十話 咲き誇るイチゴの花②
リノミノアはヒエルパと一緒に東門へと向かっていた。偶像騎士同士の戦いで何ができるわけでもない。だがそこでは、己が守りたい者が命を賭けて戦っているのだ。自然と足が速くなる。
不意に偶像騎士の不気味な”声”が空に轟いた。リノミノアにはその声が理解できた。それは憎悪であった、そしてそれは歪な愛を歌う声でもあった。そしてその声を聞き、隣でふらつきながら走るヒエルパは唸るように声をあげる。
「ありえない……。ナウムに現れる闇の巫女とは、偶像騎士なのか……」
「ヒエルパ殿、どういう事じゃ?」
「世を闇に落とす、ジケロスの呪われた巫女だ。あの偶像騎士は止めなければいけない」
すると、リノミノアはヒエルパに優し気な笑みを浮かべる。
「今オフスが戦っておるのじゃ、すぐに片がつく。……もう心配はいらないのじゃよ」
そして、もう一つ別の偶像騎士の咆哮が聞こえて来る。それはラーゲシィの”声”だった。
「そのようだ、高潔さに満ちた。気高き戦士の声だ」
リノミノアは頷くと、二人は戦闘の音が響き渡る東門へと急ぐ……、そしてその後を、子供たちが追いかけていくのだった。
◇ ◇ ◇
エンドルヴは真っすぐにラーゲシィに突っ込むと真横に黒剣を薙ぎ払はらう、ラーゲシィが避けると今度は大上段に構え黒剣を振り下ろそうとしてきた。
「舐めるな!」
ラーゲシィは素早くエンドルヴの懐深く入ると、大剣を翻しその柄頭を顎先に突き当てる。
エンドルヴは頭部を激しく揺さぶられるが、それでも動きは止まらない。回り込み黒剣をラーゲシィの背中に突き立てようとしてくる。
「クソッ。ダメか! ラーゲシィッ! 転移だッ!!」
戦闘中の転移は魔力の消耗が激しく、座標の設定も難しい。多用は出来ないが、ピンチをチャンスに変えるにはうってつけの能力だ。
ラーゲシィは瞬間的にエンドルヴの背後に移動すると、そのまま大剣の峰で抑え込もうとする。
だが、エンドルヴは黒剣を翻すと見えていないはずの真後ろへ正確に切りつけてきた。
「なっ?! 後ろにも目があるのか?!」
咄嗟の出来事に回避が間に合わず、かろうじて大剣で受け止める。だが黒剣によって大剣は二つに切り裂かれてしまった。
ラーゲシィは大剣を捨てるとエンドルヴの両腕を掴み、万力のように締め上げる。
「今だアイリュ! エンドルヴの足を狙え!」
「でぇぇい!」
アイリュの気合いと共に、オーヴェズがエンドルヴの右膝裏に黒剣を突き立てた。異音が響き、エンドルヴの膝から筋肉の代わりとなる電解物質が流れ出る。
エンドルヴは抵抗するように吠えると、体を捻りオーヴェズを強く蹴り飛ばした。反動で損傷していたエンドルヴの右膝が完全に折れる。
「キャッ!」
オーヴェズは剣を手放すと、転がるように吹き飛ばされてしまった。
「アイリュ! 大丈夫か!」
「私は平気だけど。もう、限界かも。動かそうとしてもオーヴェズが言う事を聞いてくれない……」
両足が負傷したエンドルヴはもう移動できないだろう、このまま停止にまで持ち込みたい。
ラーゲシィは吠えるとエンドルヴの喉元を抑え込む。俺はラーゲシィの要求するまま、体中に溢れたエネルギーを注ぎ込んだ。
「このっ! 大人しくしろッ」
抑え込まれたエンドルヴは拳を握り、ラーゲシィの頭部に叩きつける。凄まじい衝撃と共に、ラーゲシィの右カメラが弾け飛んだ。
ラーゲシィはエンドルヴを抑え込む腕にさらに力を込める。足に力の入らないエンドルヴは膝から崩れ落ちた。
そしてラーゲシィはエンドルヴの胸の装甲に手を差し入れると、力を込めハッチを引きちぎる。
エンドルヴの操縦席には、虚ろな目をしたリーヴィルが座っていた。
俺は咄嗟にハッチを開き、身を乗り出す。そして力の限り叫んだ。
「リーヴィルッ!」
向かいの操縦席から、リーヴィルの微かな声が聞こえて来る。
「私を……、一人ぼっちにしないで」
その声はまるでリーヴィルとは似つかわしくない、しわがれた声だった。
「リーヴィル……、なのか?」
虚ろな目でリーヴィルはこちらを見上げると、呟くように語りだす。
「私、気がついちゃったの。悪夢の中で悲しみを満たすことはできないんだって……、もう私に残されたものは、何も無いの……」
たぶんリーヴィルは、エンドルヴの意志と共鳴してしまっているのだろう。レグちゃんの言うように、先にコアを停止させるのが順序として正しいのかもしれない。
だけどラーゲシィは、エンドルヴと共鳴しているリーヴィルと、俺とを、引き合わせてくれた。
「だから貴方が欲しいの、だから……、貴方の全てを! 可能性の全てを! 奪わせてッ。あの時の思いを全て! 今ここに!」
エンドルヴに憑りつかれたリーヴィルが、叫ぶように声を張り上げる。
「人から奪った物で満たされることはないよ。足りないものを欲しがり、奪うのは簡単だ。でもそれでは決して満たされない」
大切な物を失った俺だから分かる事だ。
俺が知る幸せとは、人と人とのつながりによって得られるものだからだ。
座るリーヴィルの手がこちらに差し出されると、エンドルヴの手も俺に向かってくる。そして、その鉄の腕は俺を握りつぶそうと掴みかかってきた。
俺は逃げずに、真っすぐリーヴィルを見つめていた。
「オフスッ! 危ない!」
エンドルヴの腕が俺を捕まえる瞬間、黒い光が周囲に走り、エンドルヴの腕が力なく垂れ下がる。
アイリュがオーヴェズのハッチを開け、コンセプシオンを撃ち放ったのだ。
「可能性ってのは簡単に奪えるもんじゃないさ。俺と一緒に明るい未来を目指そうぜ! 足りない物をお互いに埋め合う努力こそが、人の可能性だッ。みんなも待ってる!」
俺はリーヴィルに向け両手を差し伸べる。
「だから来い! リーヴィル! 俺の所へッ。そして一緒に月の無い夜道を一緒に歩こう!」
◇ ◇ ◇
エンドルヴの腕を打ち抜いたあと、アイリュは構えたコンセプシオンを降ろす。
オフスがリーヴィルに向かって手を差し伸べると、エンドルヴの動力炉が静かに”声”をあげ始めた。それは優し気な声をしていた。
バグザードが動かなくなったオーヴェズに近寄ると、ハッチを開き中からレグティアが顔を出す。
「歌ってる。エンドルヴが」
アイリュの言葉にレグティアは耳を澄ませる。だが、レグティアには偶像騎士の言葉は分からなかった。
「アイリュ。……遥かないにしえより、全ての歌は祈りだぬ。エンドルヴは何を祈るんぬ?」
「幸せ。幸せだった……、還らない季節を歌ってる。緑そよぐ平原と、苦悩と決断と、愛の歌」
すると、身動きもままならないオーヴェズも動力炉を震わせ始める。
「歌ってるわ。同じ歌をオーヴェズも……」
◇ ◇ ◇
俺は戦意を失ったエンドルヴに乗り移ると、操縦席の中からリーヴィルを抱き上げる。
腕の中の彼女はぼんやり俺を見つめると、不思議そうな表情を浮かべ、安心したように微笑む。しかしその表情もすぐに消え、瞳が生気を取り戻し、俺を真っすぐに見つめ返してきた。
「目が覚めたのか? リーヴィル」
操縦席の外まで連れ出すと、腕の中の彼女は小さく頷く。だが嬉しそうな顔はせず、小さく下を向いてしまった。
「私には、何もない……。だから、エンドルヴは私を取り込んだんだ。それに……、私は、オフスを不幸にする。さっきだって、そう」
「悪い夢を見たんだ。それに俺は何があっても平気だ。リーヴィルと一緒にいる事が幸せでたまらないんだぜ?」
「ん。信用できない……、私には本当に何にもないの、だって! 傷だらけの私に! オフスに喜んでもらえるような価値なんてないからッ!」
俺はリーヴィルを抱き寄せるとそっと優しくキスをする。
「価値が無かったら俺はキスなんてしないぜ?」
「どうして……」
「そんなのは簡単さ。人は一人では生きられない、ただそれだけの事だよ」
ラーゲシィの差し出す手のひらの上に乗ると、俺はリーヴィルを強く抱きしめる。
「人は一人だと楽しさに溺れ、苦しさに焦燥する。だけど好きな人と一緒なら一緒に歩んでいけるんだ。喜びが倍になって、悲しさが半分になる。悲しみと喜び、楽しさと苦しさ、イヤな事は無かったことにしたいけど、本当はしっかり存在する。逆に全部必要なんだと思う、好きな人と一緒に生きていくためには」
俺はリーヴィルを離すと、その瞳を見つめた。
「だから、俺は平気なんだ」
市壁の上からは、街の人たちの口笛や野次がとんできた。俺とリーヴィルのキスを見ていたのだろう。騒がしい声が聞こえて来る。やっぱりニーヴァはお祭り好きらしい。
でも隠すような事じゃないし、なんだかさっぱりとした気分だ。
「行こう。リーヴィル……。リーヴィルの体の傷も心の傷も、誰かに付けられた傷じゃない。自分が生きようとして足掻いた傷だ。それを俺は世界で一番知っている」
そう言うと、リーヴィルは俺の体を痛い程抱きしめて来た。
クォォン……。
すると今度はラーゲシィが甘えたような声を出してくる。
「ラーゲシィもよく頑張ったな。偉いぞ」
認めてもらいたいのは人も偶像騎士もどうやら同じらしい。
そんな事を思いながら市壁の上を見ると、ここまで追いかけて来たのか、子供達がラーゲシィの名前を呼びながら手を振っていた。
「あの子はきっと将来いい騎士になるぞ? ……良かったなラーゲシィ、みんなと一緒にまた遊べるんだぜ?」
しかし、ラーゲシィから聞こえて来るのは否定の声だった。
「ん? どうした? このままあの子たちの所に行ってもいいんだぞ?」
”今…………。戦わないと。あの子が、戦う事になる”
ラーゲシィはしっかりと子供たちを見つめていた。
「そうか……、じゃあ俺と行こうぜラーゲシィ」
ラーゲシィは自分が戦う理由を見つけたのだ。俺はラーゲシィを子供達ではなくアイリュとレグちゃんが待つ、オーヴェズとバグザードに向ける。
「もう、お前をバカにするヤツなんて誰もいないよ」
オーヴェズはボロボロの右手をこちらに差し伸べると、共に戦い抜いたラーゲシィを優しく迎え入れるのだった。
◇ ◇ ◇
オーヴェズがラーゲシィに向かって右手を上げると、市壁やその周囲から歌が聞こえて来る。それはジケロス語の歌だった。
ナウムに集まったジケロス達がオーヴェズとエンドルヴの歌に合わせ、合唱しているのだ。
次第に大きくなるその歌声を聞いて、アイリュはそっと目を閉じる。するとなぜか自然に涙があふれてきた。
「ジケロスの歌……? 綺麗な声……」
レグティアは登りゆく太陽に照らされたラーゲシィを見ると、目を細めた。
「ジケロスの慶事にはイチゴの花が添えられる。二人の目の前には丁度それがあるんぬ。ラーゲシィは愛と勇気を持つ、イチゴの花を冠するに相応しい偶像騎士なんぬよ」
ラーゲシィの操縦席で、オフスとリーヴィルの影がそっと重なる。ラーゲシィはボロボロになった緋色のマントをはためかせていた。
そしてその背には、誇らしく花開いた白い五枚の花弁が輝いていたのだった。