とある女冒険者の苦難
「ミルフィは冒険者になりたいのかい?」
「うん! おばあちゃんみたいなぼうけんしゃになるの!」
「ふふ、そうかい。だったらひとつ、とても大事なことを教えてあげよう」
関節が固まり細くなった硬い指が私の髪を撫でた。
ママやパパの手よりごつごつしてるけど、おばあちゃんの優しい指遣いが気持ちよくて、つい目を閉じてしまう。
「だいじなことぉ?」
「パーティーが上手くいかなくなった時のコツさ。それはね――」
* * *
「セ~リスぅ~男連れ込むなら先に言ってよ~」
「ざけんな! ヒトの男に色目使うクソ女に教えるわけねえだろ!」
「いいじゃん味見するくらい。あんた男見る目ないんだし」
「殺すぞビッチエルフ」
「セリスにビッチとか言われたくなーい」
「なにー? セリスまた逃げられたのー?」
「アリシアも黙ってろよ、その酒瓶叩き割んぞ」
「わたしのカレに手を出さないで!」
今日もクランのホームには遠慮のない罵倒が飛び交っていた。
私がリーダーを務めるクラン【赤狼】は女冒険者だけのパーティーだ。
最初は、男女のトラブルを嫌って集めた仲間だった。
冒険者は何日も同じメンバーで未開の土地を探検したり、危険なダンジョンを潜ったりする。そこでメンバーの一部だけイチャイチャしたり、補助の優先順位が変わるようでは危険を招く。
そう考えて女だけのパーティーにしたのに……。
「あーもう! 毎日これじゃ、うんざりする!」
実際、仕事が始まればそれまでの喧嘩も嘘のように収まるのだけど、私の立場としてはいつ誰が爆発するかと心配で仕方がない。
「すいません……ミルフィさん、今いいですか……」
カウンターに肘をついて溜め息をついているとシャノンがやってきた。
シャノンはまだ新入りで他のメンバーのように擦れてない、ふわふわした感じのかわいい子。同じ女なのにシャノンを見ているとちょっと癒され――おっと、これは危ない兆候だ。
頭振ってシャノンに向き直す。
「どうしたの?」
「エキドナさんが、またわたしのパンツ勝手に履いてましたぁ~」
「……あのエルフ長生きしてるからね、認知症かもしれないから許してあげてね」
「しかも裏表逆に履いてました」
「あるある」
「注意したらその場で脱いで返されました」
「……」
シャノンが泣きそうな顔で何か言いたそうに私を見上げる。
さすがに脱いだパンツ返すのはやりすぎか。
私も適当な相槌を返せなくなる。
最近は新人イジメ――ってほどでもないけど、入ってすぐに脱退する子も多い。
せっかく有名なクランになったのに。
能力だけは有能な人が集まったのに。
確かにこのままではマズい気がする。
「一回、本気で注意しなきゃダメかなぁ」
「お願いしますぅ……」
これまでも散々注意はしてきて無駄なのはわかってるんだけど。
私はシャノンに見守られ、騒いでいる二人に近づいた。
「二人とも、ホームに男を連れ込むのは禁止だって言ってるでしょ!!」
「うるさいなぁー、休みくらい何しててもいいじゃんか」
「それからエキドナは自分の洗濯物くらいしっかり管理しなさい!」
「だってかわいかったんだもーん」
注意をしても、二人に悪びれた様子はない。
それどころか自分は悪くないと言い返してくる。
本当に困った人たちだ。
どうしてこんな奴らに男はほいほい引っかかるのだろう。
「規則は規則よ! 自分勝手なマネしないで!」
「チッ、っさいな…………ねぇギルマス、ちょっとバンザイしてみて」
「なんでよ」
「いいからほらっ」
「やめっ、放しなさいって!」
セリスとエキドナが渋る私の両腕を掴んで上に持ち上げる。
一体なんなの、こんな風にふざけて……。
怒られてる自覚がないのコイツら。
胸のお肉が上に引っ張られて元から薄い胸がさらに薄くなる。
「すごーい! ミルフィのおっぱい消えちゃったー!」
「なんて魔法? ねぇそれなんて魔法?」
「ミルクでないのにミルフィ……ぷぷ」
まるで最初から何もなかったかのように。
すると、他のメンバーからも静かな笑い声が聞こえてきた。
私の胸がややさびしいのは否定できない。
そしてクランのメンバーが無駄に胸がデカいのも否定できない。
酒の席では何度もいじられたりしている。
だからと言って、どうして今、私が馬鹿にされなければならないの。
何度も何度も何度も、この自己中女どもに私が振り回されなきゃいけないの。
コイツらが男と遊んでいる時に、私はクランをどうしたらいいか考えてるのに。
怒りで全身が震える。
血管が切れたか、じわりと頭部に温かいものが広がっていく。
「ぷぷぅ、ミルフィ揺れても胸揺れない」
「ギルマスも顔は悪くないのに、これのせいで男っけないもんね」
「モテない人に男連れ込むなとか言われてもなぁ~」
「う、うう、うるさぁあああああああああああい!!!」
怒鳴り声がホームに響いた。
ふんっ!と息を荒げてセリスとエキドナの手を振り払う。
どいつもこいつも私の苦労を理解しないで好き勝手。
これまでずっとこのわがままクランを苦労してまとめてきた私を軽く見て。
私だって、恋愛に興味がないわけじゃない。
できるなら恋がしたい。
ただクランを、仲間の居場所を守るためにって自分を殺して頑張って来たのに!
もう我慢できない!!
「やってらんないッ!!!!!」
「エッ! ちょっとギルマスどこ行くの!?」
「どこだっていいでしょ! それに私はモテないわけじゃない! 胸しか見てないくだらない男になんて興味ないだけなんだから!!」
私は静止する声を無視してホームを飛び出した。
勢いよく扉を開けたせいで、蝶番が壊れたようだけど気にしない。そのままホームを購入する前によく通った酒場へと向かう。
クランが大きくなって収入が上がった今では、誰も通わなくなった都市の外縁にある汚い酒場。あそこならクランのメンバーと顔を合わせることもない。
冒険者の中でも荒くれ者が集まる場所だから、多少暴れても問題ないだろう。
「アアアァ! もおぉおお! 今日は吐くまで飲むぞぉ!!」
* * *
「……ここは? うぅっ、頭痛い」
窓から差し込む眩しい陽射しと頭痛に目をつぶる。
「はい、お水です」
気づくと私は、見覚えのない部屋にいた。
しかも見知らぬ青年に介抱されている。
一体誰だろう、このかわいい眼鏡男子は。
やわらかそうな茶色い髪……でも眼鏡の似合う涼しげな目元には高い知性が見える。それでいて体も鍛えられているらしくがっしりとしている。
だけどそれより今は喉が渇く。
いろいろと浮かび上がる疑問を押し殺し、渡された水を一気に飲み干した。
「……ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「ところで…………アンタだれ?」
「エメリオですよ。名前聞くの何回目ですか、もう……」
私は純白のシーツを体を隠すように胸まで引き上げて質問した。
そう、私は裸だった。
部屋を見渡すと、昨日来ていた服が丁寧に畳まれている。
呆れた声で答える青年が畳んだのだろうか。
ずきずきと痛む頭で昨晩を思い出そうとしても何も思い出せない。
完全に飲みすぎだ。
「……ヤッた?」
「へ?」
「ヤッたの!?」
「ああ……ミルフィが戻してゲロまみれになったので脱がせただけですよ。服は昨夜の内に洗って魔法で乾かしました。それから僕は昨日も言ったように今女性に興味がありません」
エメリオと答えた青年から冷静に返された。慌てたせいで責めるような口調で聞いてしまった分、余計に返す言葉がなくなる。
顔まで隠すようにシーツを上まで持ち上げると、お酒と少しだけ酸っぱい臭いがした。
さようですか、私は吐きましたか。
これは相当迷惑をかけてしまったようだ。
しかも青年は“ソッチ系”の趣味のお人らしい。
私には微塵も興味がないといった態度だ。
揺れるシーツの隙間から、ちらちらと私の白い素肌が見えているはずなのに、視線が私の眼を捉えたまま微動だにしない。
「ぐあああああああぁ」
「どうしたんですかッ!?」
「……はずかしぃ」
ますます顔を見せられなくなる。
どうしよう……。
「はぁー、なんなんですか、心配させないでくださいよ」
「えと……いろいろと、その……ごめんなさい」
「いいですよ、面白かったですし」
「おもしろ……?」
折り曲げた膝からチラリと顔を上げると青年と目が合った。
エメリオは何も言わぬまま一度微笑んで部屋を出て行った。少しするとジュージューと朝食を準備する音が響いてくる。
見ず知らずの女にベッドを占領され、ゲロを吐かれ、何一つ嫌な顔をせず朝食の世話までしてくれる。
この青年は天使なのだろうか?
もしかして、私死んだ?
まだお酒の残るバカになった頭で、バカな妄想に浸っていると、お盆に目玉焼きとベーコンを乗せたトーストを持ったエメリオが帰ってきた。
先ほどと同じ天使のスマイルで勧められ、カリカリとベーコンだけを齧る。
「そうしてると昨日とは別人ですね」
「ひゃっ!?」
エメリオの手が私の髪を撫でた。
私は昨晩、酒場で何をしでかしたのだろう。
どうやってこの青年と知り合ったのだろう。
聞くのが怖い。
でもそれも、エメリオの手が気持ちよくて、すぐにどうでもよくなる。
硬い指が細い髪の毛をすり抜けていく懐かしい感覚。
頭を撫でられるなんていつ以来だろ。
おばあちゃんが生きていた頃かな。
おばあちゃんはこの町の冒険者ギルドの創始者の一人でみんなに慕われていた。
パーティーも私の【赤狼】と同じで男の人はほとんどいなかったはず。なのに、みんな仲良しだった。冒険者を引退した後も、よく集まってのんびりお茶してた。
いつかあんな風になれたらいいな……って思ってたのに、私はどこで間違えたのだろう。
そう言えば、おばあちゃんが亡くなる前に、何か大事なことを教えてもらった気がする。
なんだっけ?
「うーん?」
「まだ頭が痛みますか?」
「そうじゃなくて……手は冷たくて気持ちいいからそのままで」
「はいはい」
エメリオが私の顔を心配して覗いてくる。
すると、なぜだかおばあちゃんの顔が浮かんできた。
『ミルフィ、よくお聞き。女がまとまらなくなった時はね』
『ときはー?』
『パーティーに一人、イケメンを入れなさい』
『いけめんいれる?』
『そうすれば、きっとぜんぶ上手くいくから』
そうだ、おばあちゃんは言っていた。
何をするにも女だけでは限界がある。
そんな時はイケメンの力を頼るのだ、と。
「……あのエメリオ君?」
「呼び捨てで構いませんよ、僕も昨日からミルフィと呼んでますし」
「いえ、むしろエメリオ様とお呼びさせてください」
「こわいこわい、むしろは怖い」
「むむぅ……じゃあエメリオで。少し相談があるのだけど」
私は目の前で微笑む眼鏡をかけた天使の手を取った――
* * *
昨日の昼から壊れたままの扉をくぐり、私はホームに帰ってきた。
「アアー! やっとミルフィ帰ってきた!」
「遅いよー、もぉードア自分で直してよねー」
食堂の入り口に立つと、何人か私に気づいて声をかけてきた。
ちょうどいい、食堂には私を入れてクランのメンバー全20名が揃っている。
みんな相も変わらず部屋着姿でだらしのない恰好。テーブルには脱いだ物がそのまま乗っかっている。中には完全に乳を放り出して半裸で酒瓶を抱いたまま寝そべっている者までいた。
後ろでエメリオの顔が少し引きつっているのが分かる。
パンパンッ!と手を鳴らして視線を集める。
普段なら、この程度で女蛮族どもが大人しくなることはない。
しかし私の後ろの影に気づいたのか、今日は一斉に食堂が静まり返った。
「突然ですがクランの新メンバーを紹介します。エメリオ君です」
「エメリオです。最近僕のパーティーが解散して暇になっていたところをミルフィに誘われました。これからよろしくお願いします」
「「「……………………」」」
エメリオが自己紹介しても反応がない。
みんな呆然と口を半開きにしてエメリオを眺めている。
「……お、お……おときょ?」
しばらくして、ようやく絞り出すような声で言われた言葉がそれだった。
おそらく「男?」と言ったのだろう。
「最近うちのクランはちょっと行き詰ってたでしょ。だから新しい風を入れようと思って――ってあれ?」
私がしゃべっている間に、食堂からは誰もいなくなっていた。
上位クランの名に恥じぬ身体能力で霧となって消えた。
とりあえず椅子に座りエメリオと五分ほど待つと、みんな示し合わせたかのように足並みをそろえて食堂に姿を見せた。
背筋を伸ばして優雅に歩いてくる。
「……なんだコイツら」
しかも、服装がホームや仕事では着ない勝負服になっているじゃないか。
たまにカワイイ新人冒険者の男の子や他の都市からきたベテランの渋いおじ様冒険者を見つけた時に着るやつ。
ぼさぼさだった髪には櫛を通し、綺麗な髪留めまで使っている。
ゆったりと無駄にデカい乳を見せつけるように揺らして席に座ると、ほのかに香水の匂いが漂ってくる。
シャノンを含め、新人の娘たちまでも同じ有様。
まったく、全員で一斉に香水なんて着けたら臭いだけなのに。
挨拶を仕切りなす前に窓を全開にした。
これだから乳だけで男を釣ってるバカ女は困るんだよ。
「みんなそんな服持ってたのね」
「いつも着てる服じゃない。何言ってるの?」
「ミルフィも少しおしゃれに気を遣った方がいいわ。自分が無頓着だから他人のおしゃれにも気づけないのよ?」
「……あっそう」
アリシアが首を傾げると白く柔らかそうな胸元を強調していた紺碧色のフリルが揺れた。
嫌味に嫌味を返されてちょっとイラっとくる。
「美しい軽薄な色ですこと。私も男を誘うドレスを持っていた方がいいのかしら」
「ア?」
一瞬、私とメンバーの間でバチバチと閃光が走る。
がしかし、エメリオの手前いきなり喧嘩を始めるわけにもいかず、といった感じでみんなすぐに態度を取り繕う。
「そんなことよりギルマスってば人が悪いなぁ」
「そうだよぉ、新人が来る時は先に教えてっていつも言ってるのにぃ」
なんなの、その甘ったるい話し方。
それにこれまで新人が来る日でも、こんな風に態度変えたことないじゃないの。
これがイケメンの力なの、おばあちゃん。
みんな話を聞く姿勢ができたところでエメリオに再度自己紹介してもらうと、これまで感じたことのない歓迎のムードに包まれる。
「ところでミルフィ、エメリオさんを入れるということは、これから【赤狼】は男女混合パーティーになるということですの?」
「で す のっ、ぶはっ!!」
やばい、むせた。
ビッチエルフのエキドナが急にお上品ぶるから、思いっきり気管に唾入った。
エメリオが背中をさすってくれるけど、その度に私に飛ばされる殺気が強くなるので、すぐに「大丈夫」と手で合図する。
「そこ笑わなくていいですから、答えてくださいっ」
「げほげほっ、おぇ…………えーと、まずは男を仲間に加えて上手くやっていけるのか分からないので、当面はエメリオだけです」
「オトコ、ヒトリ、ダケェ……」
答えた途端に、背筋に冷たいものが走った。
メンバーは顔こそニコやかにエメリオを見ているが、醸し出す雰囲気が獲物を狙う肉食獣のソレだった。
まるで凶悪な魔獣が跋扈する夜の森に放り込まれた気分だ。
しかし、その威嚇とも取れる気配は、私にだけ向けられたものじゃない。
部屋にいる全員が互いにけん制している状態だ。
獲物を一匹にすることで膠着状態が生まれたみたい。
すごいよ、おばあちゃん。
クランの猛獣どもがこんな簡単におとなしくなるなんて。
イケメンはたくさんいればいいというわけじゃないんだね。
「ところで、入り口が壊れていましたが何かあったのですか?」
「それはギルマスが――」
エメリオの言葉に、早速私を売ろうとする裏切り者が出かかった。
しかし、私は最後まで言わせない。
「ん~なんだろこれ、下着が落ちてるな~」
洗濯もされていない床に落ちていた汚れたブラをつまみ上げた。
「みんなもやけに疲れた格好だったし、ホームが荒れてるなんて……もしかして昨日、私が出てから何か事件でもあったのかなぁ?」
私はさらに視線で裏切り者セリスに釘を刺す。
「あ……そ、そうそう、ギルマスが出ってから、アタシ達に敵対してるクランが喧嘩売って来てさ」
「それは危ない。ちゃんと処理したの?」
「もちろん、ぶっちめて都市警に引き渡しといたよ、アハ、ハハハ」
これから先、仲間同士の足の引っ張り合いは許さない。
そしてエメリオと現在一番距離が近いのは私だ。
コイツらが私とエメリオの関係を理解していなくても、エメリオを狙っているとしても、いきなり私に勝負を挑むマネはできないだろう。
「ふふふ、愉快なクランですね」
「でしょう? 私の自慢の仲間たちよ、というわけで、これからみんな仲良くしましょう、ネ?」
「「「ハ~イ」」」
女クラン【赤狼】にイケメン眼鏡が加わった。
* * *
それからというもの、クランは順調だった。
順調を通り越して躍進したと言ってもいいくらい。
これまでも都市で上位に位置する【赤狼】だったけど、今では完全に首位を独走している。
どんな依頼でも失敗することはなく、他の都市の貴族からも名指しで依頼が来るほどのクランに成長した。
全てはエメリオのおかげだ。
エメリオはイケメンなだけじゃなくて、これまで見たことがないほどの好青年だった。そのため、クランのみんながエメリオの気を惹くため善良に勤しんだ。
冒険に出てエメリオに危害を加えようとする魔獣がいれば、かつてない結束を見せて戦いに集中できた。買い物をしていてスリから狙われれば、都市から盗人がいなくなるまで犯罪者を狩りまくり治安に貢献した。
本来、誰かに守られるほど弱くもないエメリオがこうして隙を見せているのも、私が頼んでいるだけと知らず――
「くくく、何も知らずに健気なことで」
「完全に悪役ですね、僕も」
どれだけ気を惹こうともエメリオは女に興味がないというのに。
まぁ多少陰口を聞く機会が増えた気がしないでもないけど、概ね全て順調だ。
ともあれこれまで散々私に迷惑をかけた報いだ。
せいぜいポイント稼ぎに励むがいい。
ああ、盛ったメスゴリラ共のおかげで最近は酒が美味い。
私は今日も昔馴染みの酒場でワインを転がす。
「女の嫉妬で熟成したワインは実に美味いな、そう思わんか」
「またそんな高いお酒を水みたいに」
メスゴリラを騙す共犯者であるエメリオがそんなことを言ってきた。
エメリオが悪役とか言うからそれっぽい返事してあげたのに、つれない子ね。
「酒は頭使って飲むもんじゃないよ、エメリオはまだまだ若造だね」
「僕、同い年ですけど」
「そだっけ?」
バシバシとエメリオの背中を叩く。
こんな高い酒が飲めるのもクランの収入が増えたおかげだ。
私が肘をつくテーブルには一本でも金貨が飛んでいくような高級ワインが何本も空になっている。
しかし、私は高い酒なんて興味がない。
美食を気取るような高貴な舌なんて持ち合わせていないのだ。
「こんなんホームを買ってから足が遠のいていた酒場の店主に恩を返しているだけよ。付き合いは大事にしなきゃ」
「だからって飲みすぎですよ。……まぁ、初めて会った時みたいな飲み方よりずっといいか……」
と、そこでワインを呷るグラスが止まった。
エメリオとは共犯者というだけでなく、すっかり仲の良い友人になっている。
クランのメンバーにバカにされないように、本当に男受けする服や化粧を相談したり、外の都市で美味しい料理を見つければ、味を再現しようと一緒に市場を回り料理をしたりしている。
でも、未だに話せていないことがあった。
私が記憶を失うまで飲んだあの日のこと。
初めて会った時、私とエメリオはどういう出会いをしたのか、だ。
エメリオから朝食をもらった後、シャワーを浴びていて気づいたのだけど、私の拳には新しい傷と薄く血痕が残っていた。
私はあの日、間違いなく流血沙汰を起こしている。
そして、エメリオはクランの中でも、私にだけ態度が少し違う。他のみんなより気を遣われている気がする。
とても不安だ。
実はエメリオは私を恐れているのかも。
そもそもクランの連中がメスゴリラなら、私は群れのボスゴリラである。
怖がられても不思議じゃない……。
「ねぇエメリオ、出会った時の私ってどんなだった?」
「……覚えてないんですか?」
小さく頷いて答える。
「そっかぁ、覚えてないのかぁ……」
「えっ? やっぱり何かしでかしたの!?」
「いえ、かっこよかったですよ。それに救われました」
そう言って微笑むが――私も一応女なので「かっこいい」が褒められているのかよくわからない。
「あの日は僕もヤケ酒をしていたのですが……」
「へぇ~、エメリオもそんな風に飲むことあるんだ」
「そりゃあ僕も大人の男ですから……でまぁ面倒な酔っ払いと喧嘩になりそうだったところに、カウンターで飲んでいたミルフィが僕たちの前に来て――」
「美女の仲裁でみんな大人しくなったと」
「私よりデカい声でしゃべるな! といきなり酔っ払いを殴り倒しました」
なるほど、エメリオと会った時には既に出来上がっていたか。
どうしよもないな。
「酔っ払いの片づけにマスターの手が取られたので、僕が代わりにミルフィの愚痴を聞くことになって、そのまま夜中まで……」
「…………ひどいな、私」
「でもミルフィが助けてくれなければ、僕は冒険者をやめていたかもしれません」
と、少し自嘲気味笑った。
エメリオはうちのクランで過保護に守られているけど、実際は【赤狼】のメンバーと比べても遜色ないほどの実力の持ち主だ。こんな柄の悪い金も稼げない冒険者しかこない店の客に絡まれたところで問題は起きなかったと思うけど、どういうことだろう。
そう言えば、エメリオはヤケ酒していたと言っていた。そっちの方が何か関係あるのかもしれない。
しばらくお酒を飲むペースを落として、言葉のないままゆっくりとした空気が流れる。
「あの日、というかあの頃か。僕はパーティーの解散届を出して、別の仕事を探していたんですよ」
「……どうして解散したの?」
「僕のパーティーは幼馴染の男四人の小さなパーティーだったのですが」
「ふんふん」
「立て続けにメンバーが女性関係で借金をこしらえまして――」
エメリオの親友たちは悪い女に引っかかって全財産を失ってしまったようだ。それで普通に冒険者を続けたのでは借金を返せないため、危ない仕事に手を出すようになる。
しかも、最終的に三人の貢いでいた女が同じ人物だと判明して男の友情は瓦解。子供の頃から続いたパーティーは解散してしまったらしい。
冒険者の男が女に入れ込んで身を崩すなんてのはよく聞く話。
だけど親友が三人も続けてとなると、いろいろ嫌になったり女性不信になるのも仕方なくもない、とか思ったりして。
「以降、何をしてもつまらないし、誰も信用できなくて……」
「それでホモに走っちゃったわけかー」
「……え? 男色には興味ありませんけど?」
「だって女には興味ないって言ったよね」
「“今”は女性に興味がないと言ったんですよ」
そっとエメリオの左手が私の右手に重なる。
…………えっと、どういうことなの?
酔ってるのエメリオ?
「あの日、ミルフィはどうしたらパーティーを上手くまとめられるのか、これからも仲間がケガをせず無事に仕事を続けられるのかと真剣に泣いていました」
そうですか、泣いていましたか。
私は酒の量が増えると絡み酒から泣き上戸に変わるらしいので、それほどクランのメンバーを心配しているわけではないのですけど。みんな心配するほどかわいくも弱くもないし。
しかしこれは、もしかして――?
「世の中には、これほど強く、責任を持ち、自分に正直な女性もいるんだな、と……あの日、僕はミルフィを見て、もう一度やり直そうと思えたのです」
エメリオがまっすぐな瞳で私を見つめる。
まさかエメリオ、私に惚れてるの?
そんな、急に困る。
まだ私はエメリオにそういう感情を持っているか分からないのに。
と思いつつ、真面目に生きてれば見つけてくれる人っているんだな……なんて少女のようの頬を赤らめ、私は近づいてくるエメリオの唇を見て目を瞑る。
――バンッッ!!
しかし、二人の唇が交わることはなかった。
大きな音を立てて開かれた酒場の扉に驚いて、互いに距離を取る。
「こんなところにいたぁーーーーー!!!」
酒場の入り口に立つシャノンが叫んだ。
どうしてシャノンがこんな場所に?
「みなさーん!! 裏切り者がここにいますよー!!」
「なにぃ!?」
すると外から私の名前を叫ぶ声と、聞き覚えのある足音が集まってくる。
クランのメスゴリラ集団だ。
くそっ、シャノンも女は女ということか。
夜な夜な行っていた私たちの密会が気づかれていたらしい。
このままだと私はリンチされてしまう。
「マスター、今日はツケといて! エメリオ逃げるよ!!」
私は即座にエメリオの手を取って裏口から抜け出した。
「オイ! ギルマスは!?」
「裏口から! それとエメリオさんとキスしてました!!」
「……有罪確定ですね」
「捕まえてホームの屋根から逆さ吊りだな」
後ろから恐ろしい相談が聞こえてくる。
マズいことになった。
キスは未遂なのに、シャノンめ、許さないぞ。
「あはははははは!!」
「エメリオ! 笑ってないで、もっと速く走って!」
「ははは、いやーホント。ミルフィといると楽しいな」
突然笑い上戸になったエメリオの手をさらに強く引く。
男と手を繋ぐなんて子供の頃以来のことだけど、どきどきしてる余裕はない。
いや、心臓はこれ以上ないくらいバクバク言ってるけど。
後ろから足音が近づくにつれ、酒が汗となって体から流れていく。
「おばあちゃーん! こういう時はどうしたらいいのーーー!!」
「ミルフィ、教会に逃げ込みましょう」
「エメリオと二人で教会なんて行ったら殺されちゃうよー!」
唇が近づいたあの一瞬、とうとう私にも春が来たと思ったのに。
どうやら、クランのメスゴリラたちを本当の意味でまとめない限り、私が恋をする暇はやってこないようだ。
イケメン新入社員きた途端職場のいじめ減って草