贈り物のウラオモテ
けたたましく燃える炎の中で、僕は一人だった。
各所に設置された火災報知器が唸りを上げ、この非常な現実を突き付けてくる。
兎に角逃げよう。僕は一心不乱に出口を探した。
壁や天井から、あらゆるものが焼け落ちてくる。
息ができない。あたりに立ち込める黒い煙が、僕の体力を蝕んでいく。
死を覚悟した。短い人生だった。
心の底から悔しさがにじみ、その悔しさの逃げ道もみつけられず、目から熱いものがこぼれだした。地面に這いつくばり、視線を地面に埋めながら、僕は泣き喚いた。
ドォォォォォォンッ!!と。真後ろで爆発が起こった。頭だけを後ろに向け、状況だけ確認した。死神の足音が聞こえてくるようだった。
やっぱり、最後まで抵抗してやろう。そう思い立ち、懸命に足に力を入れようとした。
ーーーーーーその時だった。
僕は目を疑った。
目の前で、神々しく煌びやかな光が、炎に負けじと輝いたのだ。
あまりの眩しさに、目を覆ってしまう。
少しして、光が収まるのを感じた。涙に濡れた目をしっかりと擦り、ゆっくりと開いた。
光から出てきたのは、女性だった。
女の子、と言うには少し大きすぎる、しっかりした女性。
僕は彼女に聞いた。
「だれ……ですか?」
すると彼女は、僕の目線に合うように膝を折り、こう言った。
「ヒーローだよ。」
彼女は、自慢も含むだろう微笑みを浮かべた。
「ぼく、を…?」
「うん。私はね、君を助けに来たんだ。」
すると、彼女は鼻息荒く、興奮交じりに立ち上がった。
「まさに正義のヒーロー! そう思わないかい!? 少年よ!」
その様子がおかしくて、少し笑えてしまった。
「どうしたの?」
「いえ…。自分がヒーローだって、可笑しいなって。」
「えぇぇぇ! そ、そうなのかな…。」
「ふふっ、そうですよ。」
僕はこの状況で、笑っていた。
刻一刻と迫っていた死神の音は、いつの間にか消えていた。
「落ち着いたかな?」
「はい。ヒーローと一緒にいると、すごく安心します。」
「…いざ呼ばれてみると、なんか照れるなぁ…。」
恥ずかしそうに、彼女は後頭部を搔いた。
「意外と照れ屋なんですね。」
「そ、そうかな…。」
自覚はないのか、少し考えこみ…。
「じゃあ君は、すごく天然なんだね。」
お返しとばかりに、そう言った。
「天然ですか? はじめて言われましたね。ちなみに、どこら辺がです?」
尋ねてみると、彼女は吹き出して笑った。
「な、なんですか!?」
「だ、だってぇ…」
腹を抱えて、彼女は僕の足元を指さす。
「今自分が浮いてることに、気が付いてないんだもん…ふふふっ」
失神しかけた。
彼女は、空を飛ぶことが出来た。僕のように、彼女の近くにいる人にも、その能力は共有されるらしい。難なく建物から脱出した。
彼女の粋な計らいで、そのまま、夜の街を飛行した。
先ほどは、意識が遠のくほどの衝撃を受けたが、慣れるのは時間の問題だったらしい。
楽し尽くした僕は、ちょうど真下にあった高台の公園に着陸した。
「満足?」
にやにやした彼女は、僕の顔をじっと見つつ、そう聞いた。
「もちろん!」
僕は興奮まじりに答えた。
「良かった。あ、あそこのベンチに座ろうよ。」
彼女に促され、近くにあったベンチに腰を掛けた。
「うわぁ…! すごいなぁ…。」
ふと空を見ると、星があった。
無数の星だ。数えきれない。
「下ばっかり見てたから…。きっと気が付かなかったんだよ。」
彼女も隣に腰を掛け、空を見上げる。
そこで、僕は聞いてみた。
「結局、あなたは誰なんですか?」
「正義のヒーローだぁ!…って、そういうことじゃないよね。」
彼女は少し黙った。星空を見ながら、次の言葉を待つ。
「少しだけ、信じられない話をするよ?」
「いやいや。突然前が光ったと思ったらあなたが出てきて、俺はいつの間にか浮いてて、一緒に空飛んで夜景楽しんで…。信じられない話をするなんて、今さらですよ。」
「あははっ! 確かにそうだ!」
二カっと、彼女は笑った。
「いいですよ。何言われても信じますから。」
うーん、と彼女は悩む。
「…実は、私はあなたの母親なんだ。」
なぜ悩むのかと一瞬思ったが、そういう事か。
「僕の母親は空飛んだりしません。しかも母親は、僕がまだ幼い頃に、父親と共に交通事故……? で死にました。」
「…あ、少し重たい話になってしまった…。」
「いいから。早く本当のことを教えて下さい。」
彼女はゆっくりと息を吸い、そしてゆっくりと吐く。少し開いて、徐に口を開いた。
「私は、ごく稀に生まれる本物の『ギフテッド』だよ。」
「へぇー。よく分からないけど、そんなものがあるんですね。と言うか、最初からそう言ってくださいよ。」
「へへ…何言われても信じるって言うから、試してみましたー…なんて。」
気まずさを誤魔化すかのように、彼女は引きつった笑いをした。
「いいんですよ、もう。何年…も前の話です。」
「そう…。そうなんだ…。じゃあ、今はどこで生活しているの?」
「さっき燃えた場所ですよ。」
またも同じ空気が流れるのを感じた。源泉はもちろん彼女だ。
お調子者なのかお茶目なのか、はたまた真面目なのか。
「あなたは、俺の命を救った。それに代えられるものなんて、ありませんよ。」
でも、悪い人じゃない。優しい性格なのだろう。
「そっか…。それじゃあ、他に行く当てはあるの?」
「ありませんよ。どこかぶらついて、ゴミでも拾って腹満たせればいいんですよ。」
自虐的に、そう言ってみた。
興味に似た感情が、そう呟かせた。
すると彼女は、ムッとした目で僕を見た。
「ダメに決まってるじゃん。おなか壊すよ。」
「はい。壊しますね。」
しかしながら、頼りになる当ては一切ないし、誰かに拾わることなんて…二度とないだろう。そう確信めいたものが、そこにあった。
期待なんてしてない。
「それじゃあ、提案があるんだけど。」
期待なんてしてない。
「はい、なんですか?」
期待なんてしてない。
「家族になろうよ。」
二つ同時に、流れ星が流れた。
そう言われるのを、ずっと待っている自分がいた気がする。
信じられなくて、この上なく、嬉しかった。
視線はまだ、空に固定されたまま。泣き虫だと悟られないように。
「あなたには、何から何まで、救われますね。」
「はっはっは! このツケは出世払いで頼むよ?」
「金取るんですか…全く、もう……っっ。」
涙が止まらなかった。
やっと、本当の意味で、救われた気がした。
「よしよし。…こわかったね。もう大丈夫だよ。」
彼女は、僕を優しく包み込んでくれた。
言葉でしか知らなかった温もりが、今は肌で感じている。
僕はしばらく、彼女の胸の中で、カラカラになるまで泣きじゃくった。
空が白み始めた時間、僕と彼女は歩いていた。
「私はミコト。よろしくね。」
「ありがとうございます、ミコトさん。えっと…」
「それじゃ世間知らずの君に、今の世間ってやつを説明してあげるよ。」
「…僕って世間知らずなんですか?」
「そうだね。無知も良いところだね。」
「そ、そこまでだったのか…。」
いつ僕を世間知らずだと判断したのかは分からないけれど、確かにその手に関しては疎い自覚はあった。
「まず、『ギフテッド』の話から。」
「ああ。さっき言ってたあれですね。」
「そう、あれのこと。」
「ギフテッド…ってことは、『天才』ってことですか?」
「簡単に言うとそうだね。正確に言うと、生まれつき脳が異常発達した影響で、特別な能力が発現した人たちを指すんだ。」
やはりギフテッドは、彼女の他にもいるようだ。
「生まれつき脳が、ですか…。その能力というのは、どんなものがあるんですか?」
「能力は十人十色で、少し先の未来が見えちゃったり、常人の何倍も速く頭を回転させちゃったり…とかだね。」
「それじゃミコトさんは、空が飛べちゃうとか、光に紛れてワーッと…」
「っと…! ごめんちょっと急ごう。」
僕の後方で何かが目に入ったのか、彼女は突然話を遮り、歩調を速めた。
「み、ミコトさん?」
様子がおかしかったので、後ろを確認してみた。目に入ったのは、ランニング中であろう若い男性。
「ごめんね。いろいろ事情があって。後で話すから、もう少し急ごう。」
小走り、といったペースで、僕たちは目的地へ急いだ。