六話 修羅場③
食事の後、俺はレグちゃんの部屋をノックし中に入っていく。
オルトレアさんに貰った大金の手形を渡すためだ。
中に入ると、ベッドに寝転がりしきりにタブレット端末いじるレグちゃんが見える。
側には黒毛長蛸のミロ君もいる。俺を見るなり威嚇のために体を膨らませていた。
「オフスよ。何用かぬ? 明後日は出発なんぬ。準備を進めておくんぬよ?」
「ああ、分かってる。これを渡しておこうと思ってね。何か人の役に立てるように使ってくれないか?」
そう言って俺はレグちゃんのベッドに腰掛けると例の書類を取り出し傍らに置いた。
レグちゃんはそれを手に取り見ると、大きく二度三度頷く。
「ふむ? レグが預かって良いのかぬ?」
「ああ、俺たちの中じゃレグちゃんが一番お金の使い方を知ってる気がするからな。困ってる人たちとかに使ってあげてくれないか?」
「オフスは欲がないな。なら、レグが預かっておくんぬ」
レグちゃんに任せれば安心だ。この屋敷にいる誰よりも有意義に使ってくれるだろう。
隣では黒い毛玉が膨らみ始め、威嚇音を立てはじめた。
そんなミロ君をポンポンと撫でるとベッドを立ち上がろうとする。
「それじゃ、俺はちょっと立て込んでるから、もう行くよ」
そう言って立ち去ろうとするが、レグちゃんは咄嗟に俺の手を掴んだ。
「マイシャに聞いたんぬ。ネーマの所に行くのかぬ?」
「ああ、そうだ」
今のレグちゃんは威厳のあるレグちゃんでも、頭の良く切れるレグちゃんでもない。
何というか、普通の女の子のように見える。
「失敗するでないんぬ。ネーマを引き入れるには今しかないんぬ」
「そう言う言い方はやめてくれないか。俺は本当にネーマさんが心配なんだよ」
「分かっているんぬ」
ん? なんていうかやけに大人しい。
もしかして他の女の子の部屋に行くのに嫉妬してるのか? 考えすぎか?
レグちゃんは少しだけ困ったような表情を見せると、ベッド側のチェストの引き出しから、一つの首飾りを取り出す。
それは質素な作りの金属の首飾りだ。……ロウフォドリーの旅立ちの首飾りだ。
ただ女王が渡す首飾りにしては、それは質素過ぎていた。
「その前に、我の全てを預けるんぬ。共に行こうオフスよ」
首飾りを持つ手は少しだけ震えているように見える。
「ありがとう。光栄だよ」
俺はレグちゃんの前で膝をつき頭を下げると、彼女の手で俺の首に首飾りがあしらわれていく。
こうやってレグちゃんと二人っきりになる機会は限られている。
俺の側にはいつも誰かがいる。明後日にはもう俺は戦場のど真ん中だ。
俺が急いでいたとしても、レグちゃんにとって今は重要なタイミングなのだ。
「もちろん分かってるさ……」
そう言いかけるが、キュウっと音がしてミロ君が踏みつけられ、俺の胸元にレグちゃんが飛び込んでくる。
「それ以上言葉を重ねるな、オフス。それが男の礼儀だぬ」
僅かな瞬間だが唇が重なる。
甘い香り、ロウフォドリーの香りだ。
ロウフォドリーの唇は文字通り、いや彼女の唇はそれ以上に、痺れるように甘く香るのだった。
◇ ◇ ◇
ネーマさんの部屋の前で何度かノックをするが返事が無い。
しかたないので少し扉を開けネーマさんの部屋の様子を見る。
部屋の中のテーブルには夕食の食事が置かれているが、ネーマさんは椅子に座り突っ伏していた。
何かあったのか?
慌てて中に入ると、ネーマさんを抱き起す。
「ネーマさん? これはお酒の匂いか……」
「オフス君かい? 随分遅いじゃないか?」
声をかけると、もぞりとネーマさんはテーブルから起き上がる。その表情は完全に酔っぱらっていた。
ネーマさんに言われた言葉に、なんとなく胸が苦しい。
レグちゃんの部屋に居たのはほんの一瞬のつもりだ。つもりだっただけかもしれないが……。一瞬だったよな?
見れば酒瓶が何本も空になって転がっている。
「ネーマさん。こんなに飲んじゃだめじゃないか」
「いいじゃないか、もっと酒をおくれよ……」
「お酒じゃなくてさ。ほら、エリアスナスさんが作ってくれた豆のスープを飲んで、少し酔いを醒まそうぜ……」
「うっ……うぅ。こんな……、惨めだろ、私はさ……」
そう言って喉の奥から絞り出すような嗚咽を漏らす。その様子は、以前のネーマさんからは想像もつかない。
ふらりと椅子から転げ落ちそうになる様子を見て慌ててネーマさんを抱え直す。
何か声をかけようとするが、俺は彼女を正面から否定できるような立派な人間じゃない。
かといって、励ましてあげられるような言葉も持っていなかった。
そのまま包み込むように抱きしめた。
とても悔しかった。
「私はね! 道具なのさ! 使い捨ての道具なんだよ」
酒の勢いなのか、急にネーマさんは叫び出すと俺の腕から逃れようと暴れ出す。
「何か命令してみなよッ! こんな女でも使い道くらいあるんだろ!」
最後の方の声は絶叫に近かった。
彼女は傷ついている、彼女に触れると分かる事がある。その思いはリーヴィルと最初に触れあった感情によく似ていた。
「なら、……何処にも行くな。ネーマ」
そう言って、強く彼女を抱きしめる。
「そ、それだけかい? オフスにとって私の価値はそれだけなのかい?」
堰を切ったように、ネーマさんは言葉を続ける。
「いいかい? 六千枚の大金貨だよ? 価格って言うのは価値があるからつけるモノだろ? そんな金を出してまで私を買ったお前は馬鹿なのか?」
「お金じゃないんだよ」
そう言って彼女の瞳を見つめるが、その目は涙で曇っていた。
「私をバカにしてるって事かい?!」
「違うッ!」
俺は強く抱きしめると彼女の耳元でささやく。
「……死ぬなネーマ。生きろ」
それは俺の本心だ、命なんて買えやしないのだ。
俺はネーマさんが今ここに居てくれることが嬉しい。そしてきっとネーマさんなら立ち直ってくれるはずだ。
「なんで……、何も聞かないんだ」
「いいんだ。そんな事は」
「なんで……、私の事を、何にも聞かないんだ?」
「いいんだ。ネーマさんは一杯頑張った、だからこれからも生きて、頑張れ」
俺は彼女の瞳を見つめる。
「ううっ、うっ」
ネーマさんは涙を袖で拭くと、側にあったグラスを持ち一気に酒を煽った。
「ネーマさん!」
「あと一杯だけ。一杯だけ付き合っておくれよ。そしたら全部忘れるからさ……」
『キィーン』
俺の耳奥で音が鳴る。
だけど、そう呟く彼女の瞳は、俺をちゃんと見ていてくれた。
俺は隣の椅子に座ると、グラスを取り出し酒を注ぐ。
「俺は覚えているよ。苦しい事も辛い事も、消えはしないから。きっとネーマさんとおんなじだ」
俺の言葉を聞くとネーマさんは、顔をぐしゃぐしゃにして涙をながす。
いつも見せる能面のような顔じゃない。
決して美人な顔じゃなかった。けど、俺はその顔がとても綺麗に思えてならない。
お互いのグラスを重ねると、カチンと綺麗な音が部屋に響いたのだった。
◇ ◇ ◇
朝日が差すころ、柔らかな感触が俺の体を包み込んでいた。
「こ、これは! 何が起こったんだ?! 俺は、何をしたんだ?!」
俺は自分の部屋のベッドで寝ているたのだが、横で下着姿の美女が熟睡しているのだ。
すごくやわらかい!
だが、この前の様にアイリュでも、マイシャでも、リーヴィルでも、リノちゃんでもレグちゃんでもない!
マズイぞ?! これは致命的だ……。俺の横で寝ているのは……、ネーマさんじゃないか!
一体どうなっているんだ?!
熟睡している彼女を起こさないように体を捻り、慌ててベッドから抜け出す。
とりあえずベッドの端に座って目を閉じ昨日の記憶を掘り起こしてみる。こういう時は素数とか数えた方がいいのか?! 落ち着け、とにかく冷静になれ!
くそっ、記憶が曖昧なのは、もしかしてレグちゃんの急性ロウフォドリー中毒のせいか?!
俺の体は酒では酔わない。考えられるのはやっぱりロウフォドリー中毒だろう。もう少し気を付けていれば良かったのかもしれない。
酒を飲む前に”音”が鳴っていたような気もする。だけど俺はネーマさんの気持ちに寄り添ってあげたいと思ったのだ。そっちの方が大事なのだ!
でもこんな結果になっているのなら、逆に最悪すぎるのかもしれない……。
「クソッ!! なんで俺は何も覚えてないんだ?!?!」
そう言って頭を抱える。
しっかり意識があればなんとかこの後の対策とかも考えられただろう、だけど今の俺には眠る前の記憶が全くない……。
前にロウフォドリー中毒になった時も同じように記憶が飛んでいたな。今後も注意しないといけないぞ?!
そんな風に考えていると、ベッドでネーマさんがもぞもぞと動き出す。
窓から見る外の明かりは早朝の様だ、小鳥が鳴く声が聞こえるがまだ日は登っていない。
「ん~、もう朝かい……」
「何故?! ネーマさん?!」
「何故って? ずいぶんな挨拶だね。嫌いな男と夜を共にするわけがないだろう?」
気が動転しているのか俺はロクな返事が出来ない。
小さくあくびをしているネーマさんは、二日酔いになっている様子もなく、すっきりした顔立ちだ。
彼女はつま先を伸ばし俺の脇腹をつついてくる。
「え? あ、ありがとう。ネーマさん。……いや! そうじゃなくて俺。いやそれより俺……」
俺も、ネーマさんも下着はつけている。
だからと言って安心できる状況では全くないのだが……。
「最初に会った時に私は言っただろ? 君はいい男だってさ」
そう言って彼女は笑うのだが……。
何か変だ……。ヤッたとかヤらなかったとかじゃない。
今はベッドの上で肌が触れ合っている。肌が触れていると、好きとか嫌いとか、いつもなら自然と相手の感情が伝わってくるのだ。
アイリュも、リーヴィルも、マイシャも、リノちゃんも、レグちゃんもだ。自然とお互いの心が触れ合うような、安心した気持ちが心に広がってくる。
けれど、……今の彼女からはそれが感じられない。
何か壁がある様に思えるのだ。仕草や態度じゃない。肌が触れ合ってるからこそ逆に分かる感覚だ。
「ネーマさん? 俺は信じていいのか?」
不意にそんな言葉がついて出てくる。
彼女は俺の隣で身を起こすと肩を寄せてくる。
「フフッ。もちろんだよ。嬉しいじゃないか」
やっぱり何か変だ。
それでも今、彼女が触れているこの温もりを、無くしたくないと思ってしまう。
そう実感すると罪悪感と自己嫌悪で気が狂ってしまいそうだった。
もし……、こんな所をアイリュに見られでもしたら……。
「オフス~? もう起きてるの~? 叫び声が聞こえたみたいだけど……」
ガチャリと無慈悲にドアが開き、俺の部屋にパジャマ姿のアイリュが入ってくる。
「「なっ?!!!」」
俺とアイリュの声が同時に響いた。
半裸の男女が明け方でベッドで二人きり、言い訳できる状況でもない。
慌ててネーマさんを見るが、ネーマさんは涼しい顔色だ。
「ん? ああ、添い寝だよ添い寝。オフス君が夜中にお酒を飲んでね、具合が悪くなったのさ」
「な、なななな……」
「ア、アイリュ。ま、まて、話を聞いてくれ!」
アイリュは形容し難い悲鳴のような何かを口から叫ぶと、走って自分の部屋に戻って行ってしまう。
隣にいるネーマさんは俺を横目で睨みながら、不思議そうな顔をしていた。
「オフス君。もしかして、まだヤッてないのかい?」
「……はい。誰ともしていません」
ヤりたいと思ったことは何度もある。
むしろ全員とヤッてしまいたい。俺は健全な男の子なのだ。
だが、アイリュを大切にしたいという思いがアイリュ以外の彼女に手を出すことを踏みとどまらせている。
俺は全員が好きだ。誰も悲しませたくない。
そう真剣に思っているのだが、隣にいるネーマさんは心底あきれ顔をしていた。
「はぁ、めんどくさいヤツだね。結婚しようって言う男女が一つ屋根の下で何やってるんだ? バカバカしい」
「でもネーマさん……」
「言い訳するんじゃないよ。そんなの好き同士なら当然だろう? 普通だよ、ふ、つ、う! してないほうがおかしいんだよ。何を言ってるんだ?」
「お、俺みんなに謝ってきます……」
ベッドから立ち上がると、側に脱ぎ捨てられている服を手に取る。
「ハァ、本当に正直でつまらない男だねぇ……」
シャツを着る俺の背中を見ながら、ネーマさんはそう微笑みながら溜息をついたのだった。