閑話 君が呼ぶイチゴの花
時代はうつろうが、誓いは潰えない。それはいつでも潔く尊いものだ。
何人もの騎士が戦い、伝えきれぬ思いを抱いて散っていく。それはその決意の先に、より良い未来があると信じているからだ。
若草が芽吹き大地が緑に染まる季節。古都の薄暗い地下の駐騎場に一人の男が現れる。
その男はボロボロになったイーブレ地方の服を着ていた。男はこちらを見上げ腰に手を当てると、大きな声で話し始めた。
「よう! お前がオーヴェズか? うんうん。聞こえるぜお前の声が。ん? 実力は確かなのか? って、疑うのか? 俺は昨日の武術大会で準優勝した男だぜ。何? まだ半人前だって? 三回アイツに負けたら半人前を認めるよ。それまで俺は負けを認めない! ……ま、これからよろしくな兄弟!」
そう言うと準優勝の証である雷の魔剣を掲げる。そして服と同じボロボロのバッグを背負い直し、こちらを見上げ笑顔を見せた。
この男もまた、良い騎士となるのだろう。
◇ ◇ ◇
季節を通し、広大な平原に柔らかな草が生い茂っている。この地方の空は天を包むかのように何処までも高く、青かった。
強い若草の香りに包まれ、そよぐ緑の海原を見つめながらその男は話し始める。
「オーヴェズ! 可愛い女の子は大好きか? 俺は大好きだ! 俺の希望はあの子なんだ、種族の壁なんて関係ない! 今から告白してくるぞ!? 見てろよオーヴェズ、お前の目の前であの子を落としてやるからな!?」
すると、男は弾かれたように草原に咲いた可憐な花へと走りゆく。
酔っていないと素直になれない男が、惚れた女に何を言い出すのかは実に興味深い。
◇ ◇ ◇
赤く染まる草原に夕日が溶けていく。目の前の男は夕陽を見つめながら膝を抱え、深くため息をついていた。
「そんなに笑うなよ、オーヴェズ。これでも人並みに傷つくんだぜ? ん? なんだ? 俺の料理で気を引くのがそもそもの間違いだってか? 自信はあったんだぜ? 妹は喜んで食ってくれたからさ……。まぁ、仲良くなる方法はまだあるハズさ。俺は諦めないぜ?」
腰の魔剣を握りなおすと、男はこちらを振り仰ぎ立ち上がる。そして彼は無理やり笑顔を見せるのだ。
この恋はきっと、この男の人生の意味を、より深めてくれるだろう。
◇ ◇ ◇
夏の夕暮れ。
この土地の香りは、この男と同じ香りがする。男は小さな幼子を抱えると、胸の操縦席にその幼子をやさしく押し込んだ。
「ほら、オーヴェズ。妹を家まで送ってやってくれ。俺は任務でここを離れることが出来ないからな。……なに? 何処へ行けばいいかって? 妹に聞けよ。そんなに人見知りしてると友達が出来ないぞ? ……お前ほどじゃない? 良く言うよ! まったく!」
そう言って男は笑う。この幼子に騎士の才能があると言ったら、きっとこの男は怒り出すだろう。戦いを背負うと言う事の意味を、彼はよく理解している。
男の宝物を胸の内に抱え、そっと慎重に、立ち上がったのだった。
◇ ◇ ◇
夏の強い日差しを全身に受け、騎士の紋章の入るマントをこの身にまとう。
同様に目の前の男も同じ紋章の入る革鎧を身に着けていた。その紋は日の光を浴び輝いて見えた。
こちらを見上げると男は親指を突き出し、満面の笑顔を浮かべる。その顔には最初に見た時より、幾つもの傷跡が出来ていた。
「オーヴェズ。ようやく俺たちも大陸に名高い神異騎士団だぜ? アイツの鼻もようやくあかせた! ん? あの娘の事は諦めたのかって? そんなわけないだろ? これからも押して押して、引いたらさらに押しまくるのさ! それに、あの子以外に、俺がまともに話しかけられる女の子なんていないだろ? な?」
そう言って眉を引き締めると、強いまなざしでこちらを見上げる。彼は強い情熱に身を焦がしている。
それは美しき愛であり、形に残ることの無いひたむきな献身でもあった。
◇ ◇ ◇
何度目かの若草の季節。胸いっぱいに男は草原の香りを吸い込むと、男はパッと花が咲いたかのように笑顔になる。
こんな笑顔は、この草原に来た時にしかこの男は見せない。
「やったぜッ。デートの誘いに乗ってくれたんだよ。……ん? なに? イチゴ? そんなので気が引けるのか? まぁ、物は試しだ。頑張ってみるよ。ありがとうな! オーヴェズ!」
ジケロスは真の平和を愛する種族だ。そして種族の壁さえも、この男なら乗り越えられるのかもしれない。
この草原に来るたび最後は無理やり笑うこの男の顔は、今日だけは綺麗な笑顔がいつまでも残り、消えることが無かったのだ。
◇ ◇ ◇
木々が赤く色づき、時折乾いた風が景色を撫でる。古都を歩く人並みは、その土地独特の風情があった。
城壁にもたれかかりながら、男はこちらを不安そうに見上げていた。
「リグズ団長の話だと、今回はミディド王が直々に動くらしい。ヒューマンをアーガスタ大陸に上陸させると後々面倒だからな。……ん? もちろん俺も志願したぜ? 嫌だって言っても俺と一緒についてこいよ、オーヴェズ。……ああ、無茶はしないさ。大丈夫。そんなに心配するなよ」
幸せになるために必要な決断に躊躇しない。この男はそう言う事に関して恐れを知らないのだ。
そして最後は自分の気持ちを押し殺し、決まって笑顔を見せる。この男はいつもそういう、男なのだ。
◇ ◇ ◇
草原に夕日が沈む。
男は、小柄な人影の両肩を掴み声を荒げる。それは怒りでも悲しみでもない、心からの叫びだった。
純粋な、心の声だった。
「聞いてくれッ! ……俺の事はいいんだ、ガシュラさんやユーナさんにも俺から話す。その前に君の答えが聞きたい。……戦いが終わってからなんてダメだッ。大丈夫、オーヴェズが見てくれている。オーヴェズがイチゴの花の代わりだ。…………俺と一緒に、月の無い夜道を一緒に歩こう」
重なる影と影を優しく見つめる。誓いとは尊いものだ。それは言葉や形に現れるとは限らない。見守る中で、まさしくここに一つの誓いが為されたのだ。
彼は出世していく他の騎士とは違い、自分の武勲など求めていなかった。ただ、誰よりも自分に素直であろうとしていたのだった。
◇ ◇ ◇
景色が赤く染まる。
血に染まった赤い炎が枯れた草原を焦がしていく。何体目かもう数えていないが、魂の無いの鉄の巨人を切り伏せると、ついに足に力が入らず膝をついてしまった。
胸の操縦席から溺れ落ちるように、男は地面に落ちていった。空には魔法で打ち上げられた信号弾が明滅している。目の前の地獄を見ながら、男は叫ぶ。
「撤退?! どこに撤退するんだよッ! オーヴェズ? クソッ。制御用のサブコアがやられたのか?! すぐ動けるようにしてやる。ちょっと待ってろよ……」
そして男は背中のメンテナンスハッチを開けようと、後ろに回り込んでいく。
この男の戦意は潰えていない。なら、ここで錆びて朽ちるより、あの炎に焼かれ燃え尽きる方が最善と言うものだろう。
◇ ◇ ◇
激しい雨が降る。それはいつまでもやむことなく、降り続いていた。
眼下に広がる渓谷に濁流が流れる。その黒い流れは溢れ返り、敵の部隊を飲み込んでいった。聖樹の力を借り、この地に洪水を起こしたのだ。
目の前には魂を宿さぬ鉄の巨人が幾体も転がる。その戦いの中で既に左腕は機能を停止していた。長きを共にした剣も折れてしまっている。
男は胸の操縦席を降りると、こちらを見上げる。それはいつか見た笑顔と同じだった。
「無理に動くなオーヴェズ……。戦闘でフレームがイカれてる、動けるようになるまでしばらくここで待ってろ。 何? 嫌だって言ってもついて行くって? もう戦いは終わったんだよ……。見ろよ俺たちの挙げた大戦果じゃないか……。俺はコーナの様子を見に行く。もし、俺が帰ってこなかったら……、妹と、村のみんなの事をよろしく頼む……」
そう言ってその男はいつもの笑顔を見せる。
どのような時でも、誓いは潰えない。それは潔く尊いものだ。
「俺からのお願いだ。じゃあな、オーヴェズ……」
男はひらひらと手を振り、重い体を引きずって激しい雨の中に消えて行く……。
課せられた戦は終わっていない。この男はまだ一人で戦うつもりなのだ。
彼は強い男だ。優しくて、明るくて。とても包容力のある男だ。
祈りが通じるのなら、ランマウの大地よ、あの男を祝福したまえ。命尽きる最後の時まで、愛の歌を歌うこの男を。
そして、男を見たのは、その時が、最後だったのだ……。