八話 怨嗟と慈愛と②
ヒエルパと対峙し、トートは声を荒げる。
「こいつは驚いた。ヒエルパか?! ヒューマンでなく俺を狩るか! 東方に行けばヒューマン共を狩り放題だぞ? なぜそうしない。それとも何か、この女はお前が出てくるほどに重要なのか?」
煽り立てるがヒエルパは答えない。竜の仮面の下の表情もうかがい知る事は出来ない。
グラン大森林の死神と言われるヒエルパが、たった一人でジケロスの女を取り戻しに来たのだ。ジケロスの王族、それも重要な人物である事に間違いないとトートは確信する。
ヒエルパは静かに戦杖を体の後ろに隠すように構えた。
「そうだよなぁ、この女のラピスは王族を示す青色だったからなッ」
オフスもただの愛玩用に女を飼っていたわけではないだろう。エンドルヴと心を通わすこの女には十二分に使い道がある。もしかしたらそれ以上の価値のある女なのかもしれない。そう考えるとトートは笑みを浮かべ舌なめずりをした。
そしてトートはヒエルパに向け一直線に殺意を向ける。しかし、逆にヒエルパから放たれる殺気にトートは舌を巻いた。
「こいつは、想像以上だなァ……」
いつもの笑い声さえ出ない。初めてまみえるヒエルパは一部の隙もなかった。
戦杖と魔剣では魔剣の方が格上だろう。だが、剣と杖ではリーチに差がありすぎる。
森の死神と言われたヒエルパの強烈な気配がトートを動けなくしていた。女を人質に取ろうと思ったが、そんな隙さえこの男は見逃さないだろう。しかし、動けないのはヒエルパも同じだった。そしてそれは実力が拮抗しているとも言えた。
最初に動いたのは、ヒエルパだった。戦杖を体の後ろに隠し一気に距離を詰める。
トートは迷わず後ろに飛ぶ。剣の何倍もの間合いから放たれる突きがトートのみぞおちを正確に狙い打つ。
しかしトートはその攻撃を剣で払いのけ、逆に一気に戦杖の間合いへと入ると、地面すれすれまで態勢を低くしヒエルパの足首を魔剣で薙ぎ払おうとした。
ヒエルパは巨体からは考えられない程身軽に魔剣を躱すと、そのまま棒高跳びの要領で空中に飛び上がり、戦杖を翻しながら空中から突きを二段放つ。あり得ない位置、ありえない間合いからの攻撃だがトートはひるむ事無く、二段目の突きを左手でつかみ取ると、そのまま戦杖を捻り上げヒエルパを地面へと叩きつける。
「終わりだッ!」
トートの神速の一撃がヒエルパに振り下ろされる。その刹那、ヒエルパが唱えていた魔術が完成した。
「大気よ、鳴動せよ。衝撃と成れ。爆音」
凄まじい轟音がトートを包み込み、一瞬で内臓までもが強烈に揺さぶられる。魔力で身体を強化していない一般人ならば即死しているだろう。
「クソが! 魔術師か?!」
悪態をつきながら、トートは距離を取る。
ヒエルパの”狩り”から逃れた者はいない。ヒエルパがどんな戦い方をするかはトートも知らなかった。あの戦杖はおそらく魔法の杖なのだろう。
トートの焦りに呼応するように、エンドルヴの魔剣がトートに囁く。
”あなたがのぞむなら……”
「うるさい黙れッ!」
トートはエンドルヴの誘惑を振り払うと、再度倒れたヒエルパに突進する。
ヒエルパが態勢を立て直す僅かな隙に、トートは得意の間合いへと潜り込んだ。そのまま凄まじい斬撃を二度三度と放つが、ヒエルパは魔剣の側面を雷光のように戦杖で払いのけ、その都度トートの顔面へと鋭い突きを放つ。
トートは攻撃をかわしながらも、無理な態勢から必殺の剣を放ち続ける。ヒエルパは体に幾筋も切り傷を付けられながら、致命傷を避け、反撃を繰り出していた。
血を流しているのはヒエルパだったが、実際に追い詰められているのはトートだった。
剣の間合いで戦い続けている間、トートには僅かならが分がある。しかし、それ以上接近されるとトートはこの大男と格闘しなければいけない。そうなれば力でねじ伏せられてしまうのはトートだろう。
かといって、間合いを開ければ戦杖や魔術が有利なのは間違いない。そして、このまま戦いが長引けば体力のあるヒエルパが有利なのは両者が一番よく理解していた。
拮抗は長くは続かない、紙一重の実力の差が瞬時に勝敗を分ける。
無限にも思われる打ち合いの後、ヒエルパの戦杖がトートの魔剣によって断ち切られたのだ。いくら丈夫だろうと、木で作られた戦杖など魔剣の前では紙に等しい。
トートは必殺の一撃を繰り出すが、ヒエルパは短くなった戦杖を器用に扱い攻撃を逸らす。そしてヒエルパはトートから大きく間合いを取った。
ほとんど無酸素で対対していた両者は、肩で大きく息をし、呼吸を整える。
「ヒャーハッハッハ。楽しいなぁ……。こんなに楽しいのは初めてだぞぉ?!」
「……なぜ、魔剣の力を使わない?」
「ふんッ。魔剣の力を使ってしまっては、一方的でつまらんだろう? 俺様の圧勝だ。俺様が楽しむことが出来ん……、だが」
トートは魔剣を掲げながら叫ぶ。
「エンドルヴよッ!」
トートに答えるようにエンドルヴが動き出すと、傍らにいるリーヴィルを両手でつかみ上げる。
リーヴィルはエンドルヴの手から逃れようとするが、鉄の腕を振りほどくことはできない。
「ヒエルパ! さぁ、続きだ。楽しもうぜぇ……。エンドルヴよ、俺様が殺されたらその女をひねり潰せッ」
するとヒエルパは手に持っていた戦杖の残りを投げ捨てる。致命傷は負っていないがヒエルパは満身創痍だった。
「既に、勝敗はついた。……悪意を従える者よ」
「何?!」
ヒエルパは魔術の最後の一句を唱える。
「……呪詛」
途端にトートの左腕に痺れが走る。左の手のひらを見ると紫色に変色していた。トートの左腕に蔦が絡みつくように、紫色の模様が現れる。
「毒草と魔術の呪いだ。殺意を糧に、毒が広がる」
毒を媒介にした魔術なのだろう。さっき戦杖を握り締めた時に毒に触れたに違いない。
「クソッ。勝敗がついたってのはお前の勝ちって意味かぁ?! 解毒薬はどこにある。女をひねり潰すぞ?!」
「ここには、無い。薬は、ナウムにある。姫を無事に届けるのが、条件だ」
戦いに勝てば良し、勝てなければ引き分けに持ち込むのがヒエルパの目的だろう。戦いの狙いは呪文を完成させるための時間稼ぎか? ヒエルパにまんまと踊らされていた事に気が付くと、トートは悪態をつく。
「俺様の狙いはオフスだ。クソッ。……安心しろ、あいつとの決着がつくまで女の無事を保証してやる」
「明け方に、来い、薬は、用意しておく……」
ヒエルパは来た時と同じように気配を押し殺すと、そのまま朝霧に紛れるように去っていく。トートはしばらく魔剣を構えていたが、完全に気配が無くなると魔剣を鞘に納めた。
「引いたか……」
魔法の解毒薬は常備しているが、グラン大森林のジケロスが使う毒と魔術だ。恐らく普通の品では役に立たないだろう。とりあえずの応急処置で左手の根元をきつく縛ると、エンドルヴが抱えたリーヴィルを呼ぶ。
「おい女!」
トートはリーヴィルを呼ぶが、なにやら様子がおかしい。ブツブツとしきりに何か独り言を言っているのだ。
「チッ。悪夢に飲まれたか? だからエンドルヴに同情するなと言ったんだ!」
体を強く揺さぶるが、女からの反応は無い。
「……この様子では、もう使い物にならんな」
嫌がり涙する女を盾にオフスをいたぶろうとしていたが、この様子ではそんな楽しみ方もできないだろう。エンドルヴの悪夢に蝕まれ続ける人形にすぎない。
一瞬、毒を盛られた腹いせに女を殺してしまおうと思うが、トートは思いとどまる。普段のトートならば、役に立たないこの女はとっくに切って捨てられていただろう。
「いや、まだ使い道がある」
トートは自分の心境の変化に戸惑っていた。もしかしたら自分も既にエンドルヴに浸食を受けているのかもしれない。そう思うが不思議と悪い気持でも無かった。
トートはマントを羽織ると、うわごとを言うリーヴィルを抱える。
女は悪夢のためか、全身に汗をかいていた。その言葉に耳をかたむけると、必死に姉を呼んでいる様に思えた。
目を細めるとエンドルヴを睨みつける。
「そんなに気に入ったのなら、この女はお前にくれてやる」
明け方にはまだ早い。だがリーヴィルを連れ、トートは操縦席へと乗り込むのだった。