第0章-2話 『来世で再び会いましょう』
「私は家には戻らない。どんなことをしても、みおを守ると決めたんだ。だから……みおもそんなこと言うな。絶対に、二人で切り抜けよう」
友丸は、哀しい笑顔で離れようとする少女を抱きしめた。既に追っ手は佐久間だけではなく、周囲は数人の侍たちによって囲まれている。先ほどよりも、状況は絶望的だった。
けれども意を決したように、友丸は腰に佩いていた刀を鞘から抜き放つ。この暗闇の中での乱戦ならば、もしかしたら闇に溶けて逃げることが出来るかもしれない。そこに一縷の望みを託し、少女を背後に庇いながら一番隙のある場所へと飛び込んだ。
主家の子息による突然の強襲に反撃するのをためらったのだろうか。追っ手の数名は思わず囲みをとくように尻込みし、二人の突破を許していた。
「……ふう。しようのない御方ですね」
佐久間はやはり感情のこもらない口調でそう呟くと、猫のような身軽さで再び夜陰の二人を追い始める。その表情は相も変わらず無表情ではあったけれど、どこか獲物を追い詰める事を楽しむ狩人のようにも見えた。
「鬼ごっこは、そろそろ終わりに致しましょう」
どうやって回りこんだのか。佐久間は走り続ける二人の前にスッとその姿をあらわし道を塞ぐように刀身を下ろす。どうやらこの林の地形には、彼の方が詳しいようだった。
「くそっ……」
あと少しで河原へと着ける……友人の新吾が用意してくれているであろう舟にさえ乗ることが出来れば、逃げ切れるのに――。
その僅か少し手前で追い詰められてしまったことが悔しかった。
あとはもう、自分の命に代えてもこの男を倒すしかない。
みおだけでも……大切な。何よりも愛しいこの少女だけでも逃げ延びさせたい。いまの友丸にはそれしか思い浮かばなかった。
それが――先ほど自分が反対し叱咤した『己を犠牲にして相手を生かそう』とした少女の思考とまったく同じものだということに、友丸は思い至らなかった。
「無駄ですよ、雅佳さま。あなたの技量では私はとうてい倒せません。貴方がたお二人に、助かる道は無いのです」
ひやりと無機質な能面のような顔に浮んだ嘲笑の眼差しが、もとより佐久間に二人を生かしておくつもりなどなかったのだということを雄弁に語る。友丸は、ぎりっと唇を噛み締めた。
目の前に居る佐久間という男がどれほどの剣技の持ち主なのか――何度も稽古をつけてもらった事があるので分かる。確かに、自分などが太刀打ち出来るような相手ではない。
だからといって諦めることなど出来なかった。ここで諦めてしまったら、大切な少女と過ごす『時間』はここで終わってしまうのだから。
けれども――その技量の違いは大きすぎた。
必死に立ち向かってくる友丸を嘲笑うように、佐久間は余裕の表情で二人を見やり、月影に不気味にきらめく刀身を一閃させる。
小さな悲鳴があがった。
佐久間の剣に弾き飛ばされた友丸の刀身が、少女の胸を貫いていた。ゆるゆると、糸が切れたように静かに地面に崩れおちる少女の儚い姿が視界に入る。
「み……お……っ!?」
驚愕に、友丸はみおの傍らに跪いた。
佐久間の技量ならば、どこに飛ぶのか計算したうえで緻密に彼の剣を弾き飛ばすこともできたのかもしれない。しかし自分の意思ではなかったにせよ、己の剣が愛する女性の胸を貫いたという事実は変えようのないことだった。
「とも……まる……さま……そんな顔……なさらないで……ください」
少女は自分を抱きかかえる青年に柔らかな笑みを浮かべて見せた。大切な、自分にとってかけがいのない青年が苦しむのはいやだった。だから、彼女は笑っていた。
「みおは……とても幸せ……でしたもの……」
涙の浮かび上がる大きな瞳を柔らかに笑ませて、みおは友丸の顔を仰ぐ。
「だから……次の生でも……あなたと……」
哀しそうに。けれどもとても幸せそうに微笑んで、みおはそのまま瞳を閉じた。
「みおっ!」
友丸のふたつの瞳から、ぽたりぽたりと涙が零れ落ちる。
「……すまない……私は……おまえを守れなかった……。だから……次の生では必ず……おまえを守るから……みお……っ!!」
いったい自分は何のために、ここまで二人でやって来たのだろうか。あまりに理不尽な現実に、友丸は強く少女の身体を抱き寄せながら唇を噛み締めた。
今生では叶えることの出来なかった想い。もし本当に来世と言うものがあるのなら、その時こそ守り叶えてみせるから ―― 友丸は、既に答えぬ少女に誓うようにその身体を抱きしめる。
「――私は、貴方がたのそういうところが嫌いでしたよ」
ふと、頭上から抑揚のない声がする。顔を上げた友丸の涙で霞む視界に、能面のような口許に冷笑を浮かべる佐久間の姿が映った。
佐久間はゆっくりと二人に近付くと、おもむろにみおを貫いていた友丸の刀剣を抜き取った。
「佐久……間……何をっ!」
「二人で、お逝きなさい」
にやりと歪んだ笑みを浮かべて、佐久間は驚愕に見開いた友丸の胸へとその刃を突き通す。斬るのではなく、まるで友丸自身が己の手で突き立てたかのようにも見える位置だった。
「最期は一緒で、よかったですね」
自分を睨み付けるように見開かれた友丸の瞳に無表情な視線を投げてから、佐久間は柄を握っていたその手を放す。
「……み……お……」
己の身体を支えていた佐久間の手が離れると、友丸の身体は力を失い少女に折り重なるように倒れ込んだ。
不意に、葉擦れの音がした。
他の追っ手がようやく再び追いついてきたのかと思ったが、そうではなかった。
がさがさと葉を揺らすようにこの場に現れた人物は、佐久間の編成した追っ手には入っていなかった人物。けれども、その顔は見知った若い武士だった。
「――ま、雅佳さまっ!? みおさま!?」
彼は倒れている友丸と少女の姿を見つけると、すうっと青褪め、慌てたように一気に二人の傍へと駆け寄った。
「新吾どのか。そこもとが、お二方を手引きしたのかな」
佐久間は変わらぬ無表情で、とつぜんの闖入者に声を駆けた。この見知った若い武士が友丸の付き人だということは知っていた。
おそらく彼が、二人の逃亡を手助けしていたのだろうと悟る。だが、特に糾弾するつもりは佐久間にはなかった。
「……佐久間どの……これはいったいどういうことか!?」
新吾は傍らに佇む青年を睨むように問い質す。
「我々が追い詰めてしまったみたいだ。逃げられぬと覚悟を決めたのか、雅佳さまはみお殿を手にかけられ、そのあとご自分で……止める暇もなかった」
佐久間はいかにも悲しげに首を振ってみせた。先程までの能面のような無表情とは違い、その切なそうな表情は心底から二人の死を悼んでいるように見える。
そしてまた――目の前に広がる状況は、確かに佐久間の言葉を新吾に納得させるに十分なものでもあった。
「雅佳さま……なぜこのような……」
二人の逃亡を助けようと、舟を用意して待っていたというのに。あまりに遅いから様子を見に来てみれば、このようなことになっているとは――。新吾は悲嘆にくれたようにうつむいた。
「お二人は『来世で再び会おう』と……そう仰っていたよ。新吾どの」
佐久間のその言葉を裏付けるかのように、みおの亡骸は微笑んでいる。友丸の顔からは怒りと悲しみが見えたけれど、それは愛しい女性を手にかけたのだからと納得も出来た。
「……雅佳さま。みおさま……生まれ変わって、お二人で幸せになってください……」
新吾はただ、慟哭するようにそう祈ることしか出来なかった――。