第2章-2話 『そのニブさは犯罪です』
相模が去ったあとをぼんやりと眺めていると、美緒の横でキィっと自転車の止まる音がした。
「どしたの美緒、ぼんやりして。友丸の散歩してるんでしょ?」
聴きなれた明るい声がしてそちらを見ると、親友の紫花があでやかな笑顔でこちらを見おろしていた。
自転車のサドルにまたがったまま右足だけ地面に着けて止まっている紫花は、いつもの制服とは違う細身のジーンズが良く似合っている。
「うん。今までここに相模くんが居たんだけどね。あの人ってやっぱり変よねえ。私のこと嫌いなら、いちいち声かけてこなくて良いのに。いくら友丸が可愛いからって……」
ひょいっと友丸を抱き上げると、紫花に並ぶように立ち上がる。
「なに? 相模がいたの?」
「うん。友丸を撫でようとして。……まあ、噛まれちゃったんだけどね、友丸になら噛まれても良いんだって。あの人もかなりの犬好きだったんだね」
苦笑するように美緒が言うと、紫花はことさら眉間に皺を寄せた。
「美緒ぉ。あんたわざと言ってる? それとも天然?」
「……なにが?」
まったく分かっていないふうの美緒に、やれやれとばかりの大きな溜息をついて、紫花はわざとらしく首を横に振ってみせた。
「あのねぇ、相模の家って元郷の方だよ? なんで自転車で1時間ちかくかかるここに来てるのよ」
「それは、何か用事があったんでしょうね」
あっさりとそう答える美緒に、思わず紫花はがっくりと首を落とした。
クラスでもそうだけれども。あれほど露骨に他の人間への態度と違う相模を見ていれば、彼が美緒のことをどう思っているのか気付かない人間の方が少ないだろうと紫花は思うのだ。
そんな彼がわざわざ美緒の家の近くまでやって来て声を掛けたとなると、理由はひとつしかないということは第三者の紫花にだって予想がつく。
なにせ、もうじき我らが学園の創立祭がある。賑やかなことが好きな学園長の趣味でとても多くのイベントが行われるのだが、その最後を飾る後夜祭では華やかな花火がたくさん上がり人々を楽しませていた。
その中に紛れるように小さく真っ白な紫陽花を模したか花火が一発だけあがると言われ、それを見つけることができたカップルは離れることなく結ばれる、というのが学園に伝わるジンクス、おまじない、言い伝え。
この時期それにむけて多くのカップルが誕生することは学生たちの間では有名だった。まさかあの風紀委員長がそんなイベントに乗るとは意外だったが、何か想いを告げるきっかけが欲しかったのかもしれない。
相模は生真面目なところはあるが意外と融通のきく性格で、風紀委員の取締りの際に何度か紫花も見逃してもらった覚えもあるし、眼鏡の下に隠れたその顔だってなかなかの二枚目だ。
美緒への態度を見ればいまどき珍しい純情好青年ぶりで、紫花的には花丸OKというところなのに肝心の美緒がこれでは相模も哀れと言うものだ。
「つくづく鈍い女だねぇ、あんたは。そこまでいくと犯罪級だよ」
呆れたように、紫花は苦笑した。
「ええっ、なんのこと?」
驚いて美緒は目を丸くする。いったい何を責められてるのか分からなかった。
「くぅぅぅん……」
ふと、美緒の腕の中で友丸が声を上げた。
つぶらな黒い瞳は拗ねるように……というよりも、余計なことを言うなとばかりに、じっと上目遣いに紫花の顔を見つめている。
「やあだ、ホントにこの犬こ、ヤキモチ焼いてるんじゃない?」
わしゃわしゃとその頭を撫でてやりながら、紫花は可笑しそうに肩を揺らして笑った。この間とりけらとぷすのマスターに吼えた時には冗談で言ったのだが、今のこの拗ね方といい、相模に噛みついたことといい、ヤキモチ以外には考えられない。
「ふふ。普段は可愛い普通の仔犬なんだけどね、時々こっちの言葉とかが分かるみたいに反応するんだよぉ」
にこにこにこ。美緒は笑って言った。
「あんた、嬉しそうね」
「え? そうかな。でもやっぱりこの仔は可愛くて大好きだもの。気持ちが通じてれば嬉しいよ」
飼い主馬鹿もここまでいけば筋金入りである。もうメロメロという表情で、美緒は小さな友丸の身体をきゅっと抱きしめる。
「美緒、あんたそれヤバイって。そんなこと言ってると恋のひとつもしないうちに高校生活終わっちゃうよ? さみしいよ?」
美緒の仔犬への溺愛ぶりに、もし本当にこの仔犬が美緒の前世の恋人の生まれ変わりならそうなりかねないと紫花は少し心配になった。
いくら犬相手じゃ恋にならないと美緒が思っていたって、"友丸"が美緒の新しい恋の邪魔をしたら、高校生活どころか美緒はずっと独り者だ。
「もともと美緒って恋愛オンチっぽいし、あたしは心配だよ、まったく」
やれやれと言わんばかりに紫花は大げさに首を振ってみせた。
「恋愛オンチってひどいなぁ。ただ好きな人がいないだけだもん。もし好きな人が出来たらちゃんとこの子には言い聞かせるわよ。吼えたり噛みつかれても困るし。私だって仔犬ともまるを恋人にする気なんかないよ。つか、そんなのありえないし」
苦笑しながら美緒は肩をすくめた。
やっぱりさっき同様に恨めしそうな目で見上げてくる友丸の視線はこのさい無視することにして、美緒は軽く頬を膨らませて親友を見やる。
「ふーん? それならいいんだけど。とりあえずまあ、もうちょっとそのニブさを治さないとねぇ、美緒には好きな人もできないと思うよ」
紫花はにっと笑うと、ちょいっと美緒の額を小突いた。