前編
東坂あきらははっとして目を開けた。机に突っ伏している自分がどういう状態なのか瞬時に思い出し、冷や汗が出てきた。
ゆっくりと体を起こす。
「……」
風紀委員室内である。どのくらい居眠りをしていたのか、窓の外が真っ暗である。
「はあ」
あきらは額を押さえてため息を吐いた。よほど疲れていたのか寝てしまったらしい。昔から自分の仕事を他人に任せるのが苦手なのだ。
「でもこれは、さすがに効率が悪いですね」
この居眠りの時間がなければ今頃は帰宅しているだろう。
壁時計は六時半を過ぎていた。最終下校時刻は七時なのでもう少しで放送が入るだろう。
「もう少し進めたら今日は帰りますか」
と、その時だった。
「失礼します」
風紀委員室の戸が開いたのだ。
「あ、やっぱり」
呆れ顔で視線を向けて来たのは菅谷奏介だった。風紀委員の一年生だ。
「何もこんな時間まで残らなくてもいいんじゃないですか?」
歩み寄ってきた彼は制服姿だが、カバンなどは持っていない。
「菅谷君こそ、こんな時間までどうしたんですか?」
「一回帰って忘れ物を取りに来たんですけど、風紀委員室が明るかったので寄ったんです。ほら、送って行きますから帰りましょう」
「いえ、もう少し」
「良いから。明日手伝いますよ。もう放送入るし、チャイムもなりますよ」
戸惑うあきらに奏介は半ば強引に連れ出した。風紀委員室の鍵を職員室へ戻し、二人で門を出る。
「書きかけの書類だけでも終わらせてしまいたかったんですけどね」
あきらは頬に手を当て、困ったように笑う。
「熱心ですね」
「そうですか? まあ、お仕事ですしね」
「皆もですけど、頼ってくれれば書類くらい手伝いますよ」
「ありがとうございます。優しいですね」
奏介は少し心配そうに、
「疲れてませんか?」
そう問うて来た。
「そんなことないですよ。大丈夫です」
いつもの癖で彼の頭を撫でる。
「……」
奏介は照れくさそうに視線をそらした。
「気を悪くしたら申し訳ないんですけど」
「はい?」
「委員長は人に頼るの、嫌いなんですか?」
奏介の問いにあきらはにっこりと笑う。丁度、街灯の下だったので彼には曇りのない笑顔に見えただろう。
「いいえ。ただ、全部自分でやるのが好きなんです。昔からの性分で」
「そうなんですか。……だとしたら任せてとは言えないですね」
「ふふ。そこら辺は気にしなくて大丈夫ですよ。菅谷君や皆の気持ちは分かってるつもりですから」
委員長を任されたのは小学校一年生の時だった。その時から『委員長』は自分のアイデンティティになっている。クラスでも風紀委員でも。
「まあ、でも」
大通りに出て駅へ向かいながら奏介はそう言った。
その続きが気になり、彼の横顔を見る。
「居眠りするほどの疲れは問題ですよ」
あきらの表情が固まった。それから、ゆっくりと紅潮してくる。
「み……見てましたか」
「頬に書類の段差のあとがついてたので」
「……」
居眠りしていたこと自体は恥ずかしくないが、それを隠した上で偉そうなことを言ってしまったのは失敗だった。言い訳をした方がいいだろうか。こんなに恥だと思ったのは久しぶりだ。
「すみませんっ」
あきらは両手で顔を覆った。
「謝ることじゃないですけど、ちょっと心配だったんですよ。明日、放課後一緒に残りますから。皆に頼るのはダメでも、明日限定で一人に、だけなら良いですよね?」
あきらは顔を赤くして、上目遣いで奏介を見た。
「良いんですか? 委員長がやるべき仕事を押しつけてしまって」
「お手伝いですって。どうですか?」
あきらはしばらくして、こくりと頷いた。