺の意識はしばらく闇の中へと沈んでいった。