五章 ブルツサル エピローグ
あれから十日後。
ファニエから少し離れた城塞都市グレンポート。その遥か上空を聖鳥が優雅に旋回する。
この地にある王の離宮にて、マイシャの冠帯式が行われていた。
聖堂の最奥にしつらえた祭壇にヒェクナーが座る。
その手前に置かれた石造りの簡素な玉座に向かって、マイシャはしずしずと歩いていた。
俺はその様子をリノちゃんやグゥちゃんと一緒に、聖堂の外の窓から見守っていた。
「なぁ、これで見えるか?」
「お父さん、もうちょっと右だよ」
俺の肩の上にリノちゃんが乗り、その肩にグゥちゃんが乗るという二段肩車だ。
「こっちか?」
「うむ、良く見えるのじゃ」
俺たちの席はというと、一応あるのだが聖堂の外で儀式は全く見えない。
マガザやラクトナントカ……、名前は忘れたが学生騎士たちの席も聖堂の外にある。
俺たちは直接見たいので警備の薄い場所を見つけて、ここから盗み見ているというわけだ。
いくらマイシャの恋人だからと言って、伝統ある王家の儀式の特等席に俺の場所があるわけでもない。……それにまだ国としては非公式な恋人だしな。
リノちゃんは本来は聖堂中に席があるはずなのだが、異種族を好きになってしまった為マナフォドリーからは罪人扱いなのだ。
そんなリノちゃんをフォーナスタが国賓扱いするのはちょっと無理がある。
中央の絨毯を歩くマイシャに俺たちは見とれる。
マイシャは肩に烈女フォーナが好んだという純白のケープを纏い、ダナー家の紋の入った長い豪奢なマントを身に着けている。
マントの端を複数人の貴族の子女が摘まみ上げていた。
ギャラリーには、各領主、貴族、騎士、大商人またその妻子も参加し、聖堂内は静かな熱気にあふれていた。
各国の特使も参列している。ヴァンシュレンからはニルディス将軍が代理で出席していた。
騎士の列にはアイリュも見える。簡素なドレスの上から俺の作った鎧を身に着けていた。
本来なら、聖歌隊と儀仗兵の列をくぐるハズの式は非常に質素に行われている。
ケープの下にマイシャはドレスではなく鎧を纏っている。
烈女フォーナもそうだったのだという。
マイシャは玉座にこうべを垂れる。するとその左右に白い服装の貴族が控えた。
右隣に控えたリトン卿から、ヒェクナーの魔剣。……マフルの山刀を受け取った。
左隣に控えた別の貴族はその左腕に赤い指輪をはめる。それは王権を象徴する指輪なのだという。
最後にマイシャの前に法衣姿のレグティアが立つと王冠を掲げ、高らかに宣言する。
「聖なるかな。聖なるかな。精霊よ風と共に駆け、大地と共に眠れ。遍く全ての生よ、敬意と共に生きよ。ここにフォーナスタ王マイシャ=アル=ダナーが即位する。王に封じられ、その魂は永久にフォーナスタと共にあるだろう」
静かに頭に王冠が添えられると、マイシャは静々と玉座に着く。
だが、俺の目線の高さだと、丁度ギャラリーに阻まれてそれから先の様子が見えない。
俺は食い入るように儀式を見守る頭の上の二人に声をかけた。
「どうだ? マイシャ、綺麗か?」
「うむ、威厳に満ちているのじゃ」
「マイシャお母さん。すっごい綺麗だよ! お父さん!」
聖堂内からは即位を祝う声と祝福の讃美歌が流れ始めてきた。
「そうか、……念願かなったんだな」
そう呟くと自然と笑みがこぼれる。
ブルツサルが決闘での敗北を認めたため、古くからの礼に則り、ヒェクナーを駆るダナー家のマイシャが王位を継ぐこととなった。
レグちゃんやネーマさんの暗躍やゴリ押しがあったとはいえ、あれから数日でここまで漕ぎつけるなんて大したものだ。
レグちゃんの話では、『簡単に手玉に取れそうな小娘がリグズを倒して王位に就いた』とか、貴族連中はまだそんな感じなのだという。
これからが大変なのかもしれない。
すると後ろから人の気配がする。
「こんな所にいたのかい? 席にいないから探してたんだよ」
俺はバランスを崩しそうになるのを必死で抑え、なんとか振り向く。
そこにいるのは声の主のネーマさんだ。
「ネーマお母さん!」
一番上のグゥちゃんがはしゃぐと、またバランスが崩れそうになった。
その様子を面白そうにネーマさんは笑う。
俺はバツが悪そうにすると言い訳を始めた。実はネーマさんはここの警備を担当しているのだ。
「直に見たくてさ、グラジさんに言ったら、ここが良く見えるって案内してくれたんですよ……」
「まったく。アイツには一度よく言っておかないといけないね!」
そう言ってネーマさんは溜息をつく。
ネーマさんは黒の一色の騎士の礼装だ、肩にはリグズさんの形見の黒マントを身に着けている。
そして腰にはブルツサルの剣を帯びていた。
そう、あの後ブルツサルはネーマさんを次の主人として迎え入れたのだ。
ネーマさんは言うのだ。『ブルツサルの騎士は法で裁けない、ブルツサルが私を庇ってくれているんだ』と。
だけど誇り高い偶像騎士は遺志を継ぐ。
俺には分かる。それはきっとリグズ王を生かしていた思いなのだ。
ブルツサルを継いだネーマさんにも、それは分かっていると思う……。
俺はネーマさんの言葉に笑顔で返すと、ここ数日会えてなかったマイシャの様子を聞く事にする。
「マイシャはどうすでか? 最近連絡取れてないから心配で……」
「ん? そうだね……。凄いよ。『やっぱりミディド王の娘だ。烈女フォーナの再来だ』って評判さ」
ミディドさんの娘なのはネーマさんも同じはず。
だけどネーマさんは、自分の事のように嬉しそうに喜んでいる。
「へー、じゃ、やっぱりツンと澄まして、周りに色々テキパキ指示を飛ばしてる感じかな」
「いいや、王宮内を泣きそうになりながら、毎日子ウサギの様に駆け回ってるよ」
意外なマイシャの姿に想像が追い付かない。
「え? あの? マイシャが?」
「それでいいのさ。反対派もあの様子を見たら、自分が支持するべき人物が誰なのかを、きっとそのうち思い出すよ」
ネーマさんは微笑みながらそう話す。
「それに、誰のためにマイシャが必死になってると思ってるんだい?」
そう言いながらマイシャさんは俺の脇腹を肘でつついてくる。
「ぐぬぅ~。妬けるのじゃ~」
リノちゃんは俺の髪の毛を掴むと頭をポカポカ叩き始める。
ハハッ、痛いッ。 嫉妬するリノちゃん、超可愛いぞ?! 痛いッ。胸が押し付けられて、やわらかい……。
そんな事をしていると、反対側から神異騎士団の服を着たグラジさんが駆けてくる。
「姐さん! ここにいたんですかい? 早く戻らないと大騒ぎになっちまいやすぜ?」
でもネーマさんはグラジさんを見てあきれ顔だ。
「グラジ。その口調はやめなッ! もう騎士団に戻ったんだからさ! それに私の事は団長と呼びなッ」
「へ、へい! すいやせん! 団長ッ!」
かぶりを振ると、ネーマさんは大きくため息をつく。
そして俺に近づくと俺の耳元に唇を近づけた。
「少し落ち着いたら、ナウムへ行くよ」
そう言ってネーマさんは微笑む。
「分かった。待ってる」
もう泣いてばかりのネーマさんはいない。
能面のような顔をしたネーマさんもいない。
俺の側で笑っているネーマさんは、とても綺麗だった。
「それまで、これで大人しくしていてくれよ?」
そう言って彼女は俺の頬にキスをすると、踵を返してグラジさんと共に去っていく。
その彼女の腰には、ブルツサルの騎士剣が揺れていたのだった。