九話 騎士②
信頼できる二人の部下と共に、薄暗いファニエの王宮内を歩く。王宮内と言っても巧妙に隠された細い隠し通路だ。
「姐さん。こっちです」
部下に案内され、先に進んでいく。
主は違うがここは私が子供のころから生まれ育った城だ、抜け道から魔力的な死角まで何でも知っている。
ただここ最近は見慣れない魔法式が王宮内に張り巡らされているのが分かっている。
王宮地下の魔力流を汲み上げ、精霊を召喚する式によく似ているのだが、巨大すぎる魔法式なので抜け道を通るだけの私には理解できないでいる。
そんな事を考えていると、先頭を歩く部下が声をかけてきた。
「リグズ王は、新たな仕事を姐さんに頼みたいと言う事ですが……」
それが本当かどうかなんて、会って確かめればいい事だ。
私はリグズに呼び出されるたびにこの通路を通って城内に忍んでいた。
お互いの愛を確かめるために。
今となってはそれも自分の本心なのか分からない。
……なら、今ここに来た理由は何なのだろう。
私を裏切った、リグズに復讐する為だろうか? いや違う。
歪ではあるが、それなりに楽しくやって来たナウムをメチャメチャにされた為か? これも違う。
ここまで考え本当の理由に気が付くと、自分の冷静さが自分で嫌になった。
ここまで来た理由は。私がまだリグズに捨てられていないと思いたい為なのだ。
そして私の最後の冷静さは、この先に行くのは危険であると告げているのだ。
「フンッ。今更だね」
そう言って笑う。
部下は何も答えない、無駄口を叩かないように教育したのもつまらないものだ。
ハルドがいてくれたら少しは状況もマシだったかもしれない。
そう思うと何故だか無性に可笑しくなるのだ。
「……少し寄り道するよ」
「待ってください! リグズ王の自室で待つようにとの事です」
部下は止めるが私はかまわない。細い脇道にそれると地下への階段を降り始める。
それは城を攻められた王が、王家の偶像騎士へとたどり着くための秘密の抜け道だ。
王家の偶像騎士の鎮座する神聖なる場所。ブルツサルの座る王家の玉座の間につながる道だった。
そこには私とリグズが愛を誓った時の証人がいるのだ。
リグズの心が曇っていたとしても、偶像騎士の心は決して曇らない。故に騎士は愛騎の前にて永遠の愛を誓う。
突き当りにたどり着くと目の前の壁から微かな光が漏れる。その隙間から外の様子を見るが特に問題はなさそうだ。
隙間に手を入れカラクリを横にずらすと、重そうな壁が回転しはじめる。思えばここに足を踏み入れるのは二十年ぶりだ。
ここを出れば、ブルツサルが座る巨大な玉座の真上に出る。
暗がりからいきなり明るい場所に出た為に、一瞬目がくらむ。
だがそこは、私の知っている神聖な玉座の間では無かった。
「なんだい、これは?」
見た光景に、そう声を絞り出す。
足元に見える巨大な玉座に座るのは、まぎれもなくブルツサルだ。
しかし、その両脇には整列するように幾つもの作りかけの重偶像巨人と思しき骨組みがいくつも立ち並んでいるのだ。
それらはブルツサルを模した姿をしていた。中にはほぼ完成した物も見受けられる。
「ブルツサルがこんなに? 建造途中のもある。……ここは重偶像巨人の工場になってるのか?!」
部下に助けられながら、巨大な玉座を伝い地上に降り立つと、不意に後ろから足音が聞こえてくる。
「ネーマ、久しぶりだな。大人しく部屋で待っていればいいものを。俺以外に見つかると面倒なのだぞ?」
その声に振り向く。だが懐かしさは感じられない。
二人の部下が私を守る様に前に出る。
聞きなれた声だ。寂しい時には私をいつも勇気づけてくれたハズの声だった。
「リグズ! お前! これはどういう事なんだい?! ブルツサルのコピーは一騎だけじゃないのか?!」
「……力が必要なのだよ」
私の声に、リグズは変わらない声色で答える。
「なっ?! 何を言っているんだ?」
ただ、その答えは昔の彼からは考えられないような答えだった。
彼が望むものは、目の前の鉄の人形だと言う事を肯定しているのだ。
高潔なハズの黒衣の騎士、神異騎士団の栄光たる騎士。
私が望んでいたそんな男は、もしかしたら最初からいなかったのかも知れない。
そう思うと涙があふれてくる。
「そんなお前の言葉を勘違いして、トートはあんな風になっちまったんじゃないか!」
八つ当たりのように叫び散らす。
トートはリグズの亡くなった前妻の連れ子だ。
最初はトートを自分の子のように接しようとしたが、懐かなかったという苦い思い出がある。
そんなトートは私を恨んでさえしていた。幼かったトートにとってはそれも真実なのだろう。
「母親がいないと言うのは難しいものだ、俺が教えられるのは剣技しかない。甘やかしすぎたのだよ」
「お前の目は節穴かい? トートは力に溺れてるんだよ!」
「そうかもしれないな。このような俺でも、親だからな」
そう言うと、リグズは少し気を抜いた雰囲気を見せる。
長年側にいる私にはわかる。これはリグズの得意技だ。相手を油断させる剣技の延長線上に過ぎない。
「ネーマ。世間が落ち着くまでしばらく休むと良い」
「もう少し、いたわりの言葉をかけてもらえると思ったケドね」
「その言葉がお前には必要か?」
「フン。過去を悔い、心変わりしているかと思ったんだよ」
その言葉を口に出すと、なんだか色々な事がどうでも良くなってきた。
「俺は変わっていないよ、今も、昔もな」
「こんなモノをいくつも作りやがって」
そう言って、オリジナルのブルツサルを見上げる。
声は上げないが、何かをブルツサルは語っているかのようだった。
「ブルツサルは貴重な検体となってくれているのだよ。改変には犠牲と礎が必要なのだ」
「いいや、気が付いていないだけさ!」
不意にブルツサルの心が流れ込んでくる気がする。
私も、ブルツサルも、王としてではなく、この男に自分の意思で生きていて欲しいのだ。
この男は王の器ではないのだ。
リグズは王としての器の限界をすでに超えているのだ。
一瞬だけだが、ブルツサルと心が繋がっていた。
ブルツサルも、私も、とても孤独だった。
「黒衣の騎士が聞いてあきれるよ! 何が大陸一の神異騎士団だ! 何が大陸一の剣士だいッ」
「ネーマ落ち着け。お前の価値は俺が一番よく知っている」
「価値?! どうせ悪だくみが上手いって言うんだろ……?」
「その通りだが、自分を卑下するのは良くないな」
「クソッ。それしか言葉は出てこないって訳かい! オフスならそんな事は言わない!」
咄嗟にリグズを締めあげようと前に出る。
すると両脇にいた部下たちが、私の両腕を押さえつけた。
それは、私を諫める為ではなく、私の行動を封じ込めるための行動だった。
「まさか! お前たちまでッ!?」
「ここでそれを明かすつもりはなかった。神異騎士団員をお前に付けていたのには、意味があると言う事だよ」
「クソッ!!」
最初から、この男は私を信用していないのだ。
やっぱり私は、この男の道具に過ぎなかったのだ。
「憧れだけが強過ぎていたんだよ。俺も、君もな」
「あんたって男はッァ! そんな小さな事を言う奴だったのかいッ?! 見損なったよッ」
そこへ後ろの入り口から二人の男が現れる。
二人とも見慣れない衣装を身にまとい、その目には白目は無く、黒く塗りつぶされていた。
片方の男は剣を帯び、顔に大きく傷がついている。もう一人は、法衣に錫杖を携えていた。
この二人の男はヒューマンだ。しかもこの衣装は、ヒューマンの騎士と神職に違いない。
二人はリグズに向かって恭しく礼をする。
「ま、まさか! 王宮にヒューマンの司祭を招いていたのか?」
そう声を絞り出すが、リグズは問いに答えない。
「連れて行け、丁寧に扱うのだ」
リグズは既に私を見てらず、元部下だった者に命令するだけだったのだ。
◇ ◇ ◇
うなだれたまま連れて行かれるネーマをリグズは見送る。
ネーマは社会の裏面に触れ、表面上変わっていったが、彼女の本質は昔と何も変わっていない。
国の為とはいえ、その心を利用しているリグズに後悔の念が沸き起こる。
この騒ぎが収まったら、ネーマを自由にさせてあげよう。
そう思う。
まだ彼女は五十だ、リグズと同じ二百まで生きれば、きっと今見ている悪夢も、思い出に変わってくれるだろう。
「……オフスか」
先程ネーマが口に出したオフスと言う名前に思いを巡らせる。
確かトートを下した剣士と言う報告を受けている。偶像鍛冶師の腕もあると言う事で、ネーマが生かさず殺さずナウムで飼っていたハズだ。
もしかしたら情でも移ったのかもしれない。強い男に女は惹かれるものだ。
「私などに気を遣わず、懐旧の情をあたためてはいかがでしたか?」
ヒューマンの司祭が流暢な共通語で話しかけてくる。
「気など使っておらんよ、ゴダルト司祭。それで? 何用だ?」
「ヒェクナーと、我々が貸し与えたブルツサルが王都に迫っていると聞き及びました」
「そのようだな」
「他人事ですな?」
ヒューマンは肉体的、魔力的には我々と比べ大きく劣る。足元にも及ばないような存在だ。
ただ、その頭脳は非常に明晰であることは確かだった。狂気に満ちていると言ってもいい。
リグズは言葉の切り返しを丁寧に探していく。
「元はと言えば、その試作品に欠陥があった事が問題ではないのか?」
「乗り手の練度の問題でしょう。精神に感応する技術は疑いようがなく完成されています」
「愚息ではあるがトートの剣の腕は確かだ。機械のみが完璧であっても人の技を再現できないのは問題ではないのか?」
「そもそも、人と機械は相容れないものでございます。王よ……」
恭しく首を垂れる二人に、リグズは溜息をつく。
リグズは偶像騎士を機械などと思った事は無かった。
しかしヒューマンの考え方は違うのだ。
「そのような話は聞きたくないな」
「申し訳ございません。ナウム地下遺跡に眠るという遺失技術さえ手に入れば、”人工クエリ”の開発にも進展が見られるのですが」
「その為の犠牲は払う。俺が求めるのは、民をまとめ上げる為の力だ」
その言葉を聞くとゴダルトと呼ばれた司祭は満面の笑みを浮かべる。
「ええ、そうですとも。過去の過ちを打ち消し、世を盤石とし、未来に光を導くには力が必要となります」
「その通りだ、力が必要だ。頼むぞ司祭殿」
ヒューマンは今までに侵略した種族や国々の技術を含蓄している。
そしてその知恵と技術を持って、領土を拡大し続けている種族だ。
ギルナス国から派遣されているこの二人は、フォーナスタに新たな技術をもたらしてくれている。
偶像巨人の技術はほぼ完成の域にあると言っていい。まだ偶像騎士に比べれば弱いが、コストと運用面に利点がある。
特に期待を寄せているのは、研究中の”人工クエリ”だ。
人の意志や思想をコントロールする事は、強く盤石な国家体制を敷くには無くてはならない仕組みなのだ。
「仰せのままに」
二人は顔を伏せると、そのまま上奏を始める。
「こちらへ向かう賊には我々が特別製の偶像巨人を向かわせております。ご安心ください」
恐らく、この二人の訪問の目的はこの一言なのだろう。
そう思うと忌々しさと共に、ギルナスに頼らなければならない現状に嫌悪感が湧いてくる。
「頼もしいな……。では下がれ」
小さく言葉を発すると、静かにヒューマンの司祭と騎士は王の玉座の間より退出していく。
王と呼ばれたリグズは一人にきりになると、ブルツサルを見上げた。
「ブルツサル……」
そう言葉をかけてみる。
どんな時でも、ブルツサルはリグズの心の側にある。
「お前は、俺を見捨てたりはしないのだな……」
ブルツサルはそんなリグズを優しく見つめているのだった。