死生活と本当の私生活
死んだような時間が流れゆく。ヒューヒュー。
誰かの煽りでもなければ風の音でもない。ただただ、酷く進む音。
自分の人生は死んでいると考える。
例えば普通の人がしてきたであろう時間が自分にはない。
教養が低いとか経験が低いとか、そんな感じ。重要なことが欠落してるわけではない。代わりに話せることが欠落してる。
悲しいなんて言っても学校に行かなかった自分が悪いから、誰かに口撃するわけじゃないんだけど。
自分に冷たく刃を当てる代わりに死生活を過ごしている。
死生活とは、死ぬような生活。
この白い肌は綺麗すぎる。何もしてこなかった証。
だから。肉体に意味はないと考えれるなら、死を手招いてもおかしくないと思う。
スマホに動かしている指に意味はなくて、出てくる文字に意味がある。
普通の人は分からないはず、私生活の影に死生活があることは。
逆に死生活の影には私生活がある。
朝日と夕日で影が双方にできるように。
自分にも真の私生活がある。
それはネットだ。自分で意見を置いてマップの中を泳いでる。
そこから創作をしてる。
現実世界でしてないことをスマホの先で。
どっちが充実しているかなんて、言うまでもない。
だからどこへも行かない経験もしない、そんな肉体は飾り。逆も然り。
ホルマリンみたいに思い出がハッキリ残る世界と。
ドクトリンだらけの毒と凛。
本当の私生活はどっちですか。