三話 思いやりの形③
俺はアイノスさんが好きな香草入りの乳酒を片手に、彼のお店があるいつもの裏路地へと向かう。天気は曇り空、まるで俺の心を映しているかのようだ。
久しぶりに馬車でなく徒歩で歩き街の空気を満喫する。
街中を見渡すと、以前から思っていた予想は確信に変わっていた。あまり見かけないはずのジケロスが街中に多く見られるのだ。
流浪の民となったランマウのジケロスは、ほとんどがフォーナスタに移ったと聞いている。それがなぜヴァンシュレンのナウムにいるのだろう。そんな疑問を抱えつつ、お店のドアを開けるといつものようにカランとベルが鳴る。
「ん? オフス君か」
そこにいるのは、いつものようにカウンターに座り帳簿を付けるアイノスさんだった。
店内には大量の木箱が積み上げられ、店舗と言うよりは倉庫に近い感じになってしまっている。
「どうしたんですか、この荷物の山は……」
「オフス君こそどうしたんだい? そんな顔してさ、酒場でケンカでもしたのか?」
「これはアイリュに殴られて……」
「ああ、いつものやつか、聞くんじゃなかったよ」
「そんな事言わないで聞いてくださいよぉ」
「そんなのは魔獣も喰わない与太話だろ?」
俺は酒をカウンターに置くと、アイノスさんの帳簿を盗み見る。どうやら、荷物の正体は女性物の下着の様だ。
「気になるかい? この荷物はマナフォドリー行きの荷物さ。リーヴィルちゃんが新しいデザインをしてね。それがマナフォドリーの国内で爆発的な人気なんだよ!」
そう言って品物を広げて見せる。何の変哲もないただのパンツなのだが……。尻尾を出すお尻の部分にワンポイントの鈴がついている。なんだこれ?
「ロウフォドリー用の商品ですか?」
「そうさ! 尻尾を動かすたびに鈴が鳴るんだよ、今ロウフォドリーの間で大人気なんだぜ? この店の二号店をマナフォドリーに作ろうかって所なんだよ!」
目の前のアイノスさんは何だかすごいヤル気に満ちている。やっぱりアイノスさんはジケロスの間でも変わり者なんだろうなぁ。
う~ん。でもリーヴィルの発明なら俺の記憶を盗み見たものだと思うのだが……。俺はこんな物を見たことも聴いたこともない。まぁでも、俺の好きなデザインだが……。
アイノスさんは、俺の手土産の酒壺の匂いを嗅ぐとさらに機嫌を良さそうにする。
「何か相談でもあるのかい? 他ならない君のためだ、何でも聞いてくれ!」
「じゃあアイノスさん、ヒエルパって知ってますか?」
そう言うと、アイノスさんは俺を見て不思議そうな顔をする。
「ああ、知ってるぜ? あいつは俺がこの街に呼んでるんだ」
「何故?!」
「何故って……。オフス君が驚くのか? ちょっと前にジケロスの集会を開くと言っただろ?」
確かにそんな事を言っていた気がする。リーヴィルの”声”はジケロスにだけ遠くまで届く。ランマウの姫が生きている事が公になるから集会を開かなくちゃいけないとか、確かそんな感じだった。
でもなんでヒエルパをアイノスさんが呼んだんだ? それなら何故リーヴィルは泣かなくちゃいけないんだ?
「ヒエルパとどう関係があるんですか?!」
「そうだなぁ……、君たちの種族で言うと、オフス君とリーヴィルちゃんの婚約発表会の準備だな。ヒエルパにはその式を執り行ってもらおうと思ってね」
「こ? 婚約発表会?!」
「嫌なのかい?」
「と、とと、とんでもない!」
「男なら、ケジメくらいちゃんと付けなきゃダメだぞ? オフス君もそのつもりなんだろ?」
顔を赤くする俺の反応が面白いのか、アイノスさんはにやにやと笑い顔をみせる。とりあえず俺は今の事を全部アイノスさんに全て話すことにした。話し終わると、アイノスさんは驚いたような表情で首を振る。
「でもヒエルパの奴、俺の所に来るより先にオフス君の所に直接行ったのか」
「それでリーヴィルが怯えちゃって……」
「ヒエルパには俺から言っておくよ。森からあまり出ない奴だから街の流儀なんて分からないのさ。ジケロスには自分の土地って考え方がまず理解できていない。ジケロスにとって大地は皆の共有財産なのさ。まぁこれはほんのお詫びの気持ちだ。受け取ってくれ」
そう言うとアイノスさんは先ほどのパンツを俺の手に握らせる。
これが俺の慰めになるはずがない。だけど彼も悪気があって俺に握らせたわけじゃないはずだ。ロウフォドリーで流行ってるならリノちゃんへのプレゼントしてみよう。邪な気持ちは全くないが、きっとリノちゃんなら似合うだろう。
「それより、その発表会ってどんな感じで行うんです? 準備とかいろいろしなきゃいけないと思うし。やっぱり偶像騎士の前でキ、キスとか?!」
「それは騎士らしいやり方だな。ジケロスが行うのは、”沈黙の集会”と呼ばれるものだ。ジケロスに伝わる秘密の集会だぞ? 普通のジケロスならそんな面倒な事はしないんだがリーヴィルちゃんはなんてったって王族だからな。その儀式を見定めるために、続々とこの街に各地の同胞が入り込んでいる」
「どうりで街中でジケロスを見るようになってたわけだ」
多いと思っていたジケロスの謎がやっと解決したぞ? う~ん。そうすると俺とリーヴィルの婚約発表会を見るために、バラバラになった部族がナウムの街に集まってるって事なのか?!
「結構スケールの大きな話になって来たな……」
「オフス君。君がそれを言うのかい? 今更だろ? 君は既にヤバイ人を色々と側に置きすぎてるんだぞ?」
「はい……」
マイシャはフォーナスタの女王だし、リノちゃんはマナフォドリーの王族、レグちゃんはその元女王、アイリュはただの村娘だけどオーヴェズの騎士ってだけで特別扱いの英雄だ。そしてリーヴィルは亡きランマウ王家の最後の王族と言われている。
思い悩む俺を、アイノスさんは睨みつけてくる。
「もしかしてオフス君はリーヴィルちゃんと一緒に居るのが嫌になったのかい? あれだけオフス君無しでは生きていけないような感じにしておいて?」
「そ、そんな事は無いです! むしろいつでも一緒にいたいです!」
もちろんリーヴィルへの気持ちは混じりけの無い純粋な気持ちだ、最高にピュアってやつだ! アイノスさんはそんな俺の顔をまじまじと見つめて溜息をつく。
「一応言っておくけど、ジケロスの王族との婚姻に関しては厳格な規則が三つある。王族をめとる者は一族の勇者でなくてはならないと言う事。妻は巫女となり勇者の意志を民に伝え、神の声を聞き勇者を導く事。そして最後に、その儀式を一族に選ばれた大戦士が執り行う事だ」
「大戦士?! その為にヒエルパが……。そうすると俺がジケロスの勇者に? ジケロスでない俺が勇者になったら、とんでもない事になるんじゃないですか?!」
俺の家に押しかけた反対派の民衆の姿を思い出す。ナウムの街中でもあれだけの反対運動が起きるのだ。プレッシャーが物凄い。
「種族を気にしてるのなら心配はいらないさ、過去にエランゼの騎士が、ランマウ平原の勇者として認められたことがある。オフス君みたいなニーヴァだって全然問題ない。ジケロスとしての勇者の存在は、強さではなく精神的な物だからな」
とりあえず俺が勇者になるという道はあると言う事だ。だけどそれは俺の問題で、俺が解決すればいいだけの話。俺が今問題にしているのは……。
「じゃあ問題はリーヴィルが巫女じゃないって事か……」
アイノスさんは頷いて俺の言葉を肯定してくる。きっとそれこそがリーヴィルが泣いている原因だ。巫女でなければ俺と一緒になれないと思っているのだろう。
「リーヴィルちゃんは王族の血を引いている。王家の血筋は一般のジケロスとは比較にならない程に人の心を深層まで読む。俺たちはせいぜい感情が動くのが分かる程度だ。だが、そこが問題だ」
そう言ってアイノスさんは一旦言葉を切る。
「リーヴィル姫が巫女となり神の声を聞くためには、他人の心に依存せず、本当の自分と向き合うようになる事が必要なんだよ」
「本当の自分に……」
やっぱりだ。やっぱり心を読まない様にするリーヴィルへの訓練は最後までやり遂げた方が良かったのだろう。
だけどそれは、ただの現状だ。それはこれからいくらでも変えられる。俺はあの時確かにリーヴィルの温もりを感じたし、互いに通じ合っている気持ちを、無理やり引き離すような事は間違っていると思った。
リーヴィルがそうしたかったからでも、俺がそうしたかったからでもない。俺がそうしたのは多分、すごく当然の事だったからだと思う。
「ありがとうアイノスさん」
アイノスさんは俺の真剣な顔を見ると机の下から貝殻を一つ取り出す。それは以前リーヴィルに付けて欲しいと頼まれた、心を読めなくする軟膏入りの貝殻だ。
「コレは使うかい?」
「いいや、使わないよ。それは俺にもリーヴィルにも必要ない。リーヴィルの問題は俺自身が解決する! そうしなきゃいけないんだ! それとヒエルパに会ったら『集会はもうちょっと待ってくれ』って、そう言っておいてくれ!」
他人の嘘に関して、リーヴィルは敏感だ。もしかしたら今まで自分を巫女だと偽っていた”嘘”が彼女自身を悲しませているのかもしれない。だけど、そんなのはただの思い込みだ。俺とリーヴィルの間に、問題なんて全くありはしない。
俺はもう一度アイノスさんに礼を言うと、急いで屋敷へと戻ったのだった。