12.家族が大変なことになっています(3)
「刑法105条。金銭を目的に人身を売買した場合、何年の懲役になるかお姉さんは知ってる?」
スフィミアから取り上げた子どもを連れて歩く途中。彼が淡々とした口調でそう聞いてきた。
「はぁ? 何それ、知らないし興味もないわ」
「10年だよ。今ならまだ間に合う。あなたは犯罪に手を染めるべきではない」
見た目は五歳くらいの子どもなのに、随分と落ち着いていて、言うことも大人びている。まるで更生しろと諭されているようだ。
カルロッテは立ち止まり、子どもを見下ろした。
「あんた、自分がどこに連れて行かれるか分かってるの?」
「売るつもりなんでしょ。そのくらい分かる」
「正解。勘のいい子ね」
子どもや若い女の売買はよくあることだ。そういった取引が行われる場所は、カルロッテも知っている。
それにしても、この子どもは変わっている。普通なら抵抗して大暴れしたりしてもおかしくはない年頃なのに、やけに冷静だし達観している。
「……スフィミアが可哀想だ」
彼はスフィミアを哀れんでそう呟き、初めてそこでぽろっと涙を流した。
(そんな理由で泣くなんて……生意気な子)
人気のない路地裏に入ったところで、子どもが光を放った。思わず目を眇める。
「何……!?」
直後、子どもはどこかに消えていた。その代わりに美しい成人男性がこちらを冷めた表情で見下ろしていた。端正な顔に威圧が乗ると、迫力が増す。
「あなたは……?」
「……ハネス・フェデラー……と言って分かるか?」
「嘘……あの引きこもりの好色家の……?」
本人の前でそこまで声にして、はっと手で口を塞ぐ。
「ふ。ご名答」
けれど彼は怒りはせずにこりと笑った。その笑顔にきゅんと胸が高鳴る。どうして彼がこんなところにいるのかは分からないが、彼が魅力的な男性だということだけは理解できる。
(スフィミアの結婚相手がこんなに格好いい人だったなんて……。何それ、ずるい)
妖艶で女性的な顔立ちの美形に、うっとりと魅入る。途端にスフィミアが羨ましくなって、歯ぎしりをした。こっちは金に困って貴族とは思えぬ貧しい日々を強いられているのに、スフィミアは素敵な夫と過ごして毎日いい思いをしているなんて。
ハネスは、カルロッテが今まで出会ってきた男たちの何倍もいい男だった。
カルロッテはいなくなってしまった子どものことはすっかりどうでもよくなり、目の前にいる美丈夫をいかにして落とすかに思考をシフトさせた。
「この手を離してくれないか?」
「へ? わっ、ごめんなさい」
視線を下に落とすと、彼の手首を握り締めていた。ついさっきまではあの子どもの手首を握っていたはずなのに。
(どういうことなの……? まぁ、なんでもいいわ)
慌ててぱっと手を離し、愛想笑いを浮かべる。つぎはぎのスカートを摘んで、淑女の礼を執る。
「こんな姿での挨拶になってしまい申し訳ございません。妹がいつもお世話になっております。まさかこのような場所でお会いすることになるとは思いませんでした。ハネス様。……ずっと、ご挨拶したいと思っていたんですよ」
「…………」
甘い声で熱を帯びた眼差しを向ける。カルロッテは母に似て見目がいいので、こうすると大抵の男は落ちる。
(大丈夫。どんな服を着ていたって私はスフィミアより何倍も良い女だもの!)
蝶よ花よと育てられたカルロッテは自己肯定感だけは高い。上手くハネスに取り入って、スフィミアと夫人の座を交換してもらおう。そんなことを当然上手くいくという自信を持ちながら瞬時で脳内で画策する。
カルロッテはしおらしげに涙を流す演技をした。
「実は……スフィミアはどうしようもない子なんです。実家に仕送りばかり要求して来て、散財して財産を使い潰してしまったんです。おかげで私もこのザマ。汚れた水を飲んでいるせいで、母は体調を崩しがちになりました。そのうち、ハネス様にも迷惑をかけるでしょう。領民の血税を浴びるように使うような人は、夫人にはふさわしくないと思うんです」
送金を要求しているのも、散財癖があるのも全部自分のことだ。カルロッテはそれらがあたかもスフィミアのことかのように、悪口をペラペラと語った。
(あら……? 反応が悪い?)
一応カルロッテの話に耳を傾けてくれているが、表情を一切動かさないハネス。穏やかな笑顔を浮かべるだけ。
けれどカルロッテは、もう一押しだと見当違いなことも思いながらハネスに擦り寄った。
「――だから、私をスフィミアの代わりに妻にしてくださいませ。それに私の方がきっと、彼女よりもあなたを満足させられます」
するとハネスは、ふっと鼻で笑った。
「こんなにも興が乗らない誘いは初めてだ」
「なっ……!」
ハネスは埃でも払うかのように、添えられたカルロッテの手を払い退ける。プライドを傷つけられ恥をかいたカルロッテは、かあっと顔を赤くした。こんなこと今までに一度もなかったのに。
「俺からあなたに伝えることは一点のみ。二度と妻に近づくな。非常に不愉快だ」
ばっさりと切り捨てられ、カルロッテは目を泳がせた。拳を握り締めてふるふる小刻みに震えていると、遠くから誰かが駆け寄って来る靴音が聞こえた。
「ハネス様……!」
「――スフィミア」
スフィミアは護衛の騎士を数人連れて戻って来た。息を切らせながらハネスに飛びつき、わんわん泣きじゃくる。
「ごめんなさいぃ……っ。私のせいで、アドニス様に怖い思いをさせて……ううっ、ごめんなさいっ、私……」
「泣かないでくれ。俺は平気だ」
騎士たちは事情を知っているらしく、カルロッテに近づいて拘束しようとして来た。しかし、ハネスがそれを制する。
「いい。捨て置け」
「ですがその女はアドニス様を誘拐しようとしたのでは」
「スフィミアの身内から犯罪者を出したくはない」
ハネスはにこりと人好きのする笑顔を浮かべて、カルロッテを見据えた。優しげな表情だが、どこか有無を言わさない圧を感じる。
「あなたがここで悔い改めることを願っているよ。俺が目を瞑るのはこれきりだ。ちなみに。あなたが誘拐しようとしたあの子どもだが――」
カルロッテはごくんと固唾を飲む。
「――あれは俺だ」
「……は?」
この人は一体、何を言っているのだろう。意味が分からない。きょとんとするカルロッテの反応を見て、「普通はそういう反応だよな」とハネスは満足気に呟いた。こんな冗談を真に受ける人なんているのだろうか。カルロッテでなくとも、大抵はきっとこういう反応をするはずだ。
すると、ハネスはスフィミアの肩に手を置いて声をかける。その目は、カルロッテに向けたものとは明らかに違う慈愛が滲んでいて。
「さぁ、行こう。スフィミア」
「は、はい……ハネス様」
スフィミアはハネスに腰を抱かれながら、踵を返した。
去り際、ハネスはロディーン男爵家に経済的支援をする気は一切ないと告げた。カルロッテはそれを聞いて、がっくしと肩を落としたのだった。




