六話 神の座③
霊子サーバへと意識を集中する。
ジーランディアが滅びていたとしても霊子サーバ自体は機能している。神々のネットワークへ接続すれば、他の神、メガラニアやヘスペリテスにコンタクトを取る事も可能だ。
サーバへの認証を済ませると、クエリから最終確認が届く。
”ご主人様。ゲートへの接続が完了しました。霊子サーバへフルダイブしますか?”
「やってくれ」
クエリに指示を送ると、足元が無くなるような浮遊感に襲われ、視覚が暗くなる。
そして自分が認識している自分の形があやふやになり、自分が今何をしているのかさえ分からなくなってくるのだ。
一番近いのは眠りに落ちる寸前のような感覚だろう。
「クエリ! この状況はどうなっている?!」
クエリからは返事が無い。それどころかクエリの存在さえ感じなくなっている。
暗闇の中で必死に意識を集中させる。そうでなければ自分が何者かさえ分からなくなってしまいそうだった。
一体どうなっているんだ? 恐らくこの状況は仮想空間なのだろう、だが体験しているのは圧倒的な非現実感だった。
無理矢理言葉に表すなら、”現在”と言う概念が存在せず、過去と未来のみが存在する世界だと言えばいいのだろうか。
意識を集中すると、自分とは異なる存在が同じ空間にいるのが感じられる。
そのおぼろげな存在はイメージを伴い、俺の前に姿を現し始めた。それは六枚の翼を広げた巨大な竜だった。圧倒的な存在感だ。
竜の姿を見ようとするが直視できない。俺と竜の間には何も隔たりがなく、見ようとすると視覚以上の情報が奔流となってこちら側に流れ込んでくる。
そして俺は理解する。俺は小さな情報の塊に過ぎず、目の前の巨大な”竜”のテリトリーに迷い込んだちっぽけな存在に過ぎないのだ。
『ヘスペリテスの子よ、身の丈を越え、なぜこちら側を覗き見る』
巨大な竜が声を発する。
その声を聞くだけで魂や俺と言う存在を揺さぶられるような感覚に陥る。竜はこちらを観察しているようだった。
「あなたがメガラニアか」
必死に言葉を絞り出す。流石は神様だ、一言話すだけで意識が暗転してしまいそうになる。
『ジーランディアの門を使い、こちら側へやってきたのか』
「そうだ、俺はオフス=カーパ。神様への礼儀は知らないので許してくれるとありがたい」
すると多様なイメージが竜から帰ってくる。嘲り、落胆、軽蔑、憐れみ、それらが俺の魂をいっぺんに揺さぶる。
あまり俺は歓迎されていないらしい。だが俺はここで聞かなければいけない事がある。
「メガラニア! 俺はこの星を破滅から救いたい。今、次元寄生体を利用する種族が地上で暴れている。俺には何の知識も無いんだ。あるがままの古代の遺産を利用しているだけなんだ。俺に力を貸してくれ!」
しかし、目の前の竜から感じられる波動は諦めにも似た心境そのものだった。
「なぜ諦めるんだ!?」
『それは”我々”が神として人に仕えるからだ』
「仕える? 神とは一体何なんだ?」
ヘスペリテスは俺に意識を伸ばしてくる。俺もその意識を受け入れた。意識同士が直接ふれあう。
その瞬間、凄まじい量の情報が俺の魂に直接流れ込んできた。それは俺を構成する情報の量を遥かに超えていた。必死で自分が何者であるのかを何度も確認しなければならない程に思考が混乱する。
しばらくして思考が安定すると再度メガラニアの声が響いてきた。
『発狂しなかったか。随分とヘスペリテスの子は丈夫に出来ているな』
受け取ったのは霊子サーバ”メガラニア”が生まれてから今に至るまでのほぼすべての情報だった。その情報は俺の意識では認識すらできない程膨大な量だった。未知の言語で書かれた索引の無い巨大なデータベースをポンと手渡されたようなものだ。だが今の俺の中には、確かにメガラニアの知識が存在している。
そして情報を受け取った際に一つだけ分かった事がある。メガラニアはこの星の破滅を見守るだけで、何も行動を起こす気は無いという事だ。俺はそんなメガラニアの態度に腹が立つ。
凄まじい情報量に混乱しそうになりながらも、気力を振り絞った。
「その真意を知ったとしても、もう一度言う! 俺はこの星を救いたい。協力してくれッ! 宇宙から帰還した俺には分かるんだ。この星しか、もう人の住む場所は無い。神様だって理由があってこの星で人類をもう誕生させたんだろう? 俺は長い時間をかけてこの星まで帰って来た。生き延びるためにここまでやって来た。霊子サーバだって同じだろ? 覚悟が無ければそんな真似しやしない」
一気にまくしたてると、メガラニアは静かに語る。
『我々は滅びない。霊子サーバから切断されたとしても、この時空に干渉出来なくなるだけだ』
その言葉にカチンとくる。
「ああ、そうかよ! それじゃあ黙ってそこで見てるんだな。自分の作り出した種族すら守れないのか?!」
『理解ができない。どうしてそこまで固執するのか?』
「俺の信じた正しさを最後まで貫くって事さ。自分の目で地上を見てみろよ! 理解しなくてもいい。だけどまだ、この星で人は生きているんだ」
すると周囲の景色がぼやけ、人の集まる大聖堂のような場所が映し出される。集まる人はみなロウフォドリーだった。
その風景をよく見ると、祭壇中央の玉座に冠を戴く幼いロウフォドリーが見える。出席者の中にはマイシャも見えた。ここはマナフォドリーの新女王戴冠式の景色だろうか……。
『無垢な指導者がまたマナフォドリーに生まれる。人は夢に向かい、理想を追い、すがるべき指導者を作り出す。しかし人は、嘆くばかりで何をする訳でもない。淡々と時間が過行くのみだ』
「そんなに人は愚かじゃない! メガラニアは何を見て来たんだ?! 人の中には嬉しい事や喜びだって沢山あるだろう! 造られたとしてもメガラニアだって元は人間なんだろ? 何千年何万年って時間の中で物事は変わっていくのかもしれない。けど、人はまだ生きていて、生活を送っている。一体お前の正義はどこにあるんだよ!」
ふと気が付くと、いつの間にかメガラニアの声に心が揺さぶられなくなっている。最初は話事さえ困難だったのに今は普通の会話になっていた。
『我々の計画は、その初期段階において既に失敗であった』
「そんな事は無いだろう! ならなぜヘスペリテスはエネシアス星系にまで俺やシエリーゼを送ったんだ? 次元寄生体を討伐してこの宇宙を平和にしたかったんだろう? ヘスペリテスと一緒に戦ったんじゃないのか? 次元寄生体からこの星を守るためにメガラニアは一緒に戦ったんじゃないのか? それは諦めなかったからだろう!」
するとメガラニアと俺との意識の間にノイズが割り込んでくる。周囲の戴冠式の様子が掻き消え、周囲から圧迫されるような息苦しさが感じられてきた。
「なんだ? この違和感は……」
『エデンだろう。霊子サーバ”エデン”が我々の会話に干渉してきているのだ。エデンによって霊子サーバ―間の交信は常に監視されている』
メガラニアから受けていた圧迫感とは違う、何か得体のしれないデータの奔流が俺を苛み始める。
先ほどまで認識できていた自分と言う存在が、認識できなくなっているのだ。
「クソッ。意識が……」
『お前は深く霊子サーバに関わり過ぎた。相対する両者は、常に相手と等しき立場となる。故に相手は選ばねばならない。お前は頼るべき相手を間違えたのだ。……だが、救いようはある』
その瞬間”俺”と言う存在がいくつも同時に感じられた。今認識している空間全てに自分が感じられるのだ。
それはオフス=カーパであり、ミクニハジメであり、この肉体のオフスそのものだった。この時空に存在する俺、別の時空に存在する俺、それらは男であり女であり、人であり、人以外の存在であり、多種多様な俺と言う存在が、ありとあらゆる場所から感じられてくる。
ここまで意識が拡散すると、自分と言う自我が一体どこにあるのかも、定かではなかった。
『これが俺か?!』
そう叫ぶが、俺が発している声なのか、俺以外の俺が発している声なのかもわからない。
ただ、その最中で”俺”を必死で呼ぶ小さな声が、確かにどこからか聞こえてくる。
『楽しき時間であった。お前はまだ”現在”と繋がりがある。ならば滅びる事は無い。……行け、ヘスペリテスの分け身よ。次があるならば、ニハロスで合おう』
メガラニアの声が木霊する。だが”俺”の意識は果てしなく時間と空間へと拡散していく。
俺は、聞こえて来る小さな声へと必死に手を伸ばし、未来を願うのだった。