八話 怨嗟と慈愛と③
ナウムの駐騎場は明け方もまだだと言うのに熱気にあふれていた。急ピッチで実戦用の装備がオーヴェズに施されているのだ。
側に駐騎してあるバグザードは発進の準備が完了していた。頭部にグゥが乗り込むと、胸部の操縦席にレグティアが乗り込む。
「扉を開けよ! バグザードが出るんぬ」
バグザードは傍らの大戦斧を取り上げると、駐騎場から出撃していった。
つい先ほど、ヒエルパが満身創痍で帰還した。レグティアは詳細を知らされると、トートの解毒剤を手渡されたのだ。ヒエルパでさえも、トートの剣技には敵わなかったのだ。
今回の戦いは何が起こるか分からない。しかも民衆が見ているとなればなおさらだ。
民衆の手前決闘と言う形を取るものの、オフスが戦えない以上トートがどう出るかは分からない。アドリブを効かせるために、あえてレグティアが出撃するのだ。
仮眠から覚めたアイリュは、出撃直前のオーヴェズを見上げていた。偶像鍛冶によって追加装甲が各所に施され、重厚な雰囲気が漂っている。
アイリュを見かけたリノミノアは、確認の手を止めアイリュに走り寄る。
「アイリュ。目が覚めたか!」
「これがオフスの言っていた完全装備なの? なんだか着ぶくれしちゃって動きにくそうね」
「この状態でも以前と同じ機動性じゃよ。オフスの改造は今までの技術を凌駕するからのう。それよりもアイリュ、やはりやめた方がいいのではないか?」
アイリュの顔色がすぐれない事に気が付いたリノミノアは、気遣うように言葉をかける。仮眠を取ったとはいえ、少し前まで地下遺跡で生きるか死ぬかの経験をしたばかりなのだ。
「私は平気よ? それよりもリノちゃんはどうなの? 仮眠もとってないんでしょ?」
アイリュが戦うと決めた後、リノミノアは一睡もせずオーヴェズの最終調整をしていたのだ。
「わしの事はかまわん。疲れていても死ぬわけではないからな。矢面に立つお主の方が心配じゃよ」
「ありがとう、リノちゃん」
リノミノアは少し照れたような顔をすると真面目な顔つきになり、傍らに置かれているオフスの新装備に目を落とす。
「オフスが作った、この”らいふる”とか言う飛び道具も装備できればいいんじゃが……。まだ調整が終わっておらんのじゃ」
「大丈夫よリノちゃん。それに決闘なら、見た事のない武器で勝っても街の人たちは納得しないと思うわ」
決闘にはいくつかの風習がある。特に罠にはめて相手に勝つのは禁忌とされていた。それが最低限のルールなのだ。
「確かにのぅ。じゃが、エンドルヴ相手に黒剣だけでは少し心もとないがな……」
「他の武器もオフスが用意してくれてるし、大丈夫だと思うわ」
オーヴェズの側には偶像騎士サイズの山刀と、二振りの手斧が立てかけられている。オフスに作ってもらった、アイリュの手に馴染む武器だ。
「バグザードも出たし、私も行くわね」
アイリュは意を決してオーヴェズに乗り込もうとするが、突然、胸を抑えて苦しみだす。
「アイリュ! どうしたのじゃ?!」
「ちょっと……、苦しいだけよ」
「見せてみるのじゃ!」
リノミノアはうずくまるアイリュを抱え込む。すると膝をついたアイリュの胸から、かすかに青い光が漏れ出しているのが見えた。
胸の谷間から見えるアイリュのラピスは青色をしていた。信じられないがアイリュのラピスの色が変わっているのだ。赤から青色に……。リノミノアが思い当たるのは、”神の座”に入った時だろう。
あのように濃い魔力の奔流を浴びて、本来なら平気でいられるはずがないのだ。
「ラピスが……。神の座からじゃな?! なぜ早く言わないのじゃ!」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ。リノちゃんも神の座に入ったじゃない」
「わしも体調の変化は感じておる。しかしアイリュ程ひどくはないのじゃよ」
アイリュは、ふらつきながら立ち上がろうとする。
「いかん! 無理をするでない。戦いは取りやめにするように、わしから大婆様に言っておくのじゃ。詳しく体を調べてみる必要がある。それにアイリュは他にも……」
アイリュはリノミノアの口に人差し指を当てると、優しく微笑む。
「いいのよリノちゃん。それよりもオフスの事を頼むわ」
「……お主ばかりが無理せんでもいいのじゃよ」
そう言うとリノミノアは涙ぐむ。
「東門にエンドルヴが現れました!」
駈け込んで来た伝令から言葉が発せられると、駐騎場内にどよめきが走る。アイリュは歯を食いしばると、立ち上がり叫んだ。
「オーヴェズ! 行くわよッ」
「アイリュ!」
オーヴェズはアイリュの意志に答えるかのように屈みこむと、右手でタラップを作り自らの胸のハッチを開く。
「リノちゃん! 今の私は誰にも止められないわ!」
「持っていけッ。お守りがわりじゃ」
リノミノアは手に持っていたコンセプシオンを乗り込もうとするアイリュに投げ渡す。アイリュはコンセプシオンを受け取ると微笑んだ。
オーヴェズのハッチが閉まると、その動力炉が静かに咆哮をあげたのだった。
◇ ◇ ◇
ナウムの市壁に朝日が差し込む。
市壁の上ではナウムの市民が偶像騎士同士の戦いをを一目見ようと大勢が詰めかけていた。ニーヴァは基本的にお祭り好きなのだ。
バグザードに乗ったレグティアは、呑気な市民の様子を見てつまらなそうに鼻をならした。
「安全な場所から戦いを見たいと言うのは人の業だぬ。戦いは悲惨であるという教訓を残すのみなんぬ。だが、人は戦いをやめられないんぬ……」
マナフォドリーの英知を結集したエンドルヴに、いくらオーヴェズと言えども勝てるわけがない。昨日のオルワントの敗北でもそれは明らかだ。しかし二十年前のオーヴェズの活躍は伝説となっている。市民の期待は計り知れないほど膨らんでいるのだ。
レグティアには考えがあった。今回の戦いは決闘に持ち込んだ上、最終的にエンドルヴへ勝利宣言を出すつもりでいた。
アイリュの命を守る意味もあるが、今頃ニルディスが指揮する学生騎士の部隊がトートの後続部隊を捕縛している予定だ。
トートとエンドルヴだけならば、多少被害を出しつつも後々何とでもなる。
もし、オフスが目覚めた時アイリュが死んでいたなどとしたら、”神”と邂逅したオフスが何をするかなど、レグティアには想像もつかない。それがレグティアにとって最悪のパターンだった。
そして、東の丘の向こうからエンドルヴの巨体が姿を現す。レグティアはバグザードを進めると市壁の前に立ちふさがった。
「止まれトート! 約束通り決闘の立ち合いは三帝のバグザードが行うんぬ」
しかし、その警告を無視し、エンドルヴはバグザードに向かって真っすぐ距離を縮めてきた。
「止まれと言っている!」
バグザードは大戦斧を突き出し牽制するが、エンドルヴは突然走り出すと、バグザードに向かって突進してくる。
「な?!」
エンドルヴは身をかがめると大戦斧を弾き飛ばし、バグザードへと体当たりしてきた。凄まじい衝撃音が周囲に響き渡る。
咄嗟にバグザードはエンドルヴの突進を両手で受け止めていた。バグザードの特徴である尾が地面に喰い込み、転倒を防いでいた。
「なにをするんぬッ?! トート!」
エンドルヴはまるで獣のように身を屈めると、バグザードの背後へ回り込もうとする。
バグザードは大戦斧を体を捻り、尾を鞭のようにしならせる。そして、背後に周り込もうとするエンドルヴの腹を強打し払いのけた。
グゥのサポートするバグザードの動きはレグティアの知る以前より向上している。突然の事だったがレグティアの心に余裕ができた。
「見届け人を攻撃するとは! 決闘は放棄すると言う事で構わないぬ?!」
市壁で見届ける民衆へのアピールを行いながら、こちらの正当性を強調する。実際に市民からはエンドルヴへの野次が飛んでいた。
倒れ込んだエンドルヴは、ゆっくりと起き上がろうとしている。
しかし不自然だ。昨日のトートとは動きが明らかに違う。エンドルヴは腰に差している剣を抜こうともしない。そして、その構えは素人と思われる程に隙だらけだった。
何かの罠に間違いないだろう。だが、レグティアにはそれが何かなのか思いつかない。
「トートよ! ならば、ナウムを狙う単なる賊として扱う! 覚悟するんぬ」
バグザードは大戦斧を振り下ろすが、エンドルヴに易々と避けられてしまう。それはまるでこちらの攻撃が分かっているかのようだった。
逆にエンドルヴは大戦斧を素早くつかみ上げ、取り上げようとしてくる。エンドルヴの握力は強固でバグザードとの力比べとなった。
十二宮座の中では、バグザードは力に特化した騎体だ。バグザードは大戦斧をエンドルヴごと振り回すと、そのまま大戦斧から手を離す。そしてバランスを崩したエンドルヴへと掴みかかった。
組み付かれたエンドルヴは素早く拳をバグザードの腹へと叩きつける。だがバグザードの魔力装甲はビクともしない。
エンドルヴはバグザードの肩を掴むと、互いに組み合うような状況になった。お互いが押し倒そうと力と力の比べ合いになる。だが足が短く尻尾のあるバグザードは、格闘に抜群の安定感を持っている。しかも膂力は全ての偶像騎士の中でも一番と言っていい。
「バグザードに力比べを挑むか! 愚か者めッ」
レグティアが吠えると、バグザードの動力炉が咆哮する。エンドルヴはそのパワーに押され、そのまま地面に引き倒された。凄まじい重量の転倒に辺りに土煙が舞う。
バグザードはこのままエンドルヴを抑え込もうとした。
しかし地面に倒れながら体を捻ったエンドルヴは、逆に強烈な蹴りをバグザードの脇腹へと叩きつけた。しかし、バグザードがひるむ様子はない。
「乗り手が老いてもバグザードは三帝なんぬ。魔力が十分ならバグザードの魔力装甲はその程度では怯まん」
バグザードはエンドルヴの足をそのまま脇に抱えると、関節を捻り上げエンドルヴを持ち上げようとする。しかし、エンドルヴは反動をつけて宙に浮くと、もう片方の足でバグザードの頭部を蹴りつけた。バグザードは思わず抱えていたエンドルヴの足を放してしまう。
「しまったッ!」
バグザードの魂と言えるグゥは頭部に乗っているのだ。グゥを乗せての戦いはレグティアにとって初めてだった。頭部が弱点であることを完全に失念していたのだ。バグザードはエンドルヴの前で片膝をついてしまう。
「グゥちゃん! 無事かッ?!」
バグザードに話しかけてみるが返事は無い、モニターにはいくつもエラーが表示されたいた。レグティアは素早く全ての機能を手動へと切り替える。精神感応の宝珠から手を放し、操縦桿を引き出すが、目の前にはエンドルヴが迫る。
「とにかく、目の前のエンドルヴを何とかせねば……」
一瞬の機能停止は三帝と言えど致命的だった。
エンドルヴは何体もの偶像騎士を屠った強烈な蹴りを、バグザードの頭部に容赦なく叩き込む。
バグザードの頭部は大きくひしゃげ、その蹴りで宙へと浮かぶ。そして轟音を立てながら市壁付近まで転がされてしまった。
激しく揺れる操縦席のモニターはエラーで真っ赤に染まる。レグティアは手動で騎体の態勢を整えるが、その動きはかなり鈍い。
「トートよッ! 聞こえるか?!」
時間を稼ぐため、近づいてくるエンドルヴに向かってレグティアは叫ぶが相手の反応は無い。
「答えぬか……」
トートの目的は分からない。だがエンドルヴの様子が昨日と違うのは明らかだった。
レグティアは突進してくるエンドルヴに対し防御姿勢を取る。まだ、グゥちゃんの意識は戻らず。騎体が衝撃から回復していないのだ。
『レグちゃん!』
レグティアのチョーカーからアイリュの声が聞こえて来た。
「アイリュ! 気をつけろッ。トートが暴走しているんぬ」
突進するエンドルヴに向かい、市門から飛び出したオーヴェズがタックルをしかける。
追加装甲を含めたオーヴェズの重量は重偶像騎士ほどもある。両騎は倒れ込むとオーヴェズがエンドルヴへとのしかかった。
オーヴェズがエンドルヴの上に乗ると、動力炉から凄まじい咆哮があがった。すると、アイリュはレグティアに言うのだ。
「乗っているのはリーヴィルちゃんよ。大切なオーヴェズの家族なの! リーヴィルちゃんもエンドルヴも!」
「どういう意味なんぬ?!」
オーヴェズが放つ悲しみの声は、激しくアイリュの心を揺さぶるのだった。