章間 オルトレアの剣④
オルトレアにとって今回の事は予想外だった。オフスにこれほどまでに行動力があるとは思わなかったのだ。オルトレアは連絡のないオフスを気にかけ、倉庫街まで来ていた。
もし今、私が動けば、オフスの思いを無駄にしてしまうかもしれない。それに私の正体が露見すれば、穏便に済ませられるはずだったトフォース家への風当たりも当然強いものになっていく。
そして……、私の愛すべき人のためにも、今は様子を見るべきだ。そう思いながら腰に差した剣に手を触れる。
その剣は自分でもくたびれた剣だと思う。学生騎士でももっとマシな剣を差しているだろう。そのくらいボロボロの剣だった。
普段身に帯びる剣は切れない方がいい。良く切れる剣は使い手を思い上がらせ、惑わすのだという。オルトレアはこの切れない剣を身に帯び、常に自分を戒めて来た。
大儀の為に、正義のために。そんな理想を抱きながら貴族として剣士として、戦いに捧げる人生を歩もうとしてきた。当然戦場に立つときはボロボロの剣ではなく魔剣を帯びる。しかし、この切れない剣でも満足の行く戦いが出来るだろう。
オルトレアはそう信じている。何故なら、この古びた剣は常に自分の道と共にあった半身であるからだ。
しかし現実と理想はまったく違う。大儀の為に、正義のために。そのような信念と共に剣を振るった事は未だかつてない。
……オフスは馬鹿だ。正直者は馬鹿を見るのが世の常だ。
そう思いながら鯉口を切り剣の刀身を見つめるが、磨かれていない刀身は曇り、そこには何も写ってはいなかった。
剣を納めると、身に着けたチョーカーから声が聞こえて来る。だがオフスの声ではない。
『オフス~?』
「アイリュさん?」
『あれ? オルトレアさん? ごめんね、なんかクエリちゃんが挙動不審でね。オフスとも連絡がつかないし……。予備のチョーカーに連絡を取ってたんだけど……。ねぇ、オフスはどうしたの?』
正直に言うべきだろうか。だがそうすれば、私の正体を彼女に知られてしまう事になる。
「あの……、オフスさんは……」
『あっ! 言わなくていいわッ。分かったから! 今すぐ行くからッ!』
「え?! アイリュさん……」
きっとそれは私の役割だ。現場に一番近く、私ならすぐに彼の元に駆け付けられるだろう。
うまく返事が出来ず押し黙っていると、チョーカーから明るい声が聞こえてくる。
『きっとオフスの事だから、うかつな事でもしてるんでしょ? いっつも一人で突っ走っちゃうんだから』
「アイリュさん……」
『え? どうしたの?』
きっと私は、この人に聞かなきゃいけない。ずっとオフスの側にいたこの人に。私の心のわだかまりを……。
「どうしてオフスは素直なのでしょうか、どうしてあれほどまでに正直なのでしょうか」
チョーカーからは『なんだ~』といつもの調子で返事が返ってくる。
『正直すぎるのも考え物だけれどね。……えっとね。オフスを見てると気が付く事があるの。きっと人は自分を守る為にウソをつくんだって。だからね、自分にウソをつかないオフスは、自分を守る事をどこかに置き忘れちゃってるのかもしれないわ』
オフスは最初から私に進むべき道を示してくていたじゃないか。
馬鹿は私だッ!
「分かりました。ありがとうございます。アイリュさん」
そう言うとオルトレアは閃光の様に剣を抜き放ったのだ。
◇ ◇ ◇
髭面が俺に剣が振り下ろす直前、地下への入口の方が騒がしくなる。
「お頭ッ。やべぇ! どこから漏れたか知らないが、アイツが来やがったッ」
上階から手下と思われる男がやってくるが、そのままの姿勢でうつ伏せに倒れ込む。その奥からやってくるのは返り血を浴びたオルトレアさんだった。
髭面は床に唾を吐くと間合いを測る。
「あ? オルトレア。いいのか? 俺たちに歯向かっても」
「オフス!」
オルトレアさんが俺に気が付くと声をあげる。彼女が俺に注意を向けた瞬間、物陰に隠れていた小男が背後から襲い掛かる。
小男が立つ位置はさっき俺が陣符を仕掛けた場所だ。踏み込んだ瞬間に陣符を起動させると、小男は電撃に体を撃たれ、大きくのけぞって倒れ込んだ。
「クソッ! 動くなよ? この男の命が惜しければな」
小男の奇襲が失敗したのを見て髭面は俺に剣を向ける。だが俺は彼女に向かって叫ぶ。
「構うな! やれッ」
その声にオルトレアさんは迷わず動き出す。
オルトレアさんは髭面に向かって剣を大きく振り降ろすと斬撃波を放ち、それと同に大きく踏み込む。
魔剣を介さず衝撃波を放つには熟練した剣士でなければ不可能だ。さらに殺傷できるレベルにまで魔力を練り上げるには段違いの習熟が必要となる。それを易々と彼女は放つのだ。技量的にはマイシャと同じ程度だろう。
だが腕の立つ剣士にとって、遠距離から放つ衝撃波は見て避けられる程度のモノでしかない。髭面の男は体を捻ってかわすと、向かってくるオルトレアさんを正面から迎え撃つ。
互いに剣を交差させると、髭面は先ほどと同じように左手で短剣を抜き放ち、オルトレアさんの喉元を狙った。
だが、オルトレアさんが何も持たない左手を横に薙ぐと髭面の左腕が二の腕から切り飛ばされる。髭面が呻く間もなく、再度オルトレアさんが左手を振るうと髭面の首が半ばまで切り裂かれ、血が溢れ出す。
これは彼女の霊化術だ。俺には彼女が霊化された透明な剣を左手に握っているのがハッキリと見えていた。研究室でこの技を喰らっていたら、俺はひとたまりも無かったろう。
髭面の男は一瞬で地面に倒れ伏す。
「凄い……」
すると視界の端に、感電から立ち直った小男がのそりと立ち上がるのが見える。手には毒のナイフが握られている。俺にはもう打つ手がない。まずいぞ? 霊化術を使っている彼女は非常に無防備だ。
すると、凄まじい地鳴りが始まり上階から轟音が聞こえてくる。なんだ?! 地下室がこんなに揺れるなんて何が起こったんだ?!
見る間に天井が崩れ始めると、立ち上がったばかりの小男に石が落ち、彼はうめき声をあげて倒れ込んでしまった。
「今度は何なんだ?!」
崩れた天井から巨大な手が伸びてくる。それは偶像騎士の手だった。
土煙が巻きあがる真上を見上げると、裂け目からオーヴェズの顔が覗き込んでいた。
「オフス! 無事?!」
アイリュ?! 一階部分を偶像騎士でなぎ倒して地下室を掘り起こしたのか?! 無茶をする。クエリの奴、秘密にするとか言っておいて結局アイリュに知らせな? まぁ、助かったから良しとするか……。
俺の元へとオルトレアさんが駆け寄ってくる。まだ体は痺れるが、毒の分解は大分進んでいる。ゆっくりと自分の体を確かめるように体を起こした。
「すまない、オルトレアさん。助かったよ」
「こちらこそすみません。私がもう少し早く来ていれば」
「問題ないさ、それよりも……」
オルトレアさんに、子供のいる部屋を目で指し示す。
「向こうの部屋を頼めるかい……」
少しすると、オルトレアさんは先ほどの子供を抱えてやってきてくれた。その様子を見て俺は笑う。
「オルトレアさんとこの子が無事なら、それでいいさ」
そう言うと、なぜかオルトレアさんは俺を見て涙を浮かべるのだった。
2022/5/7 誤字修正しました