章間 オルトレアの剣③
建物内の様子を伺いながら塀を飛び越え中へと入っていく。
なんだ? 敷地は手入れされているけど人の気配がない。無人って訳じゃなさそうだが、妙な違和感を感じる。
俺はクエリの力を借りると、感覚を鋭く研ぎ澄ませる。すると、その代償に感情の起伏が少なくなっていく。クエリに体の制御を任せ肉体の限界を引き出すのだ。経験を積んだ今の俺なら、このパイロットモードも上手く使いこなせるだろう。
『パイロットモード起動しました。血中酸素濃度、脈拍共に正常です』
クエリから俺にメッセージが送られてくる。そういえば、この事がクエリからアイリュに伝わると大ごとになるだろう。今のうちに釘をさしておくか。
”おいクエリ。誰にも内緒の作戦だぞ? いつもみたいに俺の事を告げ口するなよ?!”
『いいえ、訂正します。告げ口ではありません。報告です』
”同じじゃないか。いいか? 今回はオルトレアさんの為に動いてるんだ。とにかく今回は俺の行動を漏らすなよ? 絶対にだ!”
『はい、その通りにします』
これで良し、っと。俺は最大限の警戒を払いつつ、建物に近づくと窓際へと忍び寄る。この世界はガラス窓なんて普及していないので、木の板を斜めに張り付けた目隠し窓が主流だ。その窓をずらし、無音で中の通路へと入っていく。中は薄暗いが俺の今の視覚ならば全く問題ない。
送られてくる位置情報を確認するため五感を最大限に集中する。すると、書類の位置が建物の二階から感じられてきた。同時に、人の呻き声のようなものが微かに聞こえて来る。どうやら地下からのようだ。
どうする? 書類は二階にある。だが研ぎ澄まされた俺の耳には、苦しそうな呻き声が今も聞こえてくるのだ。
ニーギルの奴が裏で何やってるのかを暴くチャンスかもしれない。それに耳鳴りが聞こえないって事は、俺が取る行動は一つだけって事だ。
そう考えると俺は迷わず呻き声のする方へと走り出した。
地下への入り口を見つけると魔剣で錠前を叩き壊し階段を降りていく、周囲に気を配りながら湿った空気の中を注意深く進んでいった。
作りからして、この地下は倉庫じゃない。わざわざこんな所に地下室なんて作ってなにしてるんだ?
地下から漂ってくるのは異様な臭気だ。それは血と腐敗の香りを含んでいた。流石にこれ以上はヤバイか? 血の香りと呻き声から、一瞬地下に捕らわれていた時のネーマさんの姿が頭をよぎる。
光が届かなくなると流石に周囲が見えにくくなる。俺は陣符を取り出すと魔力を通すと”光”を作り出す。すると、周囲がおぼろげに明るくなってきた。
「なんだここは……」
目の前にあるのは木の格子の嵌められた牢屋が連なる場所だった。ここの元締めは相当ヤバイ連中らしい。
「誰かいるのか?」
そう呟きながら明かりを牢屋の奥へと投げかけると、その光景に思わずうめく。人の形をしているが動く者が居ない牢、生きているのか死んでいるかの判明がつかない程、惨い仕打ちを受けた者がいる牢。
そこにいるのは、皆ジケロスの人たちだ。倒れ伏した人の顔が見えたが、額のラピスは抉られていた。……ジケロスは額のラピスを失うと生きていられないのだという。これは皆死んでるって事か?
少し済むと、奥の方からすすり泣くような呻くような声が聞こえ続けている。まだ生きている人がいるのだ。最奥までたどり着くと子供のジケロスが捕らわれている牢があった。よっぽど酷い目にあったのか、すっかり衰弱してしまっている。
「なんで……、こんな子供まで……」
すぐに魔剣で鍵を壊し牢へと入っていく。子供を抱きかかえると温かみがある。生きている!
「あ……」
「大丈夫だ。安心しろッ。今助けてやるからな」
子供は虚ろげに俺を見ると、干からびた唇で言葉を紡ぐ。
「こな……、いで……」
?! 不意に違和感を感じると子供を抱えてその場を飛びのき、同時に魔剣を構える。さっきまでいた所を、空気を切り裂くような音が走る。剣だ。まばたく間もなく、その剣は再度俺に向かって来た。咄嗟に魔剣で受けると、切りかかって来た敵と相対する。見知らぬ髭面の男だ。
「追ってくると思っていたよ。オフス=カーパ」
二度三度とそいつは切りかかってくる。クソッ。最初からバレてたのか?! まんまと誘い出されたって事か。相手の剣は重いが遅いッ。マイシャの剣に比べればコイツの剣は勢いが足りない。加えて今の俺は本気のパイロットモードだ。
子供を背に回すと気合を入れ直す。
「不意打ちなら倒せると思ったかいッ?!」
相手を見据えると、俺の頭が冷たく冴えわたってくる。……この男は俺の敵なのだ。
魔剣で切りかかりながら、後ろの床に陣符を仕込む。踏み込むと強烈な電流が走る一種の罠だ。
「いいやッ」
俺の剣を受け流すと髭男は平凡な突きを放ってくる。捨て身か? いや違うフェイントか?
相手の剣をいなすと、髭男は左手に隠し持っていた短剣で俺の胸元を切りつける。ギリギリで躱すと、お返しに強烈な蹴りを髭面へと叩き込んだ。相手はよろけるが、同時に俺の脇腹に灼熱感が生じる。切り付けられた? どこからだ?!
「倒せるなんて、思わないね」
髭面はそう言いながら鼻血を指で拭うと、俺に再度剣を構える。
「グッ」
強い痛みに思わず声が漏れる。俺が膝をつくと髭面の男は笑う。するともう一人、髭面の背後に小男がナイフを持って控えているのがおぼろげに見えた。クソッ。幻惑の魔術か? 薄暗い地下室で自分の姿を見えにくくしていたそいつが、俺にナイフを刺してきたのだ。
あれは露店の主人じゃないか……。クソッ。二人組だったのか。痛覚はクエリが遮断しているはずなのに、なぜか強烈な痛みが襲ってくる。
『なんだクエリ! どうなっている?!』
”はい、毒が体内に侵入しました。現在対応中です”
クソッ。ナイフに毒が塗られていたのか……。クエリが解毒してくれているので死ぬ事は無いだろうが、奴の目の前で意識が遠くなるのはどう考えてもピンチだ。すると小男が髭面に問いかける。
「誰ですか? 兄貴」
「こいつは、新しくリロンド商会の頭領になったオフスって奴だ」
「ああ、新しく議員になったって奴ですか」
髭面の男はふらつく俺の腹を先ほどのお返しにとばかりに蹴ると、俺の手から離れた魔剣を通路の奥へと蹴り飛ばす。
床へと倒れ込むが、毒でマヒしているせいか床の冷たさが感じられない。
「お前らは……、だれだ……」
普通に喋ったつもりだったが、すでに毒でろれつが回っていない。
「ほう? 毒にやられてまだ意識があるのか」
「ひひっ。俺らは”魔石屋”だよ」
俺の問いに小男が答える。魔石屋? そうか分かったぞ。市場に出回る魔石は鉱物由来の物が大半だ。だが人の身に宿るラピスも非合法だが魔石として使える。
特にジケロスの額にあるラピスは、ギルナス国では最高級の”魔石”なのだという。ニーギルの奴、自分の敷地内に何て奴らを飼ってやがるんだ。
「余計な事を喋るんじゃないッ」
「すみません……。それより兄貴どうするんです? コイツ」
髭面は一瞬考えて即答する。
「殺せ」
「でも、すぐバレるんじゃ? 議員相手だと色々不味い事に……」
「生きているように思わせれば交渉で時間が稼げる。その間にナウムを脱出すればいい。どちらにしろここでの商売も潮時だ」
髭面が顎をしゃくると、ナイフをもてあそびながら小男はこちらに近づいてきた。
「妙な正義感なんて出さなきゃいいのにな」
「仕事をする時に無駄口を叩くな……。さっさと殺れ」
髭面に小言を言われた小男はやれやれと言った様子を見せる。小男は俺の首筋にナイフを振り下ろそうとするが、俺の胸元を見て声をあげた。
「兄貴?! コイツ青色のラピスですぜ?」
さっきの戦闘で、シャツの胸元が切れラピスが見えていたようだ。
「ニーヴァの青色だと? 王族か? しかも男か!」
髭面は面白そうに俺を見据える。
「……殺さないのか?」
俺の言葉を聞くと、狂気に歪んだように笑みを浮かべる。
「気が変わったんだよ」
そう言って、男は俺の右手を思い切り踏みつける。半分感覚の無くなった右手からボキリと嫌な音が響いてきた。
「知らないのか? 抉り出す時に恐怖や絶望を与えると魔石は力を高め、価値が上がるんだよ」
「てめえらッ!」
この牢に連れてこられたジケロスはそうやって弄られていたのか? そんな事の為に殺されてきたのか? 叫ぶ俺の顔面を再度髭面は蹴り上げてくる。
「恨むならせいぜい世の中を恨んで死んでくれよ?」
そう言って髭顔の男は、俺に剣を振り上げるのだった。