八話 無名の騎士①
鼻先をくすぐる甘い甘い香り。
それは、心がとろけるほど、痺れるように甘い、ロウフォドリーの香りだ。
「オフス……。起きるんぬ」
「ウッ」
頭を振りながら、身を起こす。
「クソッ。今何時だ?」
そこは屋敷の自分のベッドの上だった。頭には包帯が巻かれている。
出陣の前の日に倒れたとかシャレにならないぞ?
窓の外を見ると、まだだいぶ暗い。時間を確認すると明け方近くだ。
「起きたかぬ。オフス」
「レグちゃん……」
傍らのレグちゃんは、タブレット端末を抱えながら俺を心配そうにのぞき込んでいた。
その隣にはベッドに突っ伏す様に、寝ているアイリュが見える。
その前にはクエリドールが座っているのが見えた。
「アイリュは今さっき寝たところだぬ。起こすな。面倒な事になるんぬ」
起き上がると、アイリュにそっと毛布をかける。
アイリュの目には涙が浮かんでいた。思わず下唇を噛む。
クソッ。俺ってやつはいつもいつも……。
肩を少し動かしてみるが痛みはない。バイオモニターを起動させて体調を確認するが、失血による血圧の低下以外は不調はなかった。
「経緯はお主のクエリから知ったんぬ。魔法で治療はしたが体は大丈夫かぬ?」
「ばっちりさ! レグちゃんに優しく起こされたからいつもより調子がいいぜ? これからは毎朝頼むよ……」
おどけてながら立ち上がりそう言ってみるが、多少の眩暈が俺を襲う。
まぁ、このくらいなら問題ないな。
「やはり行くか……」
その言葉に笑顔で返す。
レグちゃんは少しだけ悲しそうな顔をしていた。
「まだ出発まで余裕がある。リーヴィル、マイシャとリノミノアはすでに駐騎場に向かった。一階に簡単な朝食を用意してある。食べていくんぬ」
「ありがとう。色々面倒をかける」
出かけようとするが、ある事に気が付く。
「おっと、その前に……」
俺は手のひらに小さな四角いパーツを実体化させる。これは遠距離通信用の強化ユニットだ。
それをレグちゃんのタブレット端末の左端に取りつけた。
「ニハロスの時は皆と離れ離れになって連絡に手間取ったからな。これでタブレットから長距離でも俺と連絡が取れる」
素材が貴重なため、みんなのチョーカーには取り付けられないけど、これで何かあってもレグちゃんを中心に対応が可能だろう。
レグちゃんはそれを聞くと小さく頷く。
「アイリュのおもりはレグがしておくんぬよ」
「ああ、済まない」
俺はベッドから降りると、側にあった白服に袖を通し、裂けた部分を再構成して実体化させる。
「じゃ、行ってくる!」
小声でそう言うと、レグちゃんは静かに威厳を放っていた。
「……オフス。成果を期待しているんぬ」
俺は笑顔で答えると、一階へ向かって行ったのだった。
◇ ◇ ◇
まだ日も登らない明け方の駐騎場。ここは学園が有する駐騎場だ。
そこには十六騎の偶像騎士が並ぶ、学生が乗り込むと言っても、それぞれの国の家門を背負う偶像騎士だ。
そこには学園中の学生騎士が集まり、自騎の整備をしていた。
連日連夜、彼らは愛騎と共にナウム周辺の警護とガレキの撤去など対策に当たっていた者たちだ。
それも、今日で潮目が変わる。
マイシャがフォーナスタの王都まで単身決闘を挑むとの知らせを聞いたときは、誰もが正気を疑った。
だが、誰もが知ってる。マイシャの駆るヒェクナーは強い。
この前の戦いでも、伝説に語られる”古き十二宮座の重偶像騎士”の強さは圧倒的だった。
学生騎士たちは自騎に大きなマントを取り付けていた。
それは自分の家紋の入った大きなマントだ。それは正式な偶像騎士の礼装を示している。
色とりどりに彩られる偶像騎士たちは年に一度の式典以来の様相を呈していた。
早朝にヒェクナーは出陣する。
それに合わせ彼らは門前で戦勝を祈願をするのだ。それは出陣するヒェクナーの為でもあり、吉報を待つ市民の為でもある。
悔いの残らないように、と精いっぱいの思いを託すのだ。
そんな中、駐騎場の一角ではマガザとその乗騎オルワントが見つめあっていた。
皆はヒェクナーの出陣を気にしているが、マガザと言う男は同行するもう一騎と、その搭乗者の事を気にかけていた。
その男の駆る騎体は物言わぬ偶像巨人である。力があっても栄光や名声とはひどくかけ離れた男である。
マガザはその男に、ひどく自分に似たものを感じていた。
みつめるオルワントの背には、先ほどマガザが施した家門の入ったマントが備えつけてあった。
「お前の声が聞こえた」
マガザは低くそう呟くと、オルワントの魔剣の柄を握り締める。
「何故だ? 俺は騎士には相応しくない」
それは俺自身が良く分かっている。
トートとつるみ、おおよそ騎士には相応しくない行いを行ってきた自覚はある。
しかし、オルワントの騎士剣がマガザの心の声に答えるのだ。
”お前の成すべき事を成せ”と。
「お前はカルズールの偶像騎士だ。オヤジの街を見守る存在のはずだ」
都市一つに一騎の偶像騎士。これは昔から伝わる統治方法であり、領土間の問題解決方法でもあった。
数が減ってしまった今ではそれも形骸化してしまっているが、騎士にとって偶像騎士はすなわち領地そのものでもあるのだ。
「俺はあの街に未練は無い。なのに何故俺に語りかける?」
”お前には強い意思がある。それはお前自身が果たさねばならない思いだ。そして生きていく理由でもある”
そうオルワントは答える。
オルワントは比較的古く、千年程前に建造された偶像騎士だ。先祖代々カルズール家に引き継がれきた騎体だ。
「俺は、強くなりたい」
”何のために?”
オルワントの声が心に響いてくる。
「俺の知らない強さを、もっと知るだめだ」
”何のために?”
マガザは自分の心の中に答えを求めようとする。
すると不意に、一人の男の顔が思い浮かぶ。その顔はオフスだった。
俺はあの男を超えなきゃいけない。
「もっと遠くに行ってしまいそうな、アイツの強さに喰らいついて行くためだよ!」
一人叫ぶ。
するとガコンッっとオルワントの胸部ハッチが開いた。
マガザの声にオルワントは答えるのだ。
”なら、共にその強さを探しに行こう” と。
◇ ◇ ◇
俺が駐騎場に到着すると、早朝なのにいつもと違い、場内はあわただしさと活気に満ちていた。
ヒェクナーの前ではマイシャとリノちゃんがニルディス将軍と打ち合わせをしている最中だ。
ヒェクナーは少しだけ嬉しそうにも見える。その肩にはダナー家の紋章が入ったマントを身につけていた。
隣で膝をつく俺のブルツサルは、無地の黒色のマントを身に着け、静かに出陣の時をまっていた。
リノちゃんが俺に気付いて手を振ってくる。
「オフス?! 起きてきおったか! まだ体力が戻っていないじゃろう?!」
「術で傷は塞がっているけど、大分血を流しましたわ」
二人とも俺を心配し、声をかけてくれる。
「リノちゃん、マイシャ。迷惑掛けたな。もう大丈夫だ」
「私一人でも平気ですわ、オフスも行きますの……?」
「当然だろ?」
俺は調子よさをアピールしながら笑って見せる。
「フンッ。オフスみたいなお荷物が少しくらい増えたとしても、今の私なら問題ありませんわね……」
「逆だろ? 俺はネーマさんと約束したんだ。マイシャを守るってな」
俺の言葉を聞くとマイシャは呆れたようにクスクスと笑いだす。
戦いに赴く前だっていうのに……、いや、戦いに赴く前にリラックスできていれば本番で調子が出せるか。
そう言えば、先に来ているはずのリーヴィルの姿が見えないぞ?
きょろきょろと周囲を見てみるがどこにも見えない。
すると頭上から声が聞こえてきた。
「ん。ここだよ? しってたから」
ブルツサルのハッチから顔を出し、リーヴィルが声をかけてきたのだ。
「どうしても行くって聞きませんのよ? 止めてくださりません?」
「リーヴィルが良いのならば、わしが代わりに行くのじゃよ!」
『キィーン』
ん? これはどっちかを連れて行くかって事か? 誰も連れて行くつもりはなかったけどそう言う選択もあるのか……。
連れて行って困る事もある。慎重に考えなきゃいけないぞ?
リーヴィルは人の心が読めて、義眼による索敵や位置確認なんかも出来る。
もう一方のリノちゃんは魔術に精通した大魔法使いだ。偶像騎士の造詣にも詳しい偶像鍛冶師でもある。絶対頼りになる存在だ。
だけどリノちゃんには残って任せたい仕事がある。
「リノちゃんはダメだ。グゥちゃんもいるし、残ってやることがあるだろ?」
リノちゃんにはお願いしている事がある。
俺が出発した後、バグザードの動力炉の改修をお願いしているのだ。
その為のパーツは既に作成済みだし、魔剣動力炉用の魔剣もフザイルさんの武器屋から買い付けてある。
バグザードを動かすのに相応しい一級品の魔剣、前に目を付けていたサーナスタの魔剣だ。
もしこの戦いでヒェクナーやブルツサルが壊れても、バグザードに搭載してあるエーテル形成機が無事なら状況を立て直せる。
リノちゃんへのお願いはとても需要なものなのだ。
「ならばリーヴィルが良いと言うのか?! ずるいのじゃ!」
「リノちゃん、ごめんな」
俺はかがみこむと、背の低いリノちゃんの目線に立って謝る。
頭上でブルツサルから顔を出すリーヴィルを見上げる。
不確定な要素が多い現状だとリーヴィルの力が間違いなく必要だ。
いままでの戦いの中でも、リーヴィルの力に何度助けられたか分からない。
リーヴィルはおじけづく事もなく、俺を見ている。
彼女からは”死の音”は聞こえない。なら彼女は死にはしない。
「リーヴィル。俺を助けてくれ」
「ん。しってたから」
リーヴィルはこくこくと頷くと、ブルツサルの操縦席の奥の方に引っ込んでいってしまう。
隣ではマイシャが大きくため息をついていた。
「そろそろ行こうぜ? マイシャ」
各々騎体に乗り込もうとすると、俺たちの様子を見ていたニルディス将軍が声をかけてくる。
「ネーマの件は残念でした。気を付けてください、相手にカードが渡ったと見ていいでしょう」
「問題ないぜ? ネーマさんはリグズ王に会いに行った。自分自身でケリをつけるつもりだ」
「オフスさん……」
ニスディス将軍は、オフスの側まで来ると小声で耳打ちする。
「問題があれば、赤竜騎士団はすぐに国境を越える手筈になっています」
「……なんだよ、凄いプレッシャーだな」
「ガルラドも後が無いのです。ご理解ください」
そこまでして、短期決着を図りたいって事か。
「全部解決してくればいいって事だろ? 全力で挑んでくるよ! 後は俺を信頼してくれッ」
”必ず”なんてのは約束できない。それは無責任だ。
だけど努力を惜しまないって事だけは、絶対に約束できる。
俺は笑ってひらひらと手を振ると、リーヴィルの待つブルツサルに乗り込んだのだ。
ゲートが開くとマイシャのヒェクナーが先導し、駐騎場を出ていく。
そこは、ナウムの疲弊など無かったかのような人の賑わいだった。ヒェクナーが人々の前に現れると歓声が沸き起こる。
ニーヴァはお祭り好きなのだという。早朝の朝日に照らされ、街の建物の窓からは色とりどりの布が垂れ下がっていた。
街の通りを西に進むと、門の付近に学生騎士の偶像騎士が膝をついて駐騎していた。
一騎だけ、赤色の重偶像騎士が見える。あれはガルラド将軍のクリーヴァだ。ヒェクナーの出陣を将軍が見送るのは、政治的に問題が大アリだろう……。
表向きはこっちに関与しないって言ったのはガルラド将軍じゃないか。
そう思うと少しだけ可笑しさが込み上げてくる。
ヒェクナーが近づくと、偶像騎士たちは順に立ち上がり、剣を抜き地面に突き刺した。
マントに身を包み、色とりどりの偶像騎士が立ち並ぶその様は圧巻だ。
オーヴェズが街に入ってきた時もこんなに盛り上がりは見られなかった。
クォォン。
ヒェクナーは動力炉を震わせる。
彼の静かな雄叫びだ。
俺には感じられる。それは勝利をもたらすと約束する者の声だった。
朝日を背に、ヒェクナーは城門をくぐり街を出る。
ブルツサルも少し離れその後について行く。
俺の見つめるヒェクナーの背には、ダナー家の家紋が揺れていたのだった。
2021/3/31 誤字修正しました