十話 祈り
俺の見つめる先には、半壊したライトタイプの上半身が、ティアレスの重力に引かれ落ちていた。
≪子機、自爆信号、受け付けません≫
ライトタイプは防衛ラインを抜け、大気圏に突入し赤熱し始める。
まだ霊子エネルギーが少量残っているのだろう、生き残りの小型次元寄生体が墜落するライトタイプを追いかけ、ティアレスの防衛ラインを突破していく。
ライトタイプはすぐに数匹の次元寄生体に取りつかれ、バラバラに引き裂かれる。
次元寄生体は新たな餌を求める為なのか、一匹、一匹と地表へ降下していった。
俺は、それを只見ているだけだった。
≪……ハジメ≫
「……なんだよ」
俺はひどく安らかな気持ちだった、何もかも、どうでもよかった。
俺の五年間は苦しかったんだと思う。それももう終わりだ……
死ぬ瞬間って、辛いとか苦しいとか言うけれど、自分の死が目の前にあって、それでこんなに安らかな気持ちならば、そんなに悪くはないな。
≪……霊子エネルギーは人と人との運命に干渉し、発生や消滅を繰り返します≫
俺は微笑んだ。でももう、だめなんだ。
「ありがとう。だけどごめんなクエリ……。実は俺にはもう随分と前から、”音”は聞こえていないんだ」
俺の心が悲鳴を上げる。
≪ミクニハジメ、あなたの未来を思い描いてください。霊子エネルギーは思いのエネルギーとも呼ばれています≫
半ばまで切り裂かれた司令官級はその巨体をくねらせシエリーゼに近づく。
≪たとえ、あなた自身の運命が既に決まっていたとしても。交差する運命の、更にその先には誰も干渉できません≫
そして、俺の”死”はその口を大きく開かせる。
≪ハジメ、私からの”さぷらいず”です。さぁ、あなたの未来を思い描いてください≫
「俺の……未来……」
俺は大きく開かれた次元寄生体の口を見つめていた。
◇ ◇ ◇
ティアレスの夜空は静けさを取り戻していた。
漆黒の宝玉を持つ白い髪の少女は、風がそよぐ平原で閃光の消えた夜の空を見上げていた。
後ろで束ねた髪がさらりと揺れる。
「白雪の賢者様。天の嘆きが消えました。終わったのでしょうか」
そう、側にいる男は語りかける。
「いいえ、まだ彼は戦っています……」
そう言葉を紡ぐと、彼女は優しく微笑み、赤い瞳を閉じると、静かに宝玉に祈りを捧げた。
◇ ◇ ◇
最近は寝ていても全身が痛んだ。
彼女は広いベッドの傍らに置いてある漆黒の宝玉を手に取ると、テラスまで痛む体に鞭打ち歩を進める。
声が聞こえるているのだ。
その声はどうしようもない悲しみであふれていた。
彼女の目はもう年齢と共にかすんでいて星は殆ど見えなかったが、見上げる夜の空は、十日ぶりに静けさを取り戻している。
女王は、静かに宝玉に祈りを捧げた。
◇ ◇ ◇
戦場の空気は酷く重い。真新しい、むせ返るような血の匂いがしていた。
大柄な緋色の甲冑に身を包む人物は、赤く燃える平原で夜の空を見上げていた。
「魔王様、宝玉をこちらに」
エルディンは漆黒の宝玉を空を見上げる人物に恭しく差し出す。
魔王と呼ばれた人物は宝玉を受け取ると、空に掲げ静かに祈りを捧げはじめた。
◇ ◇ ◇
夜の教室に制服に身を包む少女が二人、執務で残っている。
「エルディフィアが首都に帰ってしばらく経つけど、最近は落ち着いてきたのかしらね?」
「国の大事じゃからの。そうすぐ学園には帰ってこれんじゃろ、……それよりもお主には聞こえんのか?」
言われて怪訝な顔をする少女に、小柄な少女は漆黒の宝玉を取り出し優しく言葉を続ける。
「祈ろうではないか。自分一人で沢山祈り続けるより、時として他人の祈りも力になるものじゃ」
二人は漆黒の宝玉に手を添えると、静かに祈り始めた。
◇ ◇ ◇
赤髪の少女には何もなかった、自分自身すらもなかった。
それでも、自分の手の中にある漆黒の宝玉は、自分より悲痛な叫び声をあげていた。
少女は子供の頃、転んで擦りむいた時、両親に優しく頭を撫でてもらった時のことを思い出していた。
「もう、痛くないよ……?」
そう呟き宝玉をそっと撫でると、漆黒の宝玉から光の粒があふれ出す、それは夜の風に乗って空に高く舞い上がっていった。
◇ ◇ ◇
自分の心は完全に諦めていた。
心だけではない、魂も、その先の情報領域でさえ、俺の心は凍り付いていた。
なのに、なぜ、なんで?
そう思った瞬間、俺の脳裏に様々な衣装を身にまとった複数の女の子の姿が浮かびはじめた。
その姿は確かな輪郭を持ち、思い思いの表情を浮かべ、しっかりとこちらを見据えている。俺の進む未来に、確かにいる存在。
その存在に触れようと意識を伸ばすと、彼女達の意識は俺の心と一つになっていく。
心にぬくもりが染み渡り、凝り固まった気持ちがほぐれていく。
「あ……」俺は声を漏らした。
無数の星の光の様に、胸のラピスを中心に光が集まり始める。
それは暖かい霊子の光だった。その力は静かで強く強大だった。
でも今更だ、俺にはもう……。
コンッ。不意に機体に軽い衝撃が走る。モニターの画像に、先ほど捨てた大出力虚子ライフルがシエリーゼの右肩に当たったのが見えた。
『キィーン』
俺は弾けたように、操作レバーを掴む。
シエリーゼは俺の心に応えるように大出力虚子ライフルを掴み次元寄生体に向き直る。
俺は声を上げた。
「もう一度だッ! やるぞ!」
≪大出力虚子ライフル、急速充填を開始≫
俺は笑う。最初の時もこんなだったな……。
俺は見る間に規定値以上に溜まったライフルの霊子エネルギーを見て引き金を引く。
翼を失ったボロボロの騎士は、今まさに襲い掛かろうとする次元寄生体にその銀の槍を向けた。
≪大出力虚子ライフル発射します≫
漆黒のエネルギーが槍の穂先からあふれ出していく。
高い出力に耐え切れず、ライフルの基幹部が自壊する。
黒い光の奔流は指揮官級に吸い込まれていき、その巨体を内部から蝕みはじめた。
◇ ◇ ◇
俺は崩壊していく司令官級から離れ、シエリーゼをティアレスまで移動させようと操作を始める。
「まだだ、あいつらを地表に……」
≪ハジメ……≫
「ああ、分かってる。俺はもう大丈夫だ。……ありがとうクエリ。俺は一人じゃないんだな」
≪……≫
シエリーゼは微かな霊子の光を発し、その体をティアレスに変えようとするが、きらめく光はだんだん弱くなっていった。
残った俺の霊子エネルギーではシエリーゼの巨体は動かない。
シエリーゼにももう力はない。霊子の残量は空だった。後は僅かな予備動力だけだ。
「シエリーゼ、もう少しだけ頑張ってくれ。俺にはやらなくちゃならない事があるんだ」
地表へと流れる次元寄生体に目を向け、俺はパネルを操作しシエリーゼに付属している騎士タイプの大型背部スラスターを切り離した。
その反作用で大きくオービタルリングに近づく。
「クエリ、生き残りの次元寄生体はどうなった? あと他の次元寄生体の出現予兆は?」
≪生き残りは全て地表へ向かいました。出現予兆は現在ありません≫
まだ予断は許さない、まずはティアレス上空の次元寄生体を始末してからだ。
「クエリ、地表はどうなっている?」
≪はい、先行させていた惑星探査機が、各々一番近い次元寄生体の迎撃に向かっています。次元寄生体は固有反応に反応している様です≫
「固有反応?」
≪はい、特定のラピスが発する波長です。地上からの波長をハジメのラピスと誤認していると推測されます≫
「俺と同種のラピスの反応か……? 急ぐぞ」
クエリが向かわせた惑星探査機でも一、二匹くらいなら何とか対応できるだろう。
残りは俺が軌道上から小型次元寄生体を狙撃するればいい。
オービタルリングなら今のシエリーゼを安定させられるし、地上も見渡せる。
全部終われば地表に戻れる。
大きく深呼吸をしてみた。
肉体での深呼吸はいつぶりだろうか。もう何年もしてない気がするな。
コクピット周りの霊化はもう難しい、俺は念のためヘルメットを取り出すと装着した。
≪現在地表へ残存次元寄生体が降下中。敵、八体です。二番惑星探査機が目標地点に到着します≫
「わかった、惑星探査機からの情報をくれ。あとシエリーゼのカメラでの捕捉も頼む」
コクピット内のモニターの一つが、惑星探査機からの風景を映し出す。
ティアレスの上空を飛んでいる映像だ、下には街らしきものが見える。まるで世界遺産に登録されていそうな中世っぽい街並みだ。
次元寄生体の予想落下地点には石造りの屋敷らしきものが見える。
俺はその広い中庭に惑星探査機を飛行形態から人型に変形させ着陸させる。
惑星探査機は周囲をぐるりと映し出すと、目の前にはなぜか見覚えのある女の人影が見えた。周囲には衛兵だろうか、惑星探査機に槍を構える男が数人いる。
惑星探査機のカメラに映る女の子は金色の長い髪をなびかせ、ドレスを纏い、人型の惑星探査機を見上げていた。
彼女の顔が見える。
「イリス?」
そんな馬鹿な、でもあの顔立ちはイリスそっくりだ。
胸に抱いているのは、黒い球? 映像に捕捉されているデータを見るとプローブの様だ。
俺の魂が叫ぶ。あの子はイリスだと。この世界のイリスなのだと。恐らくイリスと同じ魂の霊子領域を共有する同位存在。
でも違う彼女はイリスじゃない、……そうだ彼女は戦いの最中、俺に語りかけてくれていた。
「あの子だ。俺はあの子を知っている」
俺の胸の奥に、言いようのない思いが込み上げてくる。
だけどだめだ、今はそんな場合じゃない。
通じるかは分からないが、俺は以前覚えた現地の言葉を惑星探査機を通し話しかけてみる。
『逃げろ! この場所は危険だ! 遠くに離れろ!』
通じているのだろうか。
映像の中の彼女は惑星探査機に向かって言葉を発した。でもその言葉は俺の知らない言葉だった。
だけれども彼女が発した言葉の最後の意味だけは俺にも理解できる。
「……ミクニハジメ」
彼女は俺を知っているのだ。
俺も彼女を知っている。
『大丈夫だ、さあ早く!』
彼女はその言葉を聞くと衛兵に何やら周囲に指示を出し、皆一様にその場を離れていく。
「ハッ、今度は俺がしっかりしなきゃな!」
俺は、シエリーゼの各部追加装甲を数回切り離し、反作用で軌道修正をするとオービタルリングのすぐ側まで接近した。
シエリーゼの手足の慣性を用い姿勢を制御をすると、静かにオービタルリングに取りつく。
「やるぞっ! 下半身を固定、アンカー撃ち込んでくれ」
≪はい、脚部アンカー発射。下肢関節ロックします≫
無数のアンカーがオービタルリングの外装に打ち込まれ、シエリーゼは細い鋼糸で固定された。
シエリーゼはしゃがんだ状態でティアレスの地上を見つめる。
俺は背部に折りたたんで収納してあった狙撃ライフルを取り出すと、地表に向かって構えた。
狙撃ライフルの弾頭は、小型の霊子コンデンサーが仕込んである。発射と同時に僅かな間霊化させて敵まで直進し、敵の内部を破壊する仕組みだ。
これなら大気圏内でも十分対応は可能だろう。
「まず、惑星探査機がフォローできない次元寄生体を狙撃する。クエリ、照準合わせてくれ」
俺の神経に光学センサーからの位置情報とライフルの照準、弾丸の信管が接続される。すべてを連動させ次元寄生体に向けて引き金を引き絞った。
クエリの補正もあり、次元寄生体は次々撃ち落されていく。
すると不意に視界に大きな黒い影が映った。
「あれは……?」
地表から黒い巨体が持ち上がる。雲を突き抜けてさらに空に迫る姿をシエリーゼの別のカメラがその姿を捕らえた。
なんだアレは……大きな黒い翼。”竜”か……。
その姿は俺の知っているファンタジーの黒竜にそっくりだった。
その黒竜は、口から虚子の闇を吐き出すと次元寄生体の虹光を蝕み、塵に変えていった。
≪シエリーゼと同じ、旧時代の兵器です≫
「シエリーゼとは違う霊子サーバの兵器か」
≪はい、”メガラニア”サーバとなります≫
その大きな姿に頼もしさを覚える。
俺は続けてライフルの照準を合わせると、また一匹を葬り去った。
≪次元寄生体、高層雲に突入。降下減速始めました。地表七千メートルを切ります≫
次元寄生体は雲の中に沈み、その姿は可視光では視認できなくなる。
「くそっ、残りは?」
≪あと二体です≫
黒龍は巨体をくねらせると雲の中へ沈み込み、逃げた一匹に黒い光の帯を浴びせかけた。弱った次元寄生体を口でとらえかみ砕く。
シエリーゼのレーダーから次元寄生体の反応が一つ消える。
「惑星探査機からの画像と位置情報を回してくれ。地表のは俺が操作する。」
俺は左手の操縦桿を惑星探査機を操作するタイプの物へと変える。
雲海の中では黒龍は再度体をくねらせ始め、次の獲物を捕らえようと地表の街に向かって突進していた。
くそっ、だめだ。あんな巨体が街に突進したら、地表は粉々になってしまうぞ。
あの町にはあの子がいる! 俺は思わず叫ぶ。
「やめろ! そいつは俺が仕留める!」
俺の思いが通じたのか?
黒竜は巨体をくねらせると街への着地を諦め、翼を大きくはためかせ。上昇する。
するとシエリーゼのモニターが、惑星探査機の異常を知らせた。
「くそっ、しまった。」
油断していた。俺は惑星探査機のすぐ上空まで迫っていた次元寄生体に気が付かなかった。
惑星探査機は次元寄生体の突撃を受け、大きくよろけ地面に叩き伏せられていた。
「クエリ、圧縮弾頭準備」
≪ライフル弾頭変更、完了しました≫
俺は左手で惑星探査機を操作し始める。
俺は惑星探査機を操り、着地したばかりの次元寄生体の背後に回り込むと、その胴体を両手でガッチリ捕まえる。
大きくフレームが歪んでいるが、動かないことは無い。
次元寄生体は二メートルほどの小型だ、惑星探査機は身長七メートルと対格差が違う。
惑星探査機は次元寄生体を抱えたままの姿で、地面を蹴りスラスターで上空へと高く上がっていった。
ある程度の高度に達した瞬間、俺は引き金を引く。
ドォォォンッ!
弾頭が次元寄生体の内部で弾けると、周囲十メートルほどの空間が圧縮され瞬時に小石の程の大きさになった。
瞬間的に大きな気圧差が発生し、真空を周囲の空気が補おうと大きく大気が震え破裂音を上げる。
レーダーには惑星探査機と次元寄生体の反応はもうない。
俺は息をつくと、遥か三万六千キロメートルの上空からそっと声をかける。
凍てついた俺の心に光を射してくれた彼女に。
「ありがとう……、俺は君を守るよ。きっと……、俺はいつか、君に会いに行く」
◇ ◇ ◇
大きく空が震えると。そこにはもう、神の使いと、古の化け物はいなくなっていた。
御使いは、私の前に現れたわ。
邪神の使いではなさそうね。少なくとも女の子を卑下た目で見たりはしてなかった。
神託とは印象は少し、いいえ、大分違うわね。
きっと彼は。芯があって、強くて、でも少し頼りなくて、可愛いところがあるんだと思う。
明け方の天の橋から一筋の流れ星が落ちる。
私はその星に、そっと祈りを捧げた。