一話 無垢なる偶像騎士⑤
その日の夜。
ふいに気配を感じ、自室のカーテンをそっとめくってみる。そこに見えるのは月明かりに照らされた庭先ではなく、部屋の中を覗き込むラーゲシィの顔だった。何事も無かったかのようにすぐに閉める。
俺はちょうど今、リーヴィルを寝室に呼んで治療中の傷跡の確認をしていたのだ。おっぱいが好きなのは非常に、非常に良く分かるが、油断も隙もあったものじゃない。
振りかえると、リーヴィルがベッドの上で後ろ向きに座っていた。
その背中はもう綺麗になっている。背中だけじゃない、体の何処にももう傷跡は無い。最初に見た時にあった傷はもうどこにもないのだ。
リーヴィルの背中に手を当て、彼女の体内にあるナノマシンとリンクし異常個所を抽出していく。しばらくしてデータの転送が終わるが、今回はどこにも異常個所や副作用は見られなかった。その事を確認すると綺麗な背中に優しくシャツをかける。
「よし! 異常なしだ。もう長袖とかじゃなく好きな服とか着てもいいんだぜ?」
「ん。わかった」
見た目も綺麗になっている。夏だから露出の多い服を着る機会もあるだろう。これなら他の子たちと一緒にお洒落も気兼ねなく楽しめる。……もうリーヴィルは”普通”なのだ。
リーヴィルは後ろ向きのまま服を着始める。これ以上、俺が治せる傷はない。
「もう? おわり?」
俺の心を読んだのか、リーヴィルは驚いて振り向く。
「そうだぞ?」
「もう? こなくていいの?」
「リーヴィルが来たいときに来てもいいぜ?」
そう言って見せるがちょっと不安げな表情だ。いつまでも俺と二人っきりの時間が続くと思っていたのかもしれない。
シャツを着る途中で振り返ったので、胸元が大きく開いていて目のやり場に困る。慌てて視線を横に向けるが、リーヴィルの肌の白さが目に焼き付いて離れない。しかも彼女は湯上りのいい香りだ。
やばい。俺のときめきに火がついてしまいそうだ。変な気が起きてしまいそうになってしまう……。何か話題を変えないと!
「おそうの?」
「お、襲わないよ?!」
リーヴィルはさっきとは違い、不安げな表情で俺を見つめている。
クソッ。つい無意識に変な想像をしてしまう……。俺は聖人君子ではないのだ。人並みに男の子なのだ。ラピスの波長が合うリーヴィルは、どう考えても俺のイケナイ想像の対象になってしまう! 落ち着け? また思考を読まれるぞ?
だが、リーヴィルに襲い掛かるゲスな俺の姿が容易に想像できてしまう。……人とは常に楽な道を進みたがるものなのだ。
「よくぼうのままに、むちゃくちゃにしたいの?」
「す、すするわけないだろぅ?! したいけどッ! しないように努力するッ!」
リーヴィルに煽られ俺の思考はどんどん加速していく。その邪な想像を振り払うように両手を必死に握りしめる。
「つらいの?」
「辛い!」
俺は目の前の握りこぶしに自分の頭を何度も打ち付ける。
「すっきりしたいの?!」
「すっきりしたいッ!! でもッ、ダメだッァ!」
俺の必死の抵抗もむなしく、リーヴィルとの色々な想像が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
「オフス。よくわからない。『えろどうじんみたいに』ってなに?」
「うおぉぉぉぉっ! 静まれッ俺の煩悩ッ!」
俺は床に頭を打ち付ける。痛い! 痛いが俺が暴走して傷つけてしまえばリーヴィルはもっと悲しむ!
「もう? 私のお話きいてもらえないの?」
………………そうだ、心の読めるリーヴィルは俺に頼っている部分があるのだ。俺が拒絶しちゃ駄目だろ! それに離れられないのは俺も同じだ。もうリーヴィル無しの生活なんて、俺は考えられない。
「なぁ、……まだ何か辛い事があるのか?」
だとしたら、まだ治療は終わっていない。体だけでなく、心にも安らぎは必要だ。両方が大切なんだ。彼女が不安を感じているのなら、それはきっと話を全部聞けていない俺のせいだろう。
「ん。もうない。あるのは、お父さんと、お母さんのお話、それにきれいなランマウのお話」
ひょっとしたら、彼女には辛い事は無いのかもしれない。彼女は俺に微笑みながら言う。
「あと、それと。大好きだったお姉ちゃんのお話」
きっと彼女は言っているのだ。伝えたい事は悲しい事や辛い事だけじゃ無いのだと。辛さに寄り沿い、幸せに寄り添う事。これは表と裏で同じ事なんだと思う。リーヴィルは知っているのだ。一緒に生きる事の意味を全部。たぶんそれを俺に教えようとしてくれているのだ。
「じゃあ聞かせてくれるかい? ランマウの事、リーヴィルの両親の事、それにお姉さんの事……」
「うん。じゃあ。最初に私のお姉ちゃんの事、教えてあげる。よく覚えていないけど、お姉ちゃんエランゼの騎士の人が大好きだったんだ……」
するとリーヴィルが自分の幸せだったころの思い出を、嬉しそうに話しだす。それはずっと一緒に居たのに、俺が見る初めてのリーヴィルの姿だった。
リーヴィルとの楽しい思い出は、これからも沢山作っていける。笑顔の彼女を見ていると、とても温かな気持ちになってくるのだった。