十話 夜明けの希望①
月夜に雲が陰る。
ゴルダの種を手に持ったまま、刹那の時間、俺はまどろんでいた。
やはり、王都近郊ともなると敵の追撃が激しい。
偶像騎士の脚力で追撃を躱しながら王都を目指してきたが、周囲に追手が無い事を確認できた頃には、夜半が過ぎていたのだ。
リーヴィルは勿論だが、マガザも体力の限界に近い。何より疲労では顔色一つ変えないマイシャが眉間にシワを寄せているのだ。
手に持った作り置きのゴルダの種を剥くと、胃に負担を駆けないように、少量づつこまめに食べる。食事中皆無言だ。
適当な森の中に身を置いているが、ヒェクナーも、オルワントもここならしばらくは安全だと告げている。
食事が終わると、言葉少なに皆操縦席へ引きこもり、早々に仮眠を取りはじめる。
操縦席に腰掛けると大きく息を吐く。複座のリーヴィルは、もうすでに寝息を立てていた。
もう王都までは目と鼻の先だ。……ついにここまで来たんだ。これが終われば少しだけ平和が訪れる。
明日、遅くても明後日には、色んな事が解決してるだろう。その頃には、こんな辛い事もあったよね。なんて話もしてるかもしれない。
胸に吸い込むフォーナスタの空気は、ナウムとは違う。その地域独特の土や風の匂いがするのだ。
まどろみながら、最初に俺がこの星にやって来たのはフォーナスタだった事を思い出す。
朽ちたオーヴェズとの出会い、アイリュとの出会い、イーブレ村での出来事……。そういえばアイリュの家のご飯。美味しかったよな……。
色々な事があった……。ピンチも耳鳴りでなんとか凌いできたし……。
意識がスゥっと眠りに落ちる。……山獣が出て来た時、ガナドーさんが俺に教えてくれた言葉が、不意に頭をよぎった。
『キーン』
耳鳴りと共に目を大きく見開く、思い出した言葉は……。『罠は引っかかる様に作ってあるからな』だった。
「クッソッォ!!!」
俺は跳ね起きると、疲れた体を奮い立たせクエリを呼び覚ます。
『クエリ! シエリーゼを起動させろ! この周囲を徹底的に調べるんだ!』
≪はい。ご主人様。現在起動中です≫
俺はすぐに複座で眠るリーヴィルを揺り起こす。
「ん……? ごはん?」
まだ寝ぼけているようだ。だがあまり時間はない。
「違うッ。リーヴィル。何か感じないか?」
「ん……」
俺の剣幕に押され、目を閉じる。
すると今度は、不安げに目を見開いた。
「なんにも……。なんにも感じない!」
「やっぱりか……」
すると俺のラピスに、周囲の状況が情報として流れ込んでくる。
俺達の潜む森はそれほど大きくない、その周囲はすでに人影に囲まれていた。数機の偶像騎士の騎影も見て取れる。
魔法使いらしき人影も見える。森全体に何かしらの陣を引いているような雰囲気だ。
夜間でありながら周囲数キロ圏内は、松明を掲げ、森に集結しようとする人員や偶像騎士があちらこちに見られた。
ビリビリとした感覚が俺の背筋を走る。
それは、長く、長く感じていなかった、生と死の境界線だ。
頭の芯が冷たい氷水に浸されたように冴えてくる。
鬼ごっこは、もうここで終わりなのだ。
食われないようにするには、牙を剥くしかない。
俺は、ブルツサルの動力炉を起動させ。剣を抜き盾を装備する。
その音に気が付いたのか、ヒェクナーからマイシャの声が聞こえてきた。
同時にオルワントも起動し始める。
「どうしましたの?」
「敵だ、もう囲まれている。偶像騎士やリーヴィルの感覚が狂わされてるようだ」
「こんな夜中に敵か? まぁ、敵なら全部蹴散らしゃいいんだろ?!」
オルワントからもマガザの声が聞こえてきた。
気楽そうなマガザの声とは対照的に、俺の背にビリビリと走る感覚は、紛れもない戦場の感覚だ。
このまま懐かしさと共に生と死の狭間に身を投じてしまいたくなる。……だけどそれじゃだめなんだ。
よく考えろ! 俺はもう一人で戦っている訳じゃないんだ。大切な仲間がいるんだ!
左目を覆う仮面に触れると、自分が今生きている事が実感できる。
俺がみんなの為に生きている事が実感できる。
迷ったら死ぬ。俺だけ死ぬのならまだいい。目的も達成できずに全滅なんてのは最悪だ。戦って勝たなきゃいけない。
俺たちにとって勝利ってなんだ? 単純に考えるんだ。複雑に考えれば失敗する。
俺が望む事は、……ネーマさんの確保と、王都でオリジナルのブルツサルに勝利する事。
何だ簡単じゃないか。二つしかない。
いや、もう一つあるな。あくまで俺たちは決闘に来ているんだ。
戦争のスマートな解決方法として、俺は偶像騎士での決闘を望んでいるのだ。
殺戮を繰り広げてしまっては、ナウムの二の前になる。それだけは避けたい。
俺は思いついた結論をすぐに実行に移す。
ブルツサルをヒェクナーの隣まで移動させ、ハッチを開放した。
「リーヴィル。ヒェクナーに乗ってマイシャと一緒に先に行け。君の”良く見える目”を使ってヒェクナーをファニエまで案内するんだ」
「おふす……」
リーヴィルは俺の心に触れたのか、涙目だった。
この囲いを突破するのは容易ではない。まとまって逃げたら一網打尽だろう。
ここで一度別れる必要がある。
「夜が明けたらお友達を呼べ。そしてネーマさんを見つけるんだ」
「ダメだよ。またオフス、一人で頑張ろうとしてる」
「そんなことないさ、リーヴィルにしか出来ない事があるんだ。頼んだぜ」
それが俺の本心なのを感じ取ると、リーヴィルは小さく頷いてヒェクナーに乗り移ろうとする。
ヒェクナーのハッチが開いて、マイシャがリーヴィルを迎え入れた。
「オフス……」
マイシャが心配そうにこちらを見ていた。
「俺たちが着くまでにリグズ王との決着をつけておいてくれ。これもマイシャしかできないぜ?」
「納得できませんけど。……仕方ありませんわね」
オルワントがブルツサルに近づいてくる。
「俺はどうするんだ?」
「マガザは俺に付き合え」
「おうよ! 間近でお前の強さが見れるなんて、俺は何て運がいいんだ!」
何か勘違いしているようだが、今はその方が幸せかもしれない。
まだ実戦の怖さをマガザは知らないのだ。
「俺とマガザが飛び出して二十数えたら、マイシャは王都を目指せ!」
「分かりましたわ」
マイシャはいつもツンツンしているけど、実は結構聞き分けいいよな。
「頼んだぞ。……やっぱりマイシャはいい女だな」
「フンッ。当然ですわ。オフスこそ戦いで男をあげて来なさい!」
「ハハッ。厳しいね」
皆武器を構えると、それぞれの騎体が唸り声を上げ始める。
ブルツサルをオルワントの横につける。
「行くぞ、マガザ」
「なぁ、作戦ってあるんだろうな?」
「もちろん! って言いたいけど。この状況じゃあな」
「ケッ! やっぱり貧乏クジかよ。付いて来て損したぜ」
そう言うマガザの声はちっとも嫌そうに聞こえない。これからの出来事にウキウキしているようにも思える。
「……とりあえずバラバラに逃げるんだ、少し経ったら王都に進路を変えろ。方向は分かるな?」
「当たり前だ、周りの山の形で位置と方向は分かる」
「分かった。戦おうとするなよ? 多勢に無勢だ。あとはマガザの運次第だぜ。生き残れッ」
「強くなる男がこんな所で死ぬかってんだ! 俺の案内が無いからって言って、お前こそ迷子になるなよ!」
ブルツサルとオルワントは各々別の方向へ大きく跳躍すると、暗い森を飛び出した。
森を飛び出ると目の前には巨体が膝をついている。駐騎状態の偶像巨人だった。
とりあえず体当たりで蹴散らし、そのまま囲いを抜けて走り去ろうとする。
周りを見渡すと、森の外はまるで戦が始まる前の戦場の様子だった。
かがり火が炊かれ、陣が築かれ、幾重にも人や偶像巨人の包囲網が作られている。
まだ陣は完成していない、俺たちは先手を取れたのだ。相手は奇襲を仕掛けようとしていたのだろう。
ビリビリとした戦場の空気が俺の背筋を駆けめぐり、懐かしさが込み上げてくる。……だけど戦うのは、今じゃない。
俺はブルツサルを跳躍させると、人の少ない包囲網の切れ目を狙い突撃をかけた。
相手も油断していたのだろう。いきなり魔法や弩は飛んでは来ない。
戦場全体が俺とマガザに気を取られた瞬間、森からヒェクナーが飛び出してくる。
俺は一瞬だけ足を止め、戦場の注目を集めた。囮が一番重要なときに逃げてしまっては意味が無いのだ。
ブルツサルめがけて魔法の火球が飛んでくる。盾を構え魔力を盾に集中させると、ねじ伏せるように魔力の爆発をはじく。
対偶像騎士用の魔法なのだろうか。非常に大きな爆発が巻き起こるが盾はびくともしていない。
二つの動力炉を稼働せているブルツサルの魔力出力は高い。分かってさえいれば、この程度の攻撃なら全く問題はなかった。
位置情報に注意を向けるがヒェクナーは順調に移動している。針路上に障害はなさそうだ。オルワントも脱出できている。
するとまわりに駐騎されていた偶像巨人が起動し始めてきた。搭乗者が乗り込んだのだろうか。
そろそろ逃げなきゃだめだな……。
俺はなるべく敵の注意を引きつけながら、その場を撤退していったのだった。
◇ ◇ ◇
俺は敵を十分に引き付けた後、脚力で振り切る。
偶像巨人と重偶像巨人では歩幅も脚力も全く違う。しばらく全速力を出すと敵は悠々引きはがせた。
いや……、俺のブルツサルは重偶像巨人じゃないな。相手から見れば魂の無い重偶像巨人に違いない。
追手がいない事を確認すると、進路を王都へ向ける。
もう少しすれば空が明るくなり始めるのだが、夜明け前が一番暗い。しかも空には雲が陰り、星も見えなくなっている。シエリーゼからの信号だけが針路の頼りだった。
マイシャとマガザはどうなったんだ?
余裕が生まれたため、再度シエリーゼからヒェクナーとオルワントの位置を確認する。
ヒェクナーの踏破ルートはリーヴィルがナビゲートしているのもあり、的確に敵陣を避け王都まで最短距離を進んでいた。
問題はオルワントの方だ、上空の映像からは敵陣に突っ込み、その場から一目散に退散している様子が見て取れる。
いい囮役になっていると言えば聞こえはいいが、今向かっている先は逃げて来たハズの森の方だった。
「クソッ!! マガザのやつ何やってるんだッ?!」
オルワントが”瞬足”でなければ、今頃オルワントは敵に捕まりバラバラになってしまっているだろう。
しかしマズイ。オルワントが逃げる先には、先ほどの偶像巨人の部隊が迫ってきているのだ。
このままだと敵陣の真ん中につっこんでしまう。
「マガザの奴、暗すぎて周囲の地形が分からないのか」
パニックになっているのもあるのだろう。俺も宇宙で経験がある。
俺はブルツサルの足を止めると。向きを変えマガザのいる方向へ走り出したのだった。
◇ ◇ ◇
暗がりを疾走すると、先方にうっすらと騎影が確認できる。
位置情報からしてマガザだ。オルワントは剣を抜き、闇雲に偶像巨人へ切りかかって行く所だった。
俺はブルツサルに盾を構えさせ、交戦している偶像騎士に体当たりをすると、オルワントの前に回り込む。
「おッ、おおお! オフスッゥ!」
「マガザ! こっちだ! ついて来い」
周囲からは、この場所に向けて偶像巨人が続々と集まってきていた。
二十騎? いや、もっといるか?
俺は周囲の敵を剣の峰と盾で叩き伏せる。
ブルツサルはこう見えても八メートルはある重偶像騎士並みの大きさだ。六メートル足らずの偶像巨人にはパワーで大きく勝っている。
相手の偶像巨人から声が聞こえる。それは聞き取りにくい声色で、所々しゃがれている。俺の知っている言語じゃない。
だけど聞き覚えならある。毎夜リーヴィルからヒューマンの話を聞いている時、彼女が泣きながら教えてくれた言語だった。
「フォーナスタの騎士じゃなくって。クソッたれな連中が乗ってるのかよッ」
俺は囲っている敵を地面に叩き伏せる。が、次から次へと敵の騎体は絶えない。
しかも、マガザは恐慌状態だ。
オルワントの脚力なら、この場から逃げるのなんて本当は簡単なはずだ。
「おい! マガザ! しっかりしろ!」
続けてやってくる偶像巨人の剣を盾で受ける。
「クソッ。数が多すぎるな……」
「も、もうダメだ……ッ、死んじまう!!」
「死ぬ気になれば何でもできる! 諦めるなッ」
振り向きざま、マガザを狙う偶像巨人を蹴り倒した。
「ヒッ。ひぃぃッ……」
「落ち着けマガザッ! お前にはオルワントがついてるだろうッ」
バラバラに突撃したのでは勝てないと分かったのか、偶像巨人たちは周囲を包囲しはじめる。
先程の声のヤツは隊長か何かだったのだろう。
連中の動きが良くなってきていた。
「マガザ。こんな風に囲まれた時の作戦って知ってるか?」
「フザケんな! んなの知らねぇよ!」
「ついて来いマガザ。中央突破だ!」
周囲から一斉に飛びかかって来たら、流石にひとたまりもない。
だけど、飛びかかってくる前にこっちから仕掛ければ、一対一に近くなる。
「ああ、もう! クソッ。……か、神様ッ!」
俺の後をオルワントは必死について来ていた。
俺はブルツサルを駆使し、敵の囲いに突撃する。
数騎を蹴散らすと、もう少しで囲いを抜けるところまで走り抜ける。
しかし、精神的に立ち直り切れていないマガザのオルワントに偶像巨人が切りかかってきた。
間に合わない! そう思った瞬間。俺は剣を翻し、その偶像巨人を切り伏せる。
そいつは簡単に倒れ動かなくなる。
が、様子が変だ。
「やった! 抜けたぜッ」
「そのまま走れッ! マガザ!! ヒェクナーを頼むッ」
俺の切り伏せた偶像巨人は、切り裂かれた腰辺りの動力部分から、虹色の煌めきを発し始めているのだ。
「クソッ。こんな物作りやがって」
トートが暴走させたブルツサルの時と同じ現象だ。ナウムの街を襲ったフォーナスタの偶像巨人じゃない。
このままだと、偶像巨人が浸食されて次元寄生体が顕現しちまうぞ?!
「止まるな! いいから行けッ 日が昇る。もう道は分かるハズだ」
マガザは俺の言葉にオルワントの足を止める。
「ヒッ……。ぐぅッ」
マガザは言いかけた言葉を飲み込む。
「王の重偶像騎士は偶像騎士を同伴して王都へ入るんだろ?」
すると、オルワントは何か言いたげな雰囲気を残し、俺に背を向け王都に向かって走り出していった。
「マガザ。お前は実際、運がいいよ……」
そう言うと俺は敵に向き直る。
戦いに良いも悪いも無い。
俺が扱うのは魂の無い偶像巨人だ。仕組みは違うが相手の騎体と変わらない。
少なくとも誇りを賭けて戦うだけの正義など、偶像巨人やこいつらヒューマン共には無い。
綺麗事が言ってられないのなら。
……それを引き受けるのは、俺の乗るブルツサルが相応しいじゃあないか。
「もともと貧乏クジは、俺が引いてたんだよな」
空は白み始めている。
俺は一人呟くと、囲んでいる偶像巨人を睨みつけ、ブルツサルに剣を構えさせたのだった。