十一話 黒衣の騎士①
フォーナスタの王宮内、朝焼けが差し込む議事の間にリグズと多くの家臣が集まる。
この部屋は前王の時代には円卓の議場だったが、リグズが王となってからは玉座とその他下座で分かたれた配置へと作り変えられた。
それは、この国の国家構造を端的に表していた。
つい先程、宮殿の上空を聖鳥が大きく舞い、城内の雰囲気は穏やかではない。
アーガスタ大陸では、国に新たな王が現れる時、豊穣の神レムリアからの使者として聖獣が現れるとされている。
混乱する王宮内の議事の間にて、玉座の前では家臣団が膝をつき、王が発する次の言葉を待っていた。
リグズは玉座に座り、家臣の報に耳をかたむけ、目を閉じる。
ミディド王が崩御した際、フォーナスタは大きく分裂した。
リグズは王座に就くと治世に腐心していった。
混乱する国を導くには、強く全体を引っ張っていく指導者が必要だったのだ。その為の施策をリグスは次々と打ち出していった。
しかし、平和裏に国を治めるなど到底不可能なのだとリグズが悟った時、王宮に粛清の血の雨が降った。
……だがもうそれも昔の事である。
そしてその評は消えることは無い。”リグズは狂王である”と、施政を行うたびに悪評が付きまとうのだ。
それについてはリグズは諦めていた。ただ、密告や告発を奨励し、反乱の兆候のある者は強く戒めた。
恭順する者は、例え旧王家の派閥の者でも厚遇してきた。……そのつもりであった。
家臣の報告が終わると、リグズは目を見開く。
「カルズールが裏切ったか……」
「はい、密偵からの報告にて間違いございません」
ダナー家派、マルデ家派の間を取り持っていたリトン卿の裏切りは寝耳に水だ。
今まで目をかけてきた恩を仇で返されたかと思うと、腹に据えかねる。だが今それを顔に表してしまえば、臣下に動揺が広まるだろう。
悪い話は次々に入ってくる。次に部屋に入ってきた家臣は息を切らせながら報告してきた。
「申し上げます。ヒュイークにて、メッシャーがオーヴェズに敗れたとの報が入りました」
ヒュイークは広大な王都南部を支配する領土だ。
しかし、家臣の顔色は土気色でそれだけでは無い事を示していた。
「良い、全てを話せ」
「……が、該当地域にはヴァンシュレンの赤竜騎士団が駐留している模様です」
「……そうか」
知らされてくる情報は正確ではない、ましてや緊急の情報などは非常に精度が悪い物である。
そんな情報でも離れた土地にいる者にとっては真実であり、放っておけば情報だけが独り歩きしてしまう。
情報が真実だとして、ヴァンシュレンが攻めてきた理由は簡単だ。
ナウムでの係争の調停をヴァンシュレン側にとって有利に進める材料とする為だろう。エルディフィアも喰えぬ女だ。
「メッシャーは敗れたか、オーヴェズ……。あいつの雷鳴は死んだ後も轟くのだな」
目を閉じれば、生前のエスクスの笑顔と正義感が思い起こされる。迷惑なものだ。しかし嫌いな男ではなかった。
エスクスは若かった、良くも悪くも、若さゆえに良い事と悪い事を分けていられた男だった。
「それともう一つ……。ゴダルト司祭の手配しました偶像巨人隊は全滅したとの報告です。また、包囲を抜けてヒェクナーがこちらに向かっているとの事ですが……」
ギルナスの偶像巨人は三十六騎が用意されていたと聞く。
それが一晩のうちに全滅とは、にわかに信じがたい。しかし、ヒェクナーは”常勝”の字名を持つ騎体でもある。
「……それほどまでに強いか」
ヒェクナーとオーヴェズが王都に迫っている。
ミディドとエスクス。二十年経っても二人の魂は安らぎを得ていないのだろうか。そうならば彼らが私を笑いに来ているのかもしれない。
フォーナスタに平和な新しい世界を作り出すという彼らとの約束は、二十年経った今でも果たされていないのだ。
……だが。
リグズ王は気を膨らませる。感傷に浸るような気概では”今”という現状は変えられないのだ。
腹を決めるとリグズ王は声を張り上げた。
「良く聞けッ! ヒェクナーがいかに強くとも。それは所詮過去の亡霊に過ぎない!! 人心を惑わす亡霊など、俺が叩き切ってくれるッ!」
リグズ王は玉座から勢いよく立ち上がると、傍らの騎士剣を掴む。
「城内の者に伝えよッ、聖鳥の飛来は吉兆であると! この俺が、今まさに新たな時代を切り開くのだからなッ!」
その時、次の伝令の兵が慌てて入室し、すぐさま王の眼前で膝をつく。
「申し上げますッ!! ヒェクナーが王都南方に現れたとの事です。間もなくこちらにッ!」
再度リグズは声を張り上げる。
「ならば大門を開けよッ、ブルツサルで出る!! 大陸一と呼ばれたこの俺に決闘を挑むのだ。その代価は命で払ってもらおう」
リグズはそう言うとマントを翻し、その場から供を連れ退出していく。
だが通常、王は決闘は行わない。
王の権威が揺らぐがゆえに、相手がダナー家のヒェクナーであるがゆえに、その決闘は覇者としての威信を示すためのものであった。
上手く決闘を利用されたと言っていい。仕組まれた罠に嵌っているのだと、それをリグズは痛いほどわかっていたのだった。
◇ ◇ ◇
塔の上のネーマが軟禁されている部屋。
その部屋の様子を見に来た兵士は、のぞき窓から中の様子を見る。
だが、いるはずのネーマの姿が見えないのだ。そればかりか外へつながる格子窓が外されているのが確認できた。
慌てて兵士は扉の鍵を開け中へと入り込む。
すると扉の影に隠れていたネーマはその兵士の頭に目掛け、振り上げた燭台を叩きつけようとした。
しかし兵士は、意外に素早い身のこなしで、燭台を手で受け止めてしまった。
「チッ!」
ネーマは悪態をつくが、その男の顔は知った顔だった。
フォーナスタ兵の服装で全然わからなかったが、ハルドの下に付けていたヤツの一人だ。
「あ、姐さん! アッシですぜ?!」
「なんだい。グラジじゃないか、こんな辺鄙な所なのに客が多いね。何の用だい?」
「そりゃもちろん、姐さんを逃がす手筈でさぁ」
「ハルドも来てるのかい?」
「ええ……、時間通りなら、そろそろ着くはずです。ええと、その。またやり直しやしょう」
ハルドの部下はあか抜けている奴が多い、身振り手振りを交えネーマを何とか連れ出したい様子が見て取れる。
「悪いけど、行けないのさ。さっきも断ったばかりなんだよ。だけど連れて行って欲しいところがあるんだ」
「いいですぜ? リグズさんのところでしょう?」
ネーマは驚きの表情をする。
まさか当てられるとは思わなかったし、しかも案内すると言い出したのだ。
グラジはにやにや笑って答えるように話し出す。
「ハルドさんから聞いてやす。『きっと来ないから姐さんの好きにさせてやれ』って事でさぁ。それに『大変なことになってるはずだ』って、大当たりですぜ?」
「フフッ。手間をかけるね。案内したらお前は逃げなよ?」
グラジはネーマを先導するように部屋を出ると塔内の螺旋階段を下りていく。
『ネーマさんが待ってる人はネーマさんを待ってるの?』
歩きながら先ほどのジケロスの娘、リーヴィルの言葉が頭をよぎる。
彼女の言うように、私はリグズをまだ好きなのだろうか。リグズの側にいて私は安らげているのだろうか。
それは違う。
先ほどのジケロスの娘は”それは違う”と言う事を、私に付きつけてきたのだ。
オフスと一緒に居た時間は短かったが、間違いなく人生の中で安らげた時間である事は間違いない。
そしてオフスの存在がどうしようもなく大きくなっていく。その事実が自分の中で抑えきれない程になっているのだ。
オフスのもたらす安らぎに逃げている自分がいるのだ。
だから、その安らぎを逃すまいと、他の女の前で一芝居を打ったのだ。
自分でもあさましい女だと思う。
「クソッ」
悪態をつくと、再度リーヴィルの言葉が頭をよぎる。
『ネーマさんはネーマさん自身になる責任があるんだ』
そうだ、私は私で出来る事をやらなきゃいけない。
「とにかく、もう色々まっぴらだ、さっさと……」
そう言って、言葉を区切る。
ここから先の言葉を口に出してしまえば、後戻りはできない。
「さっさと、リグズに会いに行かなきゃ……」
矛盾していると思う。
だが、ブルツサルの前で誓ったあの思いは本物であったのだ。
もう一度自分の気持ちを確かめたい。まだ間に合うかもしれない。
リグズの性格なら決闘を受けるだろう。リグズに会いたいのなら、ブルツサルのいる王の玉座の間に急げばいい。
とにかくリグズとここから逃げよう。逃走用の資金はアーガスタ大陸のあちこちに隠してある。二人でしばらく逃げるなら問題ないだろう。
そして失くした時間を取り戻せれば、きっと昔のリグズに戻ってくれるかもしれない。グラジの言うように、まだやり直せるかもしれない。
「王座や騎士なんて捨てちまえばいいのに……。男なんて、カッコつけてばかりで、ただの馬鹿じゃないか……」
「姐さん、弱気はいけませんぜ?」
「大丈夫だよ、お前たちがまだいるんだ。死ぬつもりはないさ」
そう言うと、ネーマは涙をぬぐい、ブルツサルの待つ王の玉座の間へ急いだのだった。
◇ ◇ ◇
リグズは、神異騎士団の礼装である黒衣を身にまとい、王の玉座の間へと一人現れる。
そして、愛騎であるブルツサルの前までやってくると、独り言のように呟いた。
「これで良かったのだろうか? これからと言う時に……」
ここまで国の体制にヒビが入ってしまえば、もし決闘に勝利したとしても、再度まとめ直すのは容易ではないだろう。
手駒の神異騎士団は、ナウム攻略に失敗し大きくその力を落としてしまっている。
見上げるブルツサルの瞳は悲しげだった。
「そうか……、これが結末なのだな」
この状況で各地の領主が隆起すればフォーナスタは簡単に分裂するだろう。それは新たな戦乱を招くことを意味する。
そしてギルナスに大きく付け込むスキを与えてしまうのだ。
ままならない国政、纏まらない意思決定。民の為に、と行ってきた数々の改革は、庶民が利益をむさぼる既得権益を増長させるに過ぎなかった。
そのような利権は経済のよどみを作り、国と言う体に通貨と言う名の血液が循環しなくなる。
ギルナスからの輸血に頼った際、その血液に毒が混じっている事に気付きさえしなかったのだ。
今更、自問自答しても始まらない。
そう思いながらブルツサルを見つめ、鼻先で笑ってみる。
すると、王の玉座の間に幾つかの足音が響いてくる。
ここに入れるのは、わずかな者しかないない。そしてこの足音には聞き覚えがあった。
「ゴダルト司祭か?」
振り返れば、複数のヒューマン兵と共にゴルダト司祭が室内に入ってくるところだった。
「ギルナスへ一時帰国するため、ご挨拶に伺いました」
「昨日の今日で気が変わったかな? 挨拶とは随分律儀なものだな」
そう邪険に声をかけるが、司祭は笑顔を絶やさない。
既に城から逃亡する者も出ているのだ。そのような状況でヒューマンの司祭が挨拶も何もないだろう。
「戦装束の王へ、勝利をご祈願致したく」
「ヒューマンの神は他種族に祝福を与えるのか? フンッ。聞いたことが無いな」
「いえいえ、滅相もございません。右手をご覧ください」
王の玉座の間には何体もの作成途中の重偶像巨人が安置されている。
それらは全て、ブルツサルを模したものだ。
その内の一体である、ほぼ完成品を司祭は指さしていた。
「こちらの重偶像巨人は最新型です。新しいカラクリも搭載しています。調整も済んでおります故。是非、王自らお試しくださいませ」
「嫌味を言うようになったものだな」
そう言ってため息をつく。
所詮ヒューマンでは、戦におもむく事の矜持など、理解できぬものなのだろう。
「せっかくの好意だがな。決闘で重偶像巨人はやはり好まんよ。ブルツサルを使う」
「おやおや。一国の王とあろうお方が臆病風にでも吹かれましたかな?」
異を唱えると、司祭はこちらを煽る様に語気に陰を含ませてきた。
それを無視するかのように言葉を返す。
「王とは重責であるのでな、戦いにはせめて騎士として赴くのだよ」
すると両脇に控えていた兵士たちが、腰に差してある短い杖を取り出す。
それはヒューマンの技術で作られた”銃”と言うものであった。
「なんのマネだ? そのようなものは意味がないぞ?」
「我々としては新たな重偶像巨人の実戦データが欲しいのですよ。それに相手はヒェクナー。これほどまでに好材料は御座いません」
「やはりヒューマンは技術を盗む事しかできんか」
向けられた”銃”は、先の大戦で大いに苦しめられた兵器だ。
しかし湿気や劣悪な環境に弱く、防御用の携帯魔法陣や魔術の発達により、現在ではほぼ脅威とはみなされなくなっている。
「聞き捨てなりませんね……」
司祭の指示で兵士が銃を発射すると、辺りに銃声が響き渡る。
殺意の伴わない、ただ引き金を引くというだけの行為、それだけでいったいどれほどの同胞が倒れて行ったというのか。
目の前の空中で、速度を失った銃弾が空中に浮かぶ様子を見ながら、リグズは二十年前の惨劇を思い出していた。
「ゴダルト。ヒューマンと丸腰で相対しているとでも思ったか? 鉛玉などで我々エランゼは倒せん」
遅れて司祭も銃を取り出すと、そのままリグズに引き金を引き絞る。
すると放たれた弾丸は、魔力の障壁当たった瞬間虹色の煌めきを発し、障壁を破るとリグズの腹に吸い込まれていった。
たまらず、リグズは膝をつく
「グッ」
「やはり……、神の加護を受けた物質ならば、魔力の障壁を破るのは簡単でありました……!」
ゴダルトは感極まったように声をあげる。
リグズは撃たれた腹に手を当てると、気づかれないように治癒の呪文を唱えた。
呪文が効果を発揮するまで時間を稼がなくてはならない。
「妖精の鱗粉か……」
「その! 通りです! この国の技術者は様々な応用を提案してくれました」
司祭の笑みは、狂気に彩られているかのように、一層歪んでいく。
普通なら少しの間を置けば傷は塞がっていくはず、だが治癒の呪文が発揮された様子が無い。
腹の傷は致命傷には遠いが、逆に徐々に悪化していくようにさえも思える。
これも妖精の鱗粉の仕業なのだろうかと思うと、リグズに焦りが生まれてきた。
「……フォーナスタとの盟約はどうするのだ。司祭の一存で決められまい」
「そのような物は始めからございません。我々の神は下等な魔物との契約を忌諱しておりますが故に」
司祭は”銃”に弾を込め直すと、再度リグズにその先を向ける。
「貴重な成果となりました。貴方ほど高次に障壁を張れる検体はございません。これで東部戦線も優位に運べる事でしょう。この弾はあなた方悪魔相手に過ぎた祝福です」
リグズは剣を抜き放つと、一呼吸もたたず司祭との距離を詰め必殺の剣を振るう。剛剣法最上位の”裏門”、しかも大陸一と呼ばれる剣の太刀筋だ。
しかしその剣先は魔力の障壁に阻まれ司祭までは届かなかった。防ぐ障壁は幾重にも展開しており、非常に高度な術式であるようだった。
「丸腰で、エランゼなどと相対しているとお思いか?」
司祭は不敵の笑みを浮かべ、向けていた銃の引き金を引き絞る。乾いた銃声と共に弾丸はリグズの胸を貫いた。
その時、玉座に座るブルツサルの方から声がかかる。
「リグズ! 逃げるんだよッ」
振り返ると、座るブルツサルの肩付近、巨大な玉座の隠し通路からネーマが顔を出して叫んでいるところだった。
リグズは地面を強く蹴ると、魔術を併用し高く跳躍する。
ネーマが顔を出す隠し通路の入り口までたどり着くと、リグズは鋭く叫ぶ!
「ブルツサルよッ!!」
その声に応えるように、玉座からブルツサルはゆっくりと立ち上がり始める。
そしてゆっくりと足をあげるとヒューマン目掛けて、ドシンと強く踏み鳴らした。
その鈍い動きでは、ヒューマンを踏みつぶすことはできない。だが石畳が砕け、周りには土埃が舞い視界を塞いでいった。
リグスはネーマを抱えると、ブルツサルの肩に飛び乗る。そしてブルツサルがハッチを開けると、滑り込むようにその中に入り込んでいった。
操縦席に座り込むとネーマはリグスがベッタリと濡れているのが分かった。それは赤い色をしていた。
「リグズ! 血が……」
「かまわん。だが、……惨めなものだな」
言葉と共に、口の端から血の泡が吹きこぼれる。
魔剣を足元に差し込むと、ブルツサルは腹の奥から声をあげるかのように、動力炉を震わせた。
クォォォン……。
「そうだな、その答えを知っている者が、近くまで来ているか」
土埃の舞う王の玉座の間にはうっすらと朝日が差し込んでいた。
その外からは、ヒェクナーを駆る者の名乗りが、聞こえて来ていたのであった。
2021/4/7 誤字修正しました
2021/4/14 誤字修正しました