一話 無垢なる偶像騎士①
ヴァンシュレンの王都オールゲンから南西に下ると、荒涼とした山地がそびえ立っている。人々からは”エグファズ”と呼ばれている赤色の山脈だ。
内陸に位置し標高が高く乾燥した土地でもあり、地下魔力の枯渇に加え土地が痩せている。いわゆる不毛の地だ。
さらに厄介な事に、巨大な古き竜”ウェクオズ”が住処としている場所でもある。
その為ヴァンシュレンとマナフォドリーに面しているが係争地とはならず、古くから少数のジケロスの民が住まう土地であった。
ひび割れた大地と岩場を削り、脅威にさらされながらも人は大地を愛し、そこに住まう。
しかし、軍事的にも経済的にも空白地帯とされていたその場所に、人知れずならず者が住むようになってきたのは、いつからだろう……。
防塵対策を施した偶像巨人が三騎、砂岩をくり抜いた集落へと戻ってくる。
偶像巨人の後ろには荷馬車が続き、その中には数々の略奪品が積み込まれていた。
集落から人相の悪い男たちが出てくると、偶像巨人を歓声とともに迎え入れる。その集落はジケロスの民の作ったものであったが、今はならず者共に占拠されてしまっていた。
先頭の偶像巨人のハッチが開き、一人の男が現れる。
その男の肌はエランゼにしては浅黒く、一見ひょろりとした風貌だった。その左目には眼帯がされており、残った右の瞳はギラギラ人を畏怖させるかのように輝いている。
その男は大地に降り立つと土埃をツバと共に吐き出した。
「フン。くだらん……」
集落から一人の小太りのエランゼが駆け寄ってくる。この男にナウムから付き従う男、ナブヒだ。
「トートさん! おかえりなさい。それと……、トートさんにお客人が来ています!」
「会うぞ。連れて来い」
この男はトートと言う。力が全てと言い放ち、そしてそれを体現するほどに剣の実力を持つ男だ。
かつて権力争いに敗れて王都ファニエを追われ、再起を図るためナウムを裏から支配しようとしていた。だがヒェクナーとの決闘に敗れオフスとの対決で左目を失い、今はどこからも追われる身となってしまっている。
今は金銭感覚のあるナブヒと共に、各地を転々としながら山賊行為を繰り返していた。
エグファズはトートにとって丁度いい隠れミノだ。そして山賊活動の実入りはとてもいい。
己の暴力と”邪神の使い”と呼ばれる”ミクニハジメ”の名を使えば欲しい物は簡単に手に入る。弱者を叩けば叩くほど手に入るのだ。だが快適な生活でも、一つだけ気に入らない事がある。
噂によればオフスは深手を負いながら一命をとりとめたのだという。しかもフォーナスタの政権交代にも一枚噛んでおり、大層な活躍をしたらしい。
トートは左目を潰したオフスの事を忘れていない。左目の傷が疼くたびにヤツの事を思い出していた。
そして今ではこの左目の傷が疼かないと不安でしょうがない程、オフスへの憎悪が頭の中を駆け巡っているのだ。
ナブヒの声色には焦りの色が見える。
「トートさん。うちらも所帯が多くなってきました……。そろそろどこかの勢力と手を組まないと……」
「フンッ。分かっている」
「今回の相手は大物です。よろしくお願いします……」
ナブヒの焦りは分かっている。この山賊行為の行く末だ。
村や町を襲撃するたびに山賊への志願者が膨れ上がっている。それは山賊に憧れて志願するのではない。山賊行為によって生活の基盤が奪われ、奪われた側もまた山賊になるしかないのだ。そして大きくなった勢力は大抵二つの結末を辿る。内部から潰れるか、外部に襲われるかだ。
トートは幼い頃から王族として人を率いる為の教育を受けている。数百人程度の統率など造作もない。ただ、外部からの脅威が問題だ。もし山賊討伐にヴァンシュレンの正規軍が出て来たら太刀打ちは出来ないだろう。
トートを取り囲む手下が道をあけると、その方向を振り向く。先ほどナブヒが言っていた”客”が数名の供を連れてこちらに向かってきていた。
「客とはお前かぁ?」
それは王都での勢力争いを勝ち抜いた、異母弟のルグナスだった。
「お久しぶりです兄上。ナウムから消息を絶たれて、その身の上を案じておりました」
柔和な雰囲気が人の心をくすぐる好青年だ。だがこの顔の下にドス黒い本性を隠しているのをトートは知っている。
他人を平気で踏み台に出来ねば人の上には立てない。それは世の常だ。それも王位継承権争いであればなおさらだ。逆にそう言う者でなければ、国家などという巨大な組織を率いる事など到底できはしない。
「父王の死後、頼れる者が無く俺様の所に来たのだろう?」
「流石兄上、お見通しでしたか。父王は無念の最後を遂げられました。今はフォーナスタ存亡の危機。兄上、是非私と一緒に父王の仇を……」
「フンッ。くだらんッ。国の危機はお前だ! 途方もない大バカ者めッ」
そう一蹴する。
ルグナスの後ろに付き従う者は、いずれもギルナスとつながりのある貴族たちだ。もし王位を取り返したとしても、フォーナスタは再度ギルナスに頼るだけの国となり下がるのは明白だ。もしかしたらそれ以下かも知れない。
それに父王がヒューマンに殺されたという情報はトートも掴んでいる。トートから見れば敵討ちと言いながら、その仇と一緒にいるようなものなのだ。
トートは嫌悪の表情を浮かべながら、己の剣を抜くと怒気を膨らませる。
「抜けぇ、ルグナスゥ!」
「わ、私は剣など……」
ナブヒは固唾をのんで見守っていた。
切ってから考えるトートにしては言葉を交わすなど珍しい。それは血を分けた兄弟の情なのだろうか。
「俺様の力を借りてぇ? そしてお前は何を成す? ルグナスゥ。父王が俺達兄弟に何と言っていたか覚えているのかぁ?」
ルグナスは震える手で剣の柄に手をかける。
「ただ、『強く在れ』と」
ルグナスには剣の才が無い。そのため父王リグズはルグナスに社交や治政を叩き込んだ。
しかし王の右腕として国を治めていたはずのルグナスは、今こうして国を追われている。
「そうだぁ、力こそが正義よ。お前はその力を振るう機会に恵まれていたのだ。さらに俺様の力を借りたいと言うのなら、お前の力ッ! 俺様に見せてみろぉッ」
トートはそのままルグナスの懐に飛び込むとその頬を浅く切り裂く。それは目にもとまらぬ速さだ。大陸一の剣、リグズ王の剣をトートは受け継いでいるのだ。ルグナスが気配を感じた時には、喉元に剣を突き付けられていた。
その力の差に愕然とし、そのままルグナスはへたり込んでしまう。
「フンッ腰ぬけめ。そのような威勢で仇討ちなどとは、片腹痛いわ」
剣を納めようとするトートを見て、ルグナスは精一杯に威勢を張る。
「あ、兄上……。きっと後悔する事になります。わ、私に剣を向けて……」
するとトートの雰囲気が冷たいものへと変っていく。
「あぁん? ……なら、禍根はここで断っておくか」
納める前に剣を一振りすると、ルグナスの首はそのまま地面へと落ちていく。その様を見てナブヒは叫ぶ。
「残りの者を捕らえろッ。殺すな!」
貴族の身柄はいい身代金になる。それ以外にも色々な交渉事に使えるのだ。下手に歯向かわれてトートに皆殺しにされては元も子もない。
他の貴族が取り押さえられる様子を見て、ナブヒは安堵の溜息をつきながら、これからの後始末に頭を抱えるのだった。