八話 怨嗟と慈愛と①
その夜、ナウムから少し離れた丘陵地にエンドルヴは駐騎していた。
緊急時用のレバーを引くと内部の装置が起動し、騎体が軋みをあげ復元を始める。ポルステイによれば、これは古き十二宮座の重偶像騎士特有の機能なのだそうだ。
ゆっくりではあるが凹んだ装甲が元の形を取り戻し、曲がったフレームが戻っていく。脱落した装甲は流石に復元できないが、それでもしばらくすれば戦闘が出来る状態まで戻るだろう。
「自己修復か。流石は魔王専用騎、このようなカラクリもあるのか」
エンドルヴを見上げると、勇ましさの中に深い憎悪が澱むのが感じられる。
トートは焚き火の前に座り直すと、エールに浸した堅パンを口の中に放り込んだ。緊張の中では、例え動かなくとも途方もないカロリーを消費する。戦場での食事はとても貴重な時間だ。
トートはある程度腹が膨れると、さらって女に目線を向けた。
「おい女、逃げたら殺すぞ? 分かっているな」
焚き火の合い向かいに座るリーヴィルは静かにうなずいた。
目が覚めたリーヴィルは暴れる事も無く大人しかった。今も拘束などはしていない。
しかしリーヴィルの行動や仕草はトートの気持ちを逆なでしていた。自分の力で服従させる事を好むこの男は、何でも言う事を聞くこの女が好きではないのだ。
トートはリーヴィルをなめ回すように見る。よく見ればいい女だ。この女を以前さらった時は傷だらけだったはずだ。恐らくオフスは時間と金をかけてここまで綺麗にしたのだろう。そう思うと是非ともこの女の嫌がる顔が見たくなる。
そしてトートは薄笑いを浮かべてリーヴィルに命令した。
「バンダナを取り服を脱いで見せろ。オフスを毎晩楽しませているのだろう?」
自らの額を晒すのは、ジケロスにとって最高の屈辱だ。
だがリーヴィルは言われたままにバンダナを外す。額にはジケロスのラピスが深い青を湛えていた。そしてそのまま、リーヴィルは自分の服に手をかける。そのしぐさ、その表情、どれもがトートの想像通りだった。その様子を見てトートは嫌悪感を覚える。
『何もかもが想像通り』などこの世の中には無いのだ。自分で手に入れるために、トートは五指に数えられるだけの剣士となったのだ。
相手を楽しませる為にこの女は表情を作っていると思うと、さらに虫唾が走ってくる。その誘いに乗るようでは、支配されているのは男ではないか、恐らくこの女はそう言う風にオフスに仕込まれたのだろう。トートはそう考えると怒りをあらわにする。
「やめだ! やめろ! 脱がなくていいッ! フンッ。やはり人形か……。つまらん。こんなつまらん女がオフスの好みなのか? 俺様とは正反対だな」
力で征服する事の快楽を、恐らくオフスは知らないのだろう。そう考えるとトートにも納得がいく。そして食べていた堅パンをリーヴィルへの足元へ投げ落とした。
「食っておけ。元気な方が明日の良い見世物になる」
この女にはそのくらいしか使い道が無いだろう。女に興味を無くし、明日のお楽しみを決めると、トートは焚き火の前に屈みこんだ。そして剣を杖にし目を閉じる。
そして周囲の気配を確かめながらトートは束の間の浅い眠りへと落ちていくのだ。
トートには敵が多くいる。剣で勝てない奴らは必ずトートの寝込みを襲ってきた。寝込みを襲うのは男だけではない、むしろ女の方が危険な場合もあった。
剣で切り伏せられる敵ならばトートは負けを知らない。しかし、今のトートには眠りの向こう側には悪夢が居る。エンドルヴの悪夢に引きずり込まれない様、一瞬たりとも気が抜けなかった。
エンドルヴは毎回悪夢の中で、”欲しい物を与えよう”と言う。だがその提案はトートにとって全く魅力的ではない。欲しい物は自分で手に入れてこそ、愛でる価値があるのだ。
◇ ◇ ◇
トートはゆっくりと目を覚ます。ふと、疲れが噓のように引いているのが分かる。あの悪夢を見ていないのだ。
目の前の焚き火の炎は消えかかり、灰にまみれた熾火が赤く輝いていた。まだ辺りは暗い、日の出前だろう。
気が付くとジケロスの女がいない。気配で探すとエンドルヴにもたれかかり眠る女が見えた。エンドルヴは両手で女を包み込むように抱えている。エンドルヴの自己修復は止まり、外観もある程度回復していた。
「ほう、エンドルヴ。そいつを気に入ったか」
恐らくエンドルヴはこの女に悪夢を見せているのだろう。女は眠りの中で時折苦し気な表情を見せている。
悪夢を見ない為には、この女が必要なのかもしれない。完全にエンドルヴに飲まれてしまうと女が使い物にならなくなる。トートはそう考えるとリーヴィルの頬を軽く叩く。リーヴィルはうっすら目を覚ますと涙を一滴こぼした。
「この子……。泣いてるの」
「ん? 分かるのか?」
しかし女の様子はどことなくおかしい。眠る前とは違い、少し虚ろな目でこちらを見つめている。
「悪夢に飲まれかけているのか? 女ッ! エンドルヴに同情などするなよ。悪夢の受け皿となって俺様の役に立ってもらわなければ困るからな!」
一瞬トートはリーヴィルの見たであろう悪夢に同情する。自分の心境の変化に気が付くとトートは悪態をついた。
「フン。やはり意思のある偶像騎士など面倒でかなわん! 朝飯だ、喰っておけ」
大股で焚き火の側まで戻ると二人分の食事をトートは取り出す。
味気のないエールに浸した堅パンをトートは黙々と食べていく。戦い、生き残るためにトートは努力を惜しまない。リーヴィルも同じような食事を与えられていた。
「女。エンドルヴに何を見せられた」
「ん。懐かしくて……、悲しい夢」
「懐かしい? 悲しいだと? よくそんな事が言える。あれほどの悪夢を懐かしいなど、そう言えるものではないぞ?」
トートはそう言って思い当たる。
裏ルートで取引される魔石には人に由来する品もある。強い憎悪を持ったまま摘出したジケロスのラピスは上質の魔石となるのだ。
「そうか、エンドルヴとお前は同類という訳か……」
この女はジケロスの王族だろう。それに前に見た傷跡はどれも虐待でつけられたものだった。恐らくこの女は、自身に宿すラピスを魔石として見られていたのだろう。
「私は、私には何にもないんだって、そんな日をずっと過ごしていたの」
「同情はしない。それよりもお前はエンドルヴの悪夢を見たのだろう? エンドルヴは何を求めている?」
「貴方と同じ物、だからエンドルヴは貴方を主として認めたんだ」
「力か? 強くなりさえすればすべてが手に入る。金も、名誉も、人の心でさえもな」
すると、虚ろな目でリーヴィルはトートを見る。
「強く……、でも、貴方は強さを否定している。それはエンドルヴの求めている物じゃない。あなたが否定するのは誰?」
「フンッ。昔話をするつもりはない……」
「貴方は強さで何を証明するの?」
ずけずけと人の心にこの女は踏み込んでくる。だが妙にトートはこの女に自分と同じものを感じていた。トートは女の問いには答えず質問を重ねる。
「それよりも昨日の戦い。なぜ殺意を持たなかった? お前が手を緩めなかったら、エンドルヴの頭は潰れていただろう? そうすれば勝っていたのはお前だ」
リーヴィルに気を許したトートは、昨日のラーゲシィの初太刀を思い出していた。
あの時のトートは油断をしていた、そして油断の中にスリルを楽しむのもトートの悪い癖だ。そしてあの時、非常にきわどかったのも事実だった。
「あれは私じゃない。ラーゲシィがエンドルヴを攻撃したくなかったんだ」
トートはリーヴィルの答えにパンを飲み込みながらつまらなそうに鼻を鳴らす。
「偶像騎士は所詮偶像騎士という事か、兵器としては欠陥品だな。意思を持つ兵器など、やはり俺様は好きになれん」
兵器は道具であるべきだ。戦いの行く末を兵器に握られるなど本末転倒も甚だしい。しかしそんなトートの考えを目の前の女はいともたやすくひっくり返す。
「……そんな貴方もエンドルヴの騎士なんだよ。ほら、聞こえるでしょ? エンドルヴは貴方に助けを求めている」
焦点の定まらない目でリーヴィルはそう呟くと、傍らに置いたエンドルヴの魔剣が妖しくトートに囁く。
「フンッ。エンドルヴに同情するなと言ったはずだぞ? くだらん戯言だ。エンドルヴは助けを求めているのではない。コイツが欲しがっているのは、ただの道連れだ」
強者であるトートには良く分かる。怯えた者はそうやって群れを作りたがるのだ。だから自信を持つことができない。そんなくだらない事にトートは付き合う義理は無いと考える。
しかし、エンドルヴの”声”によく耳をかたむけると、発する声は嘆きではない、警告だ。近くに敵がいる事を知らせているのだ。
エンドルヴが求めているのは本当に道連れなのか? そんな風に考える暇もなくトートは魔剣を抜き放つ。
「チッ!! 夜討ちか? 意外と姑息な手段を使う」
気配を探ると明け方の冷気にまぎれ、かすかな殺気がやってくる。
僅かではあるが殺気の鋭さはトートの知る父王リグズか、それ以上の気配であった。
迫りくる気配に魔剣を身構えると、白い竜の仮面を被った大柄な男が戦杖を片手にやってくるのが見える。
夜襲は相手の油断に付け込むのが基本だ。しかし目の前の男はそんな様子など一切見せない。まるで決闘のように威風堂々とやってくる。
「ジケロスに、仇なす者へ、死を」
その風貌と言葉遣いで、トートはすぐに誰なのか思い当たる。それは森の死神と呼ばれるヒエルパだった。