二話 招かれざる来訪者①
静かに夜が更けていく。
診察の後、私が幼い頃のランマウの様子を話して聞かせると、オフスはそれを黙って聞いてくれていた。それだけならいいのだが、いつのまにかオフスはいびきをかいて寝てしまっていたのだ。窓からは仄かに月明かりが差し込んでいる。
「ん。オフス? ねちゃったの?」
よだれを垂らしたオフスの寝顔がおかしいので、思わずクスリと笑ってしまう。
オフスはとっても行動力がある。あちこち駆け回り、いつもどこかに足跡を残しているのだ。まるで子供みたいだ。ぐっすりと眠るオフスは、相当疲れているのだろう。
傷を見てくれていたオフスは、私の事を綺麗だと思ってくれていた。だけど、本当の私は綺麗なんかじゃない。とても汚れているのだ。ジケロスでないオフスは、私の気持ちに気が付く事は無いだろう。だけれども、それでもいいと私は思っている。
「ん。私だけのオフス。……私がオフスだけの巫女になってあげる」
そう言って寝息を立てるオフスの側に寄り添い、優しく頬を撫でる。アイリュにもリノちゃんにも邪魔されない、今のオフスは私だけのものなのだ。
ジケロスの間では巫女は勇者を支える存在とされている。オフスはきっと、ジケロスに朝日をもたらす勇者となるに違いない。
そんなオフスは、今は私だけのものだ。
「うふふふふふ」
自分のバンダナを外し、オフスのシャツをはだける。そしてオフスの胸のラピスに自分の額のラピスを押し付けた。魂と魂が直接ふれあうこの行為は、深い間柄にあるジケロスの男女が行う一種の儀式なのだ。
目を閉じオフスの意識の底に潜り込むと、眠りに沈むオフスの世界が視えてくる。私はこうやって、何度かオフスの夢にこっそりと入り込んでいた。
見る景色は同じだ。そこはくすんだ夕焼けと濁った色の海辺で、いつも側に、金色の髪の女性の姿が見える。
オフスはしきりに、その女性に話しかけていた。最近の事を話しているようで、女性は微笑むだけで何も答えてはくれない。この女性はオフスの心の中にある大切な人なのだろう。
「オフス。またその人と会ってるんだ……」
オフスは振り向くと私を見て驚いている。
「リーヴィル? 何でここにいるんだ?」
「ん。これは夢だから、私がここにいてもいいんだよ? それよりも、私に内緒で何をしてるの?」
そう言うと、夢の中のオフスは困ったような照れたような顔をする。
「やっとここまでたどり着いたって話をしていたんだよ。この星でやりたい事がだんだん形になっていく、まだまだ始まったばかりだけど、これからだ! ってね。責任っていうのが増えてきちゃったけど……。これもしょうがないのかな、ってさ」
「ん。私にはそう言う話はしてくれないの? 私はこの人よりも側にいるんだよ」
オフスは不思議そうな顔をすると、私の話を都合よく解釈したのか笑顔を見せてくれる。
「ああ、一緒だよ。いつもリーヴィルの事が一番さ」
そして夢の中のオフスは私を優しく抱きしめてくれる。一瞬幸せを感じるが、これは本当の幸せではない。これは夢の中のオフスなのだ。この夢は私が干渉しているから私の夢でもある。夢はとても都合良く出来ているのだ。だけど、分かっている。だから私はオフスの一番にはなれないのだ。
私はアイリュのようにキラキラしていないし、リノちゃんやレグちゃんのように知識も知恵も無い。マイシャのように力も権力も無い。あるのはオフスに愛されていないと不安でたまらないという衝動だけ。
憐れみを誘い、卑しくオフスに近寄る女が、私だ。
そして、こうやってオフスの夢を盗み見るのは、そんな私の劣等感から来るのだと思う。
「ん。ありがとう」
夢の中のオフスにそっけない言葉を返す。
そう、夢の中では全てが叶う。だけど夢は必ず醒めてしまう。そして彼は私だけのモノにはならない。それも永遠に。醒める夢はとても残酷な物なのだ。夢を見る代償を支払う前に、いっそ見ている夢をすべてを手に入れてしまおうか……。そう私は思うのだ。
◇ ◇ ◇
「みてて! リーヴィルお母さん! みてみて!」
グゥちゃんの声で目をあけると、眩しい日差しが目に入ってくる。日はまだ登りきっていない。どうやらラーゲシィにもたれかかって、うたた寝をしてしまっていたようだ。さっきまで私はグゥちゃんと一緒に屋敷の庭でラーゲシィと遊んでいた事を思い出す。
ラーゲシィは起きた私に気が付くと心配そうにのぞき込んでくる。そんなラーゲシィは私に語りかけてくれる。
”目を覚まして……。うなされる夢は、きっとわるい夢”
「心配してくれるの? ラーゲシィ」
”オフスの大切な人は必ず守る。リーヴィルはオフスの大切な人、あと……”
「あと?」
”あと、大切なおっぱい”
その言葉に思わず笑ってしまう。きっとラーゲシィは子供じゃなくてまだ赤ん坊なのだろう。
一緒にいるグゥちゃんは、毛長タコのマルちゃんと一緒に、ラーゲシィの背中に跨り遊んでいた。子供はいつでも元気いっぱいだ。
私がグゥちゃんに手を振ると、グゥちゃんはラーゲシィが肩に立てかけた大剣を滑り台にし、勢い良く滑り出す。
「きゃー!」
嬉しそうな悲鳴を上げ、見事に着地するとグゥちゃんは私にまた手を振ってくれる。ラーゲシィは身動きせず、背中に上ったり下りたりして遊ぶグゥちゃんを時折眺めていた。
オフスは朝起きるとニルディス将軍の所へ出かけて行ってしまっていた。無断で持ち出したラーゲシィの報告をするためらしい。
ラーゲシィはまだ色々な事が珍しいようで、あちこちを眺めている。見た目は立派な偶像騎士なのに子供の様で少し可愛らしい。まるでオフスの様だ。私がもたれかかかるラーゲシィの腕は、ヒンヤリとして冷たく気持ちがいい。ラーゲシィは私の為に日陰を作ってくれていた。
夏のまぶしさに目を閉じると、昨日のオフスの優しさがまだ心の中に残っている。彼の微笑みは作り笑いでもなんでもなくて、ホントに私と一緒にいる時間や私との未来を、笑って迎え入れているのだ。
その事を思い出すと、心の中の空虚さがが和らぎ、自分も少し笑顔になってくるのが分かる。だけど私はオフスにひどい事をしている。まだ私は自分の事を全部話していないのだ。きっと、私はオフスの気持ちを踏みにじっているのだろう。
それでも彼は笑顔で接してくれる。オフスはどこまで私の醜い思いを知っても許してくれるのだろうか。
「わぁー!」
ラーゲシィの背中から聞こえてくるグゥちゃんの元気な声に振り返る。するとグゥちゃんは笑顔で話しかけて来た。
「ねぇ、リーヴィルお母さん! 私ね? ラーゲシィとお友達になったの!」
「ん。良かったね」
私も幼い頃は誰とでも仲良くなれた気がする。こちらへやってくるグゥちゃんを抱きしめると、優しく頭を撫でる。グゥちゃんはご機嫌の様子だ。
すると不意に小鳥が騒ぎ出し、草木の震えが辺りに木霊する。私と仲良くしてくれている鳥や木々たちだ。これはジケロスにしか聞こえない、自然の知らせだ。
振り向くと外の街路樹から枝を伝い、屋敷の塀を乗り越えようとする人影が見える。子供が三人だ。子供たちは次々に敷地内へと入ってくる。最後の一人が塀を越えようとすると、足を滑らせ枝に宙ぶらりんの状態になってしまった。その様子にハッとなる。
「いけない。ラーゲシィ!」
私の声にラーゲシィはのそりと立ち上がると、ぶら下がっている子供の方の所まで歩きだす。
突然の鋼の巨人の襲来に子供たちは怯えたような表情になるが、ラーゲシィは枝にぶら下がった子供の服を器用につまむと、そのまま自分の顔の前に持って来て観察するような仕草をする。
「な、なんだよ! 離せよ」
子供はつままれたまま腕を大きく振りして暴れる。その様子を見てラーゲシィは子供を優しく地面へと降ろした。降ろされた子供たちに、他の子供たちが駆け寄る。
「私はリーヴィル。ねぇ、君たちはどうしたの? お名前は?」
この屋敷のまわりは軍の警備が常駐しているのだ。なるべく怖がらせないように尋ねるが、見つかってしまって子供たちはバツが悪そうにしている。服装から見て街の子供達だろうか。みんなニーヴァの男の子だった。リーダーっぽい威勢のいい一人の子供が話し出す。
「ぼくはジェイル。ぼくたちは偶像騎士を見に来たんだ」
「大人たちは屋敷に近づくなって言うけど、偶像騎士が近くにあるから……」
「普段は見れないから、近くで見たかったんだ!」
本来なら厳重に管理されている偶像騎士が街中にあるのだ。興味が尽きないのだろう。
「ねぇ。ラーゲシィと遊びに来たの?」
私の隣に来たグゥちゃんが子供たちに声をかける。
「お前、なんだよ」
「私はグゥだよ。ね、ラーゲシィ」
すると、グゥちゃんの声に反応するようにラーゲシィは身を屈める。
「お前! 偶像騎士の騎士なのか?!」
「違うよ? ラーゲシィとは友達なの。ねぇ、リーヴィルお母さん。みんなと遊んでもいいでしょ?」
「ん。もちろん、いいよ」
するとこちらの異変を察知してか、警備を担当するオルトレアさんが走ってやってくる。
彼女は怒った顔をしているけれど、きっとすぐに理解してくれるだろう。私の言葉に、子供たちは皆嬉しそうな声をあげているのだから。