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03.公爵家の呪い

 

 ソファですぅすぅ寝息を立てて眠るスフィミアを見下ろしながら、ハネスは小さく息を吐いた。


(なんというか……おっとりした女性だな。俺の妻は)


 ハネスには、ある呪いがかかっている。フェデラー公爵家の歴代の当主たちも同じ症状に悩まされてきた。それは――異性の前で幼児化してしまうこと。異性の視界に入ると、心身ともに五歳ほどの子どもの状態に戻ってしまうのだ。


 目の前でスフィミアは深く眠っている。意識がないから元の姿に戻れたのだ。


「無防備すぎやしないか?」


 小声で語りかけつつ上着を脱いで、彼女の身体にかける。こんなところで昼寝をして、風邪でも引いたら大変だ。


「んん……しちめんちょう……」


 もぞもぞと体を動かし、寝言を漏らす彼女。……一体どんな夢を見ているのだろうか。幸せそうな寝顔を見て、思わずふっと笑う。


「……可愛いな」


 夢の中で何かを食べているらしく、口をもぐもぐさせている。柔らかそうな頬をつつきたくなったが、初めて会った上に寝ている無防備なところに触れるのは無礼だと思い、ぐっと我慢した。


 公爵領は、大昔から土地神への信仰がある。この呪いは、公爵家の初代が土地神に枯れた土地を癒してもらう代償として背負ったのだ。


 アドニスは、ハネスの幼名だ。幼児化しているときに大人のときの記憶はないが、大人に戻ると幼児化していたときの記憶は維持したまま。

 ろくに事情を伝えずに子どもの姿のままスフィミアを出迎えたが、彼女は少しも狼狽えることなく、むしろあっさりと受け入れた。


(彼女はアドニスを俺の隠し子だと思っているようだが……)


 ――本人なんだよな、と苦笑する。


 こんな呪いがあるせいで、社交の場に出ることができず、長らく屋敷でひっそりと暮らしてきた。


 この呪いは完全に解くことはできない。しかし、克服して症状を抑えることならできる。克服するための唯一の条件は――異性の誰かと愛し合うこと。ただし、幼児化した状態のアドニスではなく、ハネスが愛されなければならない。会えもしない相手を愛するなんてことがあるだろうか。正直、無謀だ。


 だが、その条件が満たされれば幼児化する回数は格段に減る。歴代の当主たちもそうだった。


 ハネスも例に漏れず、呪いを克服するために努めてきたが――ちっとも上手くいかなかった。これまで五人の婚約者がいたが、全員逃げ出してしまった。アドニスに冷たく当たってトラウマを植え付けてから。ハネスもそんな彼女たちを誰一人として愛することができなかった。


 でも、スフィミアは過去の婚約者たちとは違う。

 それは――ハネスがすでに彼女に惚れているという点だ。スフィミアはすっかり忘れているかもしれないが、ハネスは一度、幼児化した状態で彼女に出会っている。


 だから、思い切って婚約ではなく婚姻を申し込んだのだった。まさか承諾してもらえるとも思わなかったが。




 ◇◇◇




「――ふがっ」


 どしんとした衝撃が身体に加わって目が覚める。眠っていたソファから落ちたのだ。


「い、いたた……」


 打ち付けた腰を擦りながら起き上がる。美味しくて幸せな夢を見ていた気がするのに、全然思い出せない。

 すると、男性もののジャケットが身体にかけてあった。冷えないように誰かがかけてくれたのだ。


(これ……旦那様のお召し物だわ)


 よく見てみれば、ジャケットの胸に公爵家当主を示した家紋のブローチがついていた。でも確か、アドニスも同じ服を着ていたような。服を前にかざしてみると、かなりサイズが大きく、体躯のいい男性がイメージできた。


 そして、ソファの前のテーブルに一通の手紙が置いてあった。封蝋には公爵家の家紋が印璽されていて。そっと手に取り、ペーパーナイフで封を切る。


『はるばる遠方から御足労いただき感謝している。それなのに、あなたを直接出迎えることができず申し訳ない。まずは欠礼を詫びさせてほしい。


 私には、あなたの前に姿を見せられない理由がある。フェデラー公爵家当主は、爵位継承と同時に呪いも継承してしまう。――それは、異性の前で幼児の姿に戻ってしまうというもの。先ほどあなたが会っていた子どもは――』


 流麗な筆跡で綴られた文字に、息を飲む。そのまま、読んである内容を音読した。


「先ほどあなたが会っていた子どもは、私だ。私の幼名はアドニスだった……。まぁ……」


 手紙には、呪いの詳細やこれまでの経緯が丁寧に書かれていた。呪いの克服するにはある条件を満たす必要があるということも。けれど、その条件が何かは書かれてなかった。


 そして最後は、『あなたに不自由をかけることを心苦しく思っている。辛くなったらいつでも実家に帰ってくれて構わない』という文で締めくくられていた。


 呪いを克服するために協力することを婚姻の条件に多額の支度金が支払われているのに、逃げていいと言ってしまうなんて随分とお人好しな人だ。


 好色家の引きこもり、冷酷無慈悲の噂が嘘のような気遣いが感じられる文章だった。


(まぁ……お優しい方。さぞ苦労されてきたでしょう。幼児化してしまうなんて……)


「難儀な……」


 スフィミアは小さく呟いた。ここに嫁いでくる前に、家族からは「ひどい目に遭わされるかもしれないぞ」と散々脅されてきたが、この手紙を読む限り誠実な感じがする。それに、身体を冷やさないようにと上着まで貸してくれた。


 それに、アドニスが成長した人なら、きっと優しくて良い方だろうとスフィミアは確信していた。


(お返事を書かないと)


 私は大丈夫です、と早く伝えたかった。寂しい思いをして過ごしてきたであろうアドニスの傍にいてあげたいです、とも。


 ベルを鳴らすと、執事のリルバーが入ってきて、書くものと飲み物を用意してくれた。

 ペンを顎に当てながら、書き出しはなんと書こうかとうーんと唸っていると、リルバーが重々しく尋ねてきた。


「……実家にお帰りになるおつもりですか」


 彼は見るからに残念そうな様子だった。手紙をしたためると言ったのが、実家に帰るための別れの手紙だと勘違いしているようだ。


「僭越ながら申し上げます。旦那様は、世間では色々と誤解されていますが、とてもお優しいお方です。包容力があって紳士的で……あと笑ったお顔がとても素敵です。毎日の公務も真摯に励んでいらっしゃいますし、領民のことを常に想っておいでです。使用人たちにも分け隔てなく接してくださいます。とにかく、男の私から見ても文句なしに素晴らしい方なんです……!」

「旦那様のファンか何かですか?」

「す、すみません。喋りすぎました」


 スフィミアはくすと笑った。


「いえ。旦那様の魅力は十分伝わりました」

「呪いのせいで、今は外出さえままならない状態。なんとかして差し上げたいというのが私たち使用人たちの総意です。スフィミア様は、今までの婚約者様たちとはどこか違うような気がします。ですからどうか、お考え直しを……」


 リルバーは、これまで公爵家に婚約者としてやって来た女性たちは、早々に逃げていったのだと語ってくれた。皆、公爵家という地位と財に目が眩んでやって来た人達で、信頼できる人間性ではなかった、とも。


「アドニス様のことを可愛がってくださった女性は、あなたが初めてだったんですがね……」


 完全に諦めモードの彼は、がっくしと肩を落としている。いや、全然帰る気はないのだけれど。


「そう落ち込まないでください。私でよければ、力になりたいと思っていたところです」

「本当ですか!?」

「はい。本当です。……呪いを克服するための条件について、リルバー様はご存知ですか?」


 何かできることあったら教えてほしい。そう伝えると、彼は伏し目がちに首を横に振った。


「私の口からは何も。旦那様も、あなたにプレッシャーをかけたくはないとおっしゃっていました。……ただ、アドニス様のことを可愛がっていただけたらそれが一番近道かと進言いたします」


 それだけのことでいいのかと首を傾げる。呪いを克服すると言ったら、苦しい試練の先に辿り着く感じかと予想していたのだが。アドニスのことを可愛がるだけでいいなんて、むしろご褒美だ。


(呪いを克服する条件が何かは気になるけれど……言いたくないというのが旦那様のご意向なら、従うほかないわよね)


 異性の前で幼児化してしまう呪い。通りで、この家には女性の使用人がいない訳だ。ハネスが社交の場に全く顔を出さないことにも納得した。


「旦那様が呪いを克服するまで、スフィミア様は本来の姿のあの方にお会いすることができません。それでも……よろしいのですか?」

「仕方がありませんよ。気長に待ちます。それが永遠であっても」


 過去の五人の婚約者がいた間、呪いの克服には至らなかった。スフィミアにも理解できる。――この呪いが克服できる保証はないのだと。分かった上でにっこりと微笑めば、リルバーはまた驚いたような顔をした。


「私、旦那様が呪いを克服できるように精一杯がんば、」


 ――ぐぅぅ。

 格好つけている最中に、お腹の虫が鳴る。スフィミアはリルバーと顔を見合せて笑った。


「そろそろ夕食のお時間ですね。早めにご用意しましょうか?」

「……お願いします」


 紳士的に一礼し、部屋を出て行ったリルバー。スフィミアはペンを取り、ハネスに宛てた手紙を綴った。

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